昨年の春にDC/PRGを解散したのは、端的にミッションを終えたからで、それは「戦争とアメリカ」ということだった。その後世界はその通りになり、つまり戦争とアメリカの時代は少なくとも一旦は終わったが、更に深く酷いことになった。深く酷い世界に対して、顔をしかめるのは児戯にも等しい。酷い世界に対して、嘘でも元気ぶり、作り笑いで家を出るのも。
「もうバンドはやらないでおくべきか、やるのか?」を考えた。もう歳も歳だし。そして、昨年の秋頃から「来年(22年)は、コロナだオリンピックどころではない酷い世界になる。途轍もないことになるだろう」という直感が働き、そのための音楽が必要になる。第一には自分に。そして年が明け、直感は当たった。いつだって現代は混迷する酷い社会だが、今の現代は今までの現代よりも酷い。バンドを結成することにした。年齢的に言っても、高い確率で人生最後のバンドになるだろう。上手くゆくと20年ぐらいはやるので。
「ラディカルな意志のスタイルズ」は、米国の女性評論家、スーザン・ソンタグの代表的な著作の一つで、愛読書でもあるけれども、音楽とは一切関係ない(というか、音楽と書物が関係を結ぶことはできない。「楽譜集」という書物でさえ、音楽とは、偽りの関係しか持っていない)。長い間、翻訳書名が「ラディカルな意志のスタイル」だったのが、2018年から完全版となり、「スタイルズ」に改まったので、「これはバンド名みたいだから、いつかバンドを作ったら名前を借りようっと」と思っていた。その時が来たのだ。せっかく日本語の名前をつけたので、バンド名を他国語には翻訳しない。
<インストルメンタルのダンスミュージック>、以上の説明がつかない(ft ヴォーカルが2曲入るが)。ダンスというより、痙攣的な反射に近いかもしれない。全体的な質感は、電気楽器を使わない金属質で、メンバーは理念的には女性と男性(ジェンダーとかではなく、肉体が)が半々であることを目指しているが、初動ではまだそこまでには至っていない。活動しながら半々に向かう予定だ。ビジュアルは全て、日本のブランド「HATRA」が担当する。
ライブは、解散まで全て、公演名を「反解釈」とする。9月14日(水)が「反解釈0」で、11月27日(日)が「反解釈1」となり、以降、カウントが続けられる。衣装が完備されるのは「反解釈1」からである。今後、「ライブに来てくださいよ」というのは「反解釈に来てくださいよ」と言い換えられることになる。
僕は音楽家として「自分に必要なもの」と「世の中に必要なもの」の差をわきまえている。どちらもとても必要であり、音楽家の責務であると言える。<音楽家は芸術家で、自分のためにだけ音楽を作るのだ>という衝動もなくはないが、実際にやってみるとそれは無理だ。<自分のために作ったものが、結果、その時代を作った=社会に必要だった>という偉大な例もあるが、おそらく僕には無理だ。そもそも「自分のためだけ」に音楽を作れると、最初から思っていない。
だが「ラディカルな意志のスタイルズ」は、今まで組織してきた運動体の中でも、最も「今、社会に必要なものは何か?」という、一種の社会主義に1番法っている。勿論、政治経済理論における社会主義ではない。ただ、両者は全く無関係でもないが。少なくとも、時間感覚の変容を、社会が必要としていることは間違いない。
ここまでをまとめるとこうなる「今、音楽社会主義的な見地から、社会に必要だと思われる音響や律動、音色や空間の総合体は、電気を使わない金属的、痙攣的なもので、それを発する集団は男女比率が半分ずつを目標としており、聴衆は<反解釈>に集合することになる。<反解釈>が成功すれば、時間感覚は変容し、社会はより良くなるだろう」。要するに、愛も、性も使わない快楽。ということだ。とうとうここまで来たか。という思いである。
菊地成孔(ラディカルな意志のスタイルズ)
*ロゴ制作
Graphic Design: Albatro Design
Art Direction: HATRA
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