「読む」ということについて考えます。最前、ぼくはTwitterにこのように書きました。
「読む」とは、言葉の表面の些細な問題を超えて「相手の本当に主張したいこと」を読み取ることでなければならないが、同時に文章の細部にまで気を配って相手の主張を正確に読み取ることでもなければならない。この矛盾した課題をどうにか達成すること。それがひとが書いた文章を「読む」ということ。
ようするにこういうことだと思うんですよね。
何かひとが書いた文章を読むとき、その文章の表面的な事柄にこだわって「相手がほんとうに主張したいこと」を読み損ねることがあってはならない。
一般に文章にはどうしたって飛躍があるわけで、細部を細かく批判していけば相手の主張を論難することはたやすいかもしれない。
しかし、それは真に「読む」ことであるとはいえない。
よく読めば相手の主張があきらかなのに、言葉の表面だけを問題にし
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コメント
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(ID:21377104)
元信者、今アンチの人の批評が一番的確だって、ある人が言ってました。
わりと真実かなと思います。