10年聴き続けた大向こうの1人です。いかにも大向こうが言いそうなことを申し上げますが、私はペペの時の(DCPRGは99年のスタパインズカフェからの、もっと大向こうです)菊地さんのメンバー紹介が、「京マチ子の夜」や「ルペ・ベレスの葬儀」よりも、すこし好きです。
そして、今回だけは特別でした。いつでも自己更新されてゆく菊地さんのパフォーマンスですけど、今回のメンバー紹介を越える事は無いと思いました。
私はインターネットを、菊地さんのサイトを見る以外はほとんど使わないので、菊地さんがインターネット社会に警鐘を鳴らしている(?)という事の意味があまり良くわかっていなかったんですが、大儀見さんの件(と表現すべきかどうか。。。。)の時は、ずっと胸が痛く、しかし嬉しい、という不思議に苦しい気分でした。私の子供はどちらも女なので、私も含めて、男同士の友情や信頼というものは、一生傍観するしかない生き物なんだなと思うと、不思議な気持ちにさえなりました。
東京ジャズも伺いましたので、大儀見さんが既に復帰されていることは分かっていましたが、改めて菊地さんが大儀見さんを、余計な事は何も言わず、でも、心底真心をこめてお名前を紹介されたとき、拍手がオペラのカーテンコールの様に鳴り止まなくなって、どんどん大きくなっていったとき、最初は粛々としたお顔だった菊地さんが、嬉しそうに、そして照れくさそうににやにや顔になって、ピアノの林くんの方を向かれました。
それはきっと、大儀見さんもニコニコされているだろうと想像されたからだなと私は思いました。だって演奏中、大儀見さんは田中さんや鳥越くんとニコニコ楽しそうにしていたからです。
そして、菊地さんがぱっと振り返ると、大儀見さんが感極まって下を見ていて、菊地さんはすごく焦った顔をなさいました。ステージではいつだって冷静沈着な菊地さんが、おろおろしている様に見えました。
そこまではいいのですが、そのあと菊地さんはヴァイオリンの梶谷さんの紹介に移って、梶谷さんがおしっこを漏らしたとか、毎晩夢(?)の中で裸にしていたのに、ある日、舞の海に似ている事がわかって萎えたんだけど、不屈の精神力で裸を想像し続けたとか、すごいパワーで下ネタを連発し、お客さま達を笑わせ続けようとした、その必死の態度を見たとき、私は泣いてしまいました。
菊地さんはその気になれば何でも出来る方ですので、人を泣かす事なんてお手の物で、ラジオでも本でもライブでも何度も泣かされました。でも、ご自分がお客様の前で泣いてしまうのは絶対に嫌なのだな、と思ったからです。芸事をなさる方、舞台に立つ方、というのは、そういうものなんだな、と思いました。
10年間通い詰めましたので、いろいろな思い出のシーンがあります。でも、あの夜のメンバー紹介の時の菊地さんの、命をかけても流れを笑いに変えてやるという必死の形相を、私は一生忘れません。
大儀見さんが戻って来られて本当に良かったです。大儀見さんや坪口さん、津上さんや大友さんが菊地さんと、同じ会社の同僚の様に、ごくごく自然に同席されていて、家族が一緒に食事でもしているような感じで演奏している自然なさまは、オムスビートくんを我が子のように見つめていたり、林正子さんに紳士的に接したりしている所よりも、何倍も、何百倍も好きです。男性どうしというのは本当にいいなあ。と思います。主人も会社で、あんな姿で働いているのかな、まさかな、でもそうかな、と想像しています。
私はむかしむかしは、自分も若く、菊地さんを愛人のように、恋人のように思っていました。でも、いつの間にか菊地さんが、主人の様に、好きなお仕事を、大切なお仲間と一緒に、ごくごく自然に、いつでも一生懸命なさっているのを見ることが好きになりました。10年間というのは、とても長いですね。へたくそな文章を読んで頂いて有り難うございました。お体にお気をつけて、これからも皆さんと一緒に素晴らしい人生を送って下さい。
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