菊地成孔の一週間〜インフルエンザによって暦がショートカットされ、実際には10日間という、今年もお世話になりました〜
12月19日(水曜)
肺炎は収まっているし、熱も無いし、どこかが痛いといった事も無く、あるとしたら、何かの拍子に咳が出ると30秒位とまらなくなる。という事があって、しかしそれも、どうやらマイコプラズマ肺炎の後遺症として、「咳喘息」といったちょっと怖い名前ではあるが、1~2ヶ月ぐらいそうやって後を引くものなのだ、と言われ、様子を見ながらも放っておいた。喘息とは縁が無く、これが軽いものなのか、なかなかエグイものなのか、全く解らない。
そしてそれも、最初は1日に10回だったのが5回になり、4回になり、2ヶ月弱かけて1日に3回位になって、まあしかしコレ結構なスローダウンだよなあ気が長げえ話。しかし自分は基本せっかちだからこんなんも人生経験のうち、なんだって自然治癒自然治癒などと思いながら普通に暮らしていた(当連載過去参照。無茶遊びとか無茶仕事をしていた訳ではない。いつもの通りにしていた)。
とはいえ、仕事量的には確かに普通とはいえ、<そもそもメルマガとは何だろう?これライブ動員に役立ってるんだろうか??とか、2Sを3Sにしなければ。。。とか、「1人称を僕にしようかわたしにしようか」などといったまったく新種の悩みや、自分のライブをドワンゴでストリーミングする等といった新しい試みとともに40代最後の年越しに向けて普通に暮らしていた>。というのがより正しいだろう。
演奏は常に素晴らしく、毎夜の食事も旨く、吉事も多く、特に山崎邦正が月亭邦正になった事の喜びと活気は、正月を大阪のホテルで過ごす計画(ローカル局の番組や寄席で月亭邦正を見れる限りすべて見るためだけに)を夢想するに充分のものだった。
ところが、いかに喜びに満ちた上方落語のファンとはいえ、この日の朝起きるととにかく身体が重く、喉が異様に痛いので「あっれ?何かおかしいな、っつうか、なんか懐かしいぞコレ。何れにしても悪化だ」と思いつつ、とにかく滅多にやらぬインターネット検索で「評判の良いお医者さん 耳鼻咽喉科 新宿」を一生懸命に探し、誰もが褒め称えている若松河田町の耳鼻咽喉科に行った(耳鼻咽喉科でいいのか?という一瞬の躊躇はあったのだが、何かそれは、映画に於ける伏線のような物で、登場人物というものは複線を引き、踏むものなのである)。
10月からの経緯を丁寧に話すと、非常に若く、非常に知的で、非常に会話の技術が卓越している医師は、胃のそれと同じ位の長さ(ひょっとしたらまったく同じ物かもしれない)の内視鏡を出して来て、それを巧みに操り、メディカルコント等によくある、かなり非日常的な格好(お辞儀をしたまま顔だけ前に突き出し、自分で自分の舌を掴んで、途切れ途切れに「エッエッエッ」等と言ったり)を患者に要求し、ほとんど気管支の当たりまでキャメラアイが到達した状態で、何枚も静止画の撮影した。ちょっとした人間ドックである。
結果、非常に知的な医師は、実に冷静に、そして「こいつは話の分からぬ馬鹿ではない」とこっちを見切ったオーラ満々で、淡々と言った
「よろしいですか、これが声帯です。奇麗に発色しています。周囲と同じ色ですね。が、普通、声帯は白く映る。あなたのは腫れているわけです。声帯の奥、気道。ここも白いシマシマが映る筈なんです。が、あなたのは奇麗に発色して他の部位と区別がつきません。これも腫れを意味しています。とはいえ症状はこの腫れのみです。腫瘍の類い、糜爛の類いは一切ありません。ご覧の通り、一切ありませんし、出来ていたが消えた。という痕跡も一切ありません。怖い病気はない。ということです。その点はご心配ありません。ではなぜこんなに腫れているのか。考えられるのは、声の出し過ぎと、乾燥、冷たいものの飲み過ぎ、あとは気管支炎の芯が治っていないまま、治療を止めてしまったせいですね。前の内科は何と?」
「もう肺炎は収まったので、後は自然に治ると」
「うんそれは半分は正しいですね。喫煙は?」
「一切しません」
「お仕事は?」
「管楽器の演奏と、歌と、ラジオのパースナリティーです」
「声を使うお仕事という訳ですね」
「漫才師や舞台俳優や魚河岸ほどではありませんが」
「はい。今、発熱は?」
この瞬間、非常に知的である若い医師(と知的でも若くもない患者)は、非常に知的であるが故に陥りやすい愚かさで、ミスを犯したと思われる。
「無い、、、、、のです。が、これから出る気がするんですね」
「今は、無い。ですか?出そうな気がすると?」
「はい、その通りです。今は無いですね。さっき計りました」
「(初めての長考)。。。。解りました。では、検査と診察の結果としてはですね、やはりこの腫れが、治って来ていたんだけれども、何らかのきっかけで今朝から悪化したと。それしか考えられません。そして、それへの、というよりも、患部への根本的な治療として、先ず炎症を根本から治してしまう事。そして、その過程で、咳を止めておく事ですね。あなたの場合、肺活量のせいかどうか、おそらく咳の勢いが強く、それで声帯と気道を痛めつけています。もう、これではほとんど閉じなくなっています気道が。これは逆流性食道炎などに似た」
「やったことあります」
「ではお分かりですね。唾液や痰が入って気道を痛めてしまう。これは咳さえ収まれば自然と治ります。また、あなたは免疫が強過ぎて、自己免疫病とまでは行きませんが、内部の異常に免疫が過剰に働きます」
「角膜潰瘍を何度もやっています」
「はいそれでしたら原理はお分かりですね」
「はい」
「これを納めるには、ステロイド治療が最も適していると思います。風邪などの感染症の可能性のために抗生剤、消炎剤、去痰、咳止め、アレルギーはありますか?」
「猫と花粉ですね」
「抗アレルギー剤も入れておきましょう。これを全部飲んで頂いて、全く良くならないか、むしろ悪化したらすぐにまた来てください」
完璧だ。一手のミス以外は。それが、若く知的な者が犯しがちな一手違いの大破産である事を、知的でもなく若くもない患者は、しかし経験則的に良くわかっていた。こういうのを老獪さというのであろう。一手違いで失敗することを許して、老獪さもないものだが。
投薬を受け、(以後、酷い状態ではありますが宣伝)来年の2・22に恵比寿リキッドで行う、2013年のHOT HOUSE第一回である<HOT HOUSE恵比寿/サヴォイ・ボール「リキッド」ルーム>の打ち合わせを兼ねた忘年会に行き(新宿/台湾料理「青葉」)、アモーレ&ルル、大谷能生、高見P、日向さやか、IZUMI等、ホットハウスオールスターズと焼き鴨などに舌鼓を打ち、台湾の老酒にレモンを入れて飲んだり喋ったりしていたら、急激に悪寒がして、つまり開始の空砲が撃ち上げられて、突如発熱が始まったのである。
数時間前「先生、7年前にインフルエンザA型やった時と感じが似てるんで、いまチェックしてもらえませんでしょうか?」と、一言添えるのを躊躇してしまっていたのは、そこに至る話が長くドラマティックで、しかも最後のその一瞬(「何と今朝からインフルかも?」)で「長い話が総てがブチ壊し」になるような気がしてしまっていたから。つまり、話の構成美に引きずられたのである。美意識と運命のいたずらに翻弄される醜く咳の止まらぬ中年紳士。バルザックの小説のようだ。
12月20日(木曜)
早朝9時は就寝時間であるからして、「お休みなさいの前に(診察開始したばかりの)病院に行ける」。という事で、それがどれほど得な事なのかまったく判断がつかない。思考力の急速な低下。既に菌の繁殖が行われているのである。得でも損でもなんでも良いのでとにかくタミフルが欲しい。と思いながら、今度は検索なしで(出来た状態ではない)適当に近所の内科に行く。
ガラっぱちで年老いた(「歌舞伎町で医者やって30年目よ」風な)医師は、こちらの話を雑に聞き流し、生ゴミの塊でも覗き込むような目つきで患者の喉を見ると、「うっわ腫れてらあ。あんまりでかい声張り上げちゃダメだよ」といった台詞を笑いながら言った(ここら辺から記憶が定かでない。以下は夢かもしれない)。
「いやあでもラジオで喋る仕事してるんですよ」
「静かに喋りゃあ良いじゃない。夜中なんかアナウンサーも静かでしょ」
「いやあアタシがやってる番組は、はいどうもー!今夜もやって参りましたー!みたいな、張り上げないとダメな奴なんすよ」
「頭おかしいねあの騒ぎね。はい検査します」
鼻の中に綿棒を突っ込まれるのは7年ぶりである。「突っ込まれたけどインフルエンザじゃなかった」という経験も2~3度したが、どちらも歌舞伎町に来る前だった。
前の奴は所謂<胃にも来る類いの奴>で、39度で起き上がれないまま嘔吐し、つまり真上に吹き上げるようにゲロを噴射し、越したばかりの歌舞伎町の、お洒落なフローリングをもんじゃ焼きのようにしてしまったりしたのだが(良く憶えているのだが、その瞬間最初にした事は爆笑だった。誰も観ていないエクソシストのパロディ演劇である。記憶では3分間位笑い続け、そのまま寝た)、今回はオーセンティックな局所集中型で、とにかく耳鼻咽喉にのみ激痛、そして悪寒、関節痛、で、それらの威力、特に一晩で2度近く体温が上昇する、という定番の症状によって、それがインフルエンザであることは検査結果など待たなくても明確だった。
しかし看護婦は律儀に検査室に退場し、5分後に再登場し、検査結果を書いた紙を内科医に見せる。内科医は田舎のシェイクスピア劇といったような驚愕の表情で、検査結果を所謂「二度見」して、患者ではなく、看護婦に向かって「こんなに?」と言い、看護婦は非常に小さな声で「はい、、、」と言った。
内科医は「はいA型。間違いなし。タミフル出します」と、腰を引かせながら言い、マスクをひとつ患者に放り投げた。
「これを?」
と言うと「いやだから、それをして!早く!」と言い、更に数センチ後ろに下がった。
「外でないでね。熱が下がっても3日は休む事」
コンビニでランチパックを買い、最初のタミフルを流し込んだところまでは、曖昧ながら記憶がある。後のサイケデリクスはとてつもない。故・立川談志は「マリファナなんざいらねえ、二日も徹夜してセブンスター吸やあ、十分飛べる(だから、マリファナ解禁論者なんて、想像力に欠けた馬鹿だ)」という、至言のようなみみっちいような事を言ったが、まあ似たような物だ。50近くなってインフルエンザで発熱し、タミフルを飲めば、アレもコレも要らないだろう。認識能力が何とか回復するのは3日後である。
12月21日(金曜)
12月22日(土曜)
換算すれば約70時間のあいだ、記憶しているのは着替えた事、体温が最高で39・8度に達した事、目が見えなくなった事(光を失う、全盲的な感覚ではなく、文字は見えるが全く読めない。という感じで、これは経験するとひっじょうに面白く、とにかくメールを読んでも書いても、何をしているか解らない。7年ぶりで、またしても最初にした事は爆笑である)、壁に体当たりしたこと(ソフトに。何度も)、出前を大量に取って、喰い散らかした事(パエリアとタパスを1万円位買った。配達員には「わたしいまインフルエンザでね、あなたにうつすとね、大変だから。パエリアは入り口においてね。お金は1万円おくから、おつりは床に置いて、わたしに触らないで帰ってね。触ったらあなたクビになっちゃうと悪いから。クビになったら困るでしょこのご時世さ」と、超人的な交渉術を披露してみせた。何故人間とはこんなにも病中に超人化するのだろうか)、マネージャーと、公演の延期並びにラジオの在宅電話出演の打ち合わせをしたこと(内容は一切憶えていない)、あとは天啓をかなり受けた。というだけで、要するに熱病体験に還元するならば、中の中、といった所だろう。
15年前の熱病の話は、あちこちに書きなぐったので書かないが、42度が2ヶ月続いた。諧謔ではなくリアルで書くが、このときが「超気持ち良い(何せ臨死したので)」だとすれば、今回は「なんかちょっと気持ちよくね?」といったレベルである。天啓とは別に(天啓は文章化できない)、発熱で瞭然と解る事は、「どこが疲れていたか(どこを酷使していたか)」で、これは発熱の大きな恩恵の一つである。今回は目と腕が際立っていた。
メルマガによって、習慣的に大量の文章を書くようになったからだ。「うそー、いつも書いてるじゃん長文」というファンの方も居ると思う。ファンの方に言う言葉ではないが、その方はウスラである。「ゲッツって一発屋いたねー」というのと同じだ。少なくともダンディ坂野は現在5本以上のCMに出ている筈である。
こちらはウスラ以下だ。我ながら健康に気を使っていると思って行動した結果がコレである。しかも、さほど悔恨感が無い(公演延期だけを除く。公演中止は1998年、前の熱病以来である。これだけはド痛恨の極地で、これはマジだが、スネで涙を拭きながら泣いた。が、年の功、しばらくして気丈にも泣き止み、エイハブ船長並みのリベンジを誓う)。身体が殺生を嫌うのだと思う事にする。