特にお若い方、またはお若くなくてもファン歴の浅い方だと思うんですが、浜の真砂は尽きるとも世に不安症の数は尽きまじと申しまして、<NHKの臨時ニュースで菊地さんの訃報が流れる夢を見た>とか、<このまま声も出なくなってしまって引退されてしまうのかと思うと>とか、<60歳は男の厄年です。厄払いはなさっていますか?厄払いで有名な神社として、以下略>(*菊地より、なさっておりません。僕は皆さんが想像しているより遥かに勤勉な生活神道の信者で、365日、毎日神棚の水を取り替え、柏手を打って二礼二拍手一礼、毎年詣でる初詣での願懸けでは常に「身体安全」を願っており、つまり「厄年」というのは、不信心な者への柔らかい脅しと考えておりますので、厄年に厄払いは今までしたことがありません)といったお声が寄せられておりますが、どうかご安心ください笑。
オールドリアルタイムファンの皆様であれば(今後、80年代後半
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コメント
(著者)
>>22
そうですね。僕の整体師である片山洋次郎は野口晴哉の傍系ですんで、「風邪の効用」は一つのメルクマールと言いましょうか、そもそも僕は普通にイエローマジック(東洋の魔術でも西洋の魔術でもない、あるいはその融合)で、新体制に関しては東洋的です。病が僕を変えるよりは加齢が僕を変えると思うんですよね。そこは楽しみにしています。
(著者)
>>23
いやあ全然うざくないですねえ笑、もうこの歳になりますと、素敵な女子とか、気のおけない女友達とかに「肩揉んで〜」とか甘える気も甘える機会も失いますから笑、グローバル治療院(てもみんを包摂するリラグゼーションサロン)まで出かけるしかないんですけど、やっていただけるもんならやっていただきたいですよ笑、小倉の話ししながら揉まれますんで笑
(著者)
>>24
すごい切実なのきちゃったなあ笑。僕は、人間が「クリアで良い音」を探求する欲望は捨てないと思うんですよね。ただそれはもう、こないだJBLのイヤホンの広告塔仕事しましたけど、そっちにそっちに行ってますよね。僕的にはシン・ウォークマンですけど笑。
少なくともココンチの方にレコ芸廃刊が刺さってる人いないと思うんで笑、おヒマな方は、「菊地が<レコ芸休刊と坂本隆一逝去と、グラモフォン映画「TAR」の賞レースコケを三題噺にして、日本におけるクラシックのありがたみは第二期に入った。って言ってた」ってフレまくってください笑。
(ID:2034656)
>>ゴールド会員の方は笑、震える子羊と化している方々へ、お声がけなどしていただけるとありがたいです。
とのことですので、自称ゴールド会員……と書いても良いかな……『Degustation a Jazz』もタワーレコードに平置きで並べられているときに購入したし、その歌詞カードには後に、映画美学校で『はなればれなに』が上映されて菊地さんが解説を務められた際にサインも貰ったし、当時からブログも読んでいるし……という者です。
先日の『大恐慌へのラジオデイズ』(第111回「軍港と難問」」)にて菊地さんが、近田春雄さんの弁と共に語っておられたアーティスト、クリエイターが「落ちる」瞬間ですが、僕は菊地さんに対して1度だけそう感じた事があります。その瞬間は菊地さん作の音楽の中にではなく文章のなかに現れました。
難しい、と言われることもある菊地さんの筆ですが僕はそれまで(&その後も)そう思ったことはなく、しかしある時期だけもうまったく菊地さんが何を書いているのか分からなくなったことがあります。まるで宇宙人の言葉を読んでいるようであの時は「菊地さん、大丈夫かいね……だめかもしれん」と思いました。具体的にはいつの時期かは忘却してしまったのですが(そういう時期のことは僕=ファンも忘れたいのでしょうね(笑))、DCPRGもぺぺも順調に稼働中、『粋な夜電波』はまだやっていない位の時期で、ようは音楽家として表現者としてバンバンに乗っていて、もう乗りすぎなくらいな時期だったのではないかと思います。その乗りすぎなのがやばかったんじゃないかな、などと今の(ファン)目線からは思います。ハイでハイにハイであったのではなかろうか、とでも申しましょうか。
菊地さんご自身が時たまおしゃっているように、巷、怖いイメージを持たれがちな菊地さんではありますが、多くの心身の疾患に罹ってきた方であります。ご本人もさんざそのことは触れているのにも関わらず、人々の語りの中でその点がほとんどクローズアップされないのは面白いほどのことです。僕は今年で38歳になりますが、ギリギリの記憶として、石原裕次郎や勝新太郎が病魔によって亡くなったことを知っており、そして尚且つまったく病弱に見えなかったことが印象として残っています。かのマイルス・デイヴィスがその生涯において常に身体の痛みに晒されていたことは菊地さんのご著書『M/D』を読めば分かると思いますが、マイルスに対して病弱というイメージは残されていません。
なぜか、といえば彼らが病魔すらも……というか病魔こそを自らの力にしてきたからに他なりません。病魔を自らの力にする者は病弱のイメージを持たれることはありません(逆説的にどんな小さな心身の変化でも力に出来ないものは病弱のイメージを持たれます)。
菊地成孔という人もそういう人の1人です。(繰り返しますが、ご自身でこれだけ過去、及び近/現在の疾患歴のことを語っているのにも関わらず、その部分にほとんどフォーカスされないのは面白いくらいのことです。)
上記した通り「落ちた」と感じたのはハイでハイにハイであったであろう時で、もう明け透けに書いてしまえば順調で大きな問題もなく……という時こそが菊地さんが一番やばいときなんじゃないかな、と自称ゴールド会員としては身体的な反応で感じています。
目病み女に風邪引き男、とは申しませんが、ストリートマンの視点で見ても厄介ごとに対処している時の男ほど格好良いものはなく、ストリートではそれが平時でありそれが多くのクリエイトと知恵を産んできたのだと思います。
菊地さんの文章の意に反すようですが、病気をやはり病魔と捉えて、そのうえ上で古来からある悪魔と踊るという言葉を引用します。ヒエロニムス・ボッシュやパガニーニの話を例に出すまでも無く、(西洋の視点ではありますが)音楽と言うのは悪魔のものであり、優れた音楽家のそばには悪魔がいました(と西洋では捉えれられてきました)。その視点でみても優れた音楽家である菊地さんが病魔という悪魔に罹りながらもそれを力に変えるということは不思議ではありません。それは、菊地さんの文章の意にあるとおり、病気を病魔と取られていないからこそできるものなのでしょう。
と書いてきましたが、要約すればこれは菊地成孔というアーティストにとってこれは平常運転です。そして更なる作品を生むのは間違いありません。というのがゴールド会員wの雑感でありますw 端的に書くとこの事態にも全然不安がないのです。
ですので、菊地さんのさらなる作品を楽しみに待っております。