Twitterで「男性差別」うんぬんについて話をしていたところ、妙なのに絡まれた。一方的に持論を述べて勝ち誇る。これは相手をしても仕方ないなあと思ってそのむね述べたら、「反論できないんだろw」といってまた勝ち誇る。やばい。典型的なパターンである。「無敵くん」だ。

無敵くんとは、SF作家・山本弘氏の小説「神は沈黙せず」に登場する造語で、「ネット上の掲示板等での議論において、結論はすでに明白なのに、負けているのに負けを認めず、相手が諦めるまでつまらない反論を次から次に持ち出してずるずると引き延ばす者」[1]のこと。
http://dic.nicovideo.jp/a/%E7%84%A1%E6%95%B5%E3%81%8F%E3%82%93
 
 「無敵くん」は文字通り無敵だ。絶対に勝てない。上の引用では「負けているのに負けを認めず」と書かれているが、「無敵くん」の主観では負けていないのである。かれは常に正しい。常に勝つ。かれの前に立ちふさがる相手はすべてバカである。

 無敵くんは誇らかにかれらを見下し、罵倒するだろう。「悔しかったら反論してみろw」と。そして反論すると、それをまた主観的に「論破」し、また勝ち誇るのである。この終わりのない振り子運動にも似たやり取りが、「無敵くん」を相手にすると永遠に続く。だから「無敵くん」とやり取りしてはならない。

 それにしてもこういう人を見てつくづく思うのは、ひとは間違えるから愚かしいのではないということである。間違いを認めないから愚かしいのだ。間違いを認めてそれを正す勇気がある人間は、少しずつでも進歩していくことができる。しかし、「無敵くん」は永遠にそのままである。「無敵くん」は絶対に間違わない。故に絶対に進歩しない。