菊地成孔(著者) のコメント

菊地成孔 菊地成孔
(著者)

>>27

 ご存知だと思いますが、自称ベトナム帰還兵トラヴィスの正義の行動(大統領候補を射殺)はSPに阻まれ、成功しません。というか、トラヴィスの狂気の中に包摂された「止まらない正義と怒り」は、対象を選ばないので、売春宿のピンプたちに炸裂するわけですが、僕はこの作品をかなり重要だし好きでもあるのだけれども、少女買春をしているジョディフォスターを更生させ、親から感謝の手紙が来る。というオチはスコセッシの要らぬ優しさだと思っています。

 それは兎も角、この映画に衝撃を受け、「個人的な狂気に包摂された、理不尽な正義感や怨念の誤爆」を描こうと、日本もあがきました。しかし、日本には改造銃(トラヴィスの拳銃自体はそこらで売っているものですが、それを仕込む装置は手製で、肉体も犯行用に改造されてゆきます)のカルチャーはありませんでしたし、PTSD持ちの帰還兵なんていませんでしたし、少女買春が社会的な問題になってもいませんでしたので、模倣は難しかったです。

 僕は、SNSの中の正義感と怨念はトラヴィスの脳内と同じと思っていますし、死刑にして欲しくてスプリーキラーになる、と言ったある意味で甘えたメンタリティは日本社会に充満しているけれども、要人の殺害にまで至るのは、特に、ある季節的な祝祭的高揚の中で、安倍晋三が標的になっていたのはうっすら知っていたけれども、現役首相には実行は出来まい、と思っていて、実際に任期中に安倍晋三首相は襲撃もありませんでしたが、ほんのちょっとのタイミングの違いで、今回の事件になりました。

 では、奈良のトラヴィスは成功させたの?と問われれば、わかりません。安倍晋三氏は亡くなりましたが、トラヴィスに訪れる挫折も成功も、トラヴィスにはコントロールできないからです。「タクシードライバー」が優れているのは、エンディングのヒューマニズムという濁点を含めてもなお、トラヴィスの個人的な狂気に包摂された正義感は、能動的には何も達成されることはない。ということを描いている点です。

 76年の作品で、ニューヨークが浄化される前の、一番ひどい時期を描いています。そして46年後の日本は、どこがあの時のニューヨークに、どこが今のニューヨークに、といった区分なく、タクシードライバー型の事件が起こるまでに、何かが悪化、というか、汚化したわけですが、僕はそれがSNSだとしか思えません。SNSの恐ろしいところは、有効性や善用の側面がある点です。部分的な法整備も出ているとは思いますが、焼け石に水で、今回の事件も、SNSによってトラヴィスが生まれた。という観点で語ることは受け入れられづらいと思います。僕個人が受け入れられなかったり、解離されたりするのは一向に構いません。ただ、この事件の解釈が、何か変なことに利用されるように肥大しないことを祈るばかりです。それが故人を悼む、最大の誠意だと僕は思っています。

No.28 28ヶ月前

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