虎山 のコメント

>>ゴールド会員の方は笑、震える子羊と化している方々へ、お声がけなどしていただけるとありがたいです。

 とのことですので、自称ゴールド会員……と書いても良いかな……『Degustation a Jazz』もタワーレコードに平置きで並べられているときに購入したし、その歌詞カードには後に、映画美学校で『はなればれなに』が上映されて菊地さんが解説を務められた際にサインも貰ったし、当時からブログも読んでいるし……という者です。

 先日の『大恐慌へのラジオデイズ』(第111回「軍港と難問」」)にて菊地さんが、近田春雄さんの弁と共に語っておられたアーティスト、クリエイターが「落ちる」瞬間ですが、僕は菊地さんに対して1度だけそう感じた事があります。その瞬間は菊地さん作の音楽の中にではなく文章のなかに現れました。

 難しい、と言われることもある菊地さんの筆ですが僕はそれまで(&その後も)そう思ったことはなく、しかしある時期だけもうまったく菊地さんが何を書いているのか分からなくなったことがあります。まるで宇宙人の言葉を読んでいるようであの時は「菊地さん、大丈夫かいね……だめかもしれん」と思いました。具体的にはいつの時期かは忘却してしまったのですが(そういう時期のことは僕=ファンも忘れたいのでしょうね(笑))、DCPRGもぺぺも順調に稼働中、『粋な夜電波』はまだやっていない位の時期で、ようは音楽家として表現者としてバンバンに乗っていて、もう乗りすぎなくらいな時期だったのではないかと思います。その乗りすぎなのがやばかったんじゃないかな、などと今の(ファン)目線からは思います。ハイでハイにハイであったのではなかろうか、とでも申しましょうか。

 菊地さんご自身が時たまおしゃっているように、巷、怖いイメージを持たれがちな菊地さんではありますが、多くの心身の疾患に罹ってきた方であります。ご本人もさんざそのことは触れているのにも関わらず、人々の語りの中でその点がほとんどクローズアップされないのは面白いほどのことです。僕は今年で38歳になりますが、ギリギリの記憶として、石原裕次郎や勝新太郎が病魔によって亡くなったことを知っており、そして尚且つまったく病弱に見えなかったことが印象として残っています。かのマイルス・デイヴィスがその生涯において常に身体の痛みに晒されていたことは菊地さんのご著書『M/D』を読めば分かると思いますが、マイルスに対して病弱というイメージは残されていません。

 なぜか、といえば彼らが病魔すらも……というか病魔こそを自らの力にしてきたからに他なりません。病魔を自らの力にする者は病弱のイメージを持たれることはありません(逆説的にどんな小さな心身の変化でも力に出来ないものは病弱のイメージを持たれます)。

 菊地成孔という人もそういう人の1人です。(繰り返しますが、ご自身でこれだけ過去、及び近/現在の疾患歴のことを語っているのにも関わらず、その部分にほとんどフォーカスされないのは面白いくらいのことです。)

 上記した通り「落ちた」と感じたのはハイでハイにハイであったであろう時で、もう明け透けに書いてしまえば順調で大きな問題もなく……という時こそが菊地さんが一番やばいときなんじゃないかな、と自称ゴールド会員としては身体的な反応で感じています。

 目病み女に風邪引き男、とは申しませんが、ストリートマンの視点で見ても厄介ごとに対処している時の男ほど格好良いものはなく、ストリートではそれが平時でありそれが多くのクリエイトと知恵を産んできたのだと思います。

 菊地さんの文章の意に反すようですが、病気をやはり病魔と捉えて、そのうえ上で古来からある悪魔と踊るという言葉を引用します。ヒエロニムス・ボッシュやパガニーニの話を例に出すまでも無く、(西洋の視点ではありますが)音楽と言うのは悪魔のものであり、優れた音楽家のそばには悪魔がいました(と西洋では捉えれられてきました)。その視点でみても優れた音楽家である菊地さんが病魔という悪魔に罹りながらもそれを力に変えるということは不思議ではありません。それは、菊地さんの文章の意にあるとおり、病気を病魔と取られていないからこそできるものなのでしょう。

 と書いてきましたが、要約すればこれは菊地成孔というアーティストにとってこれは平常運転です。そして更なる作品を生むのは間違いありません。というのがゴールド会員wの雑感でありますw 端的に書くとこの事態にも全然不安がないのです。

 ですので、菊地さんのさらなる作品を楽しみに待っております。

No.1 18ヶ月前

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