弱いなら弱いままで。

才能という重荷を背負う生き方。「ギフテッド」の苦悩を乙一に見る。(1638文字)

2012/11/24 12:26 投稿

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  • 小説
  • 乙一
  • 中田永一
  • 山白朝子
くちびるに歌を

 作家の乙一が別名義での活動を公式に認めたそうだ。「公式に」というのはいままでもTwitterなどでは別名義を認める発言をしていたからで、中田永一と山白朝子(ヤマシタトモコではない)の名義の「正体」は乙一ということになる。

 それにしても、才能とは隠せないものである。2005年に「デビュー」した中田永一は、第一作である「百瀬、こっちを向いて」で早くも注目を集め、そのみずみずしい感性は話題を集めていた。ぼくも読んだが、乙一名義の名作と比べてもまさるとも劣らないピュアでキュートな恋愛小説だった。

 中田永一や山白朝子が活躍しているあいだ、「乙一」は10年近くにわたってほぼ沈黙してきたわけだが、熱心なファンのあいだでは「中田永一や山白朝子は乙一ではないか」とささやかれていたようだ。ひとつには、無名の新人にしてはあまりにも巧すぎるのである。

 乙一はなぜあえて乙一名義をなかば封印し、別名義での活動を選んだのだろう。若手のなかでも最も才能にあふれていると評価される若き天才作家である。順調に活動を続けていれば、いまごろ直木賞のひとつももらっていてもおかしくないのに。

 毎日新聞の記事(http://mainichi.jp/feature/news/20121120dde018040071000c.html)によると、まさにその天才扱いが重荷になったという側面もあるらしい。

 別名義での執筆について、乙一さんは「いろいろ理由はあるのですが、一つは心のバランスをとるため。一から出直したいという気持ちがあったから」と説明する。デビュー直後から読者の支持を受け、新刊は常に話題を呼んだ。「過大評価されているようで、持ち上げられている感じがよくないと思った。誰も知らないところで、しばらく隠れようということでした」

 乙一の作品は17歳でデビューしてから一貫して高い評価を受けてきた。デビュー作「夏と花火と私の死体」の段階ですでに洗練されていたその作品は、時を経るほどに輝きを増し、早熟な才能は「しあわせは子猫のかたち」、『暗黒童話』などの傑作に結実した。

 

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