「抱きしめて」の誤植ではありません(っていうか出版物のデジタル化によって、「誤植」という物が、限りなく減ったか、あるいは消えてしまったかの様な昨今ですね。誤植好きだったんですけどねえ)。これは先日、生まれて初めて「ココス」というファミリーレストランに、ホットアップルパイ目当てで(アメリカ食に強い知人に「今、アメリカ家庭風のホットアップルパイが日本で一番旨いのはココス」と聞いたので)行った所、勿論そいつが言うだけの事はあって、ホットアップルパイは旨かったんですが、それよりも、やはり初めて行く所というのは総てが新鮮で、しかも金の鉱脈だったりする事もありますファミレスの場合。
ちゅう事で、「すわ、ポストロイヤルホストか!!」とご期待される好事家の皆様もいらっしゃると思いますが、そこまでではない、ちうか、全然問題のあり方が違うんですが「ココス」のメニューはヤバいです。
それは何故か、鉄皿で供されるハンバーグステーキ、並びにサーロインステーキにアツアツのペレット(網状になっていない、鉄板そのもののグリル板)が付いていて、自分で切ったハンバーグやビフテキの一切れを、ペレットに押し付けて「ジュー」とか言わせて食べる。という、一種のサーヴィスなんですが&それ自体はまあ、かなり珍しいっちゃあ珍しいものの、意味も意義も充分に分かりますし、実際にビフテキでやってみると、そのサーヴィス自体は普通に嬉しい物で、ワタシの様なビアンキュイ派(ワタシは、生の肉が喰いたければ、肉刺にしてしまえば良いと考えますし、セニャン/ブルーレア派の「血の滴りがタマラン」的な美意識が良くわかりません。むしろ良く焼いた方が血は滴りますし)には「みんなもっとやれば良いのに」ぐらいの感じだったんですね。
ところが、好事魔多し(違うか)問題は「言葉」でして、その行為を指す言葉がですね、まあ、メニューにこう書いてある訳です。
<熱々の加熱用ペレットに置いて、充分に焼きしめます>
あるいは
<ペレットを使用して充分に焼きしめてお召し上がりくださいませ>
と書いてあるのでした。「これは、、、、遂に来た、、、、運命からは、逃げられないのか、、、、、」と、メニューを持つワタシの手が若干震えたのは言うまでもありません(笑)。