弱いなら弱いままで。

嫉妬と呪いの時代が終わる。ルサンチマンと決別し楽しい人生をデザインしよう。(2291文字)

2012/11/24 16:02 投稿

  • タグ:
  • イケダハヤト
もう二度と嫉妬に苦しまないための81のレッスン―軽やかな人生を送るために、あなたができること

 イケダハヤトさんの『年収150万円で僕らは自由に生きていく』を読んでいる。ほとんど1時間もあれば読み終えられそうなほど薄い本だが、なかなかに示唆に富み、おもしろい。そのなかに、「嫉妬」に関するこんな一節があった。

 多くの人が「オープン化」を始めると、人々の行動が可視化されるようになるので、嫉妬深い人もこれからは生きにくくなります。
 ツイッターやフェイスブック上では、誰の成功を目にする機会はとても多いです。僕を含めて、何か成果があったときには、自己顕示欲を満たすため、マーケティングのために、自慢げにつぶやいてしまうものです(「書籍出版が決まった!」など)。
 一方で、失敗をしたことは普通自らつぶやかないので、結果的にソーシャルメディア上では幸せ者が溢れているように見えてしまいます。
 卑近な例では、僕はフェイスブックを始めてから、知人の結婚や出産のニュースを目にする機会が明らかに増えました。誰かの幸せを目にする度に「こいつらの幸せが憎い!」なんてことを思っていたら、すぐに心がダメになってしまうでしょう。

 なるほどねえ。一理あると思う。より正確にいうなら「これからは生きにくくなる」ではなく「すでに生きにくくなっている」とするのが正しいだろう。

 ちなみに、これはぼくの数少ない長所のひとつだと思うのだが、ぼくはまったく嫉妬深くない。ひとの成功や幸福を妬んだりしたことはほとんどないと思う。ひとの人生はぼくにとってそれ自体ひとつの「物語」なので、小説を読むような感覚で自分とは切り離すことができるのである。

 小説を読んでいても主人公の幸福に嫉妬するひとはいるらしいが、ぼくには理解しかねる感情である。ひとが不幸になったところで自分が幸せになるわけではないのだから、幸せになってもらって全くかまわないではないか。

 まあ、たしかにそう綺麗に「自分」と「他者」を切り離せるものではないということもわかるが、そういう嫉妬によって、だれよりも苦しむのは自分自身である。イケダハヤトさんのいうことはあたっている。「自分は自分、他人は他人」と分けて考えたほうが精神衛生上健康を保てることだろう。

 お気づきだろうか。ひとつ前の記事とふたつ前の記事と合わせ、今日配信するみっつの記事はすべて同じことを主張している。つまり「嫉妬をやめよう」ということである。ひとをうらやんだり妬んだりすることをやめて、かってに幸せになってしまおう提案なのだ。

 

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