菊地成孔(著者) のコメント

userPhoto 菊地成孔
(著者)

>>3

 配信鑑賞ありがとうございました!まあ、日記中にある通り、UAはああいうタイプなので極例ですが、音楽家にはトランス依存というか、盛り上がり依存みたいなものが、おそらく全員あると思うんですよ。僕もゼロとは言えません。

 ただ、ウィズコロナというコンセプトが音楽に健全にインストールされるとしたら、ですが、観客が「ムッツリ化」してゆく事に順応できないと、永遠に不満を得る事になります。

 僕は、コロナと無関係に、クラウドが、というか、人類が感情表出不全に向かってゆくのを感じており、それは社会学や精神分析学みたいな頭を使ったリージョンでも当然の事だと思いますし、経験的にもそうです。DC/PRGの最初期の頃は、演奏中に「音でかいなあこのバンド、耳やられるよ笑」と思いながら演奏し、演奏が終わりますね。すると、拍手と歓声が、演奏音より大きくて、坪口とかは、曲が終わった瞬間に耳を塞いでいました笑。恵比寿みるくで、ハノイが終わった瞬間に、PA出力より遥かに大きい歓声が突き刺さって、三半規管を直接揺らされ、ボクシングのノックアウトみたいに、足にきてステージから落ちそうになった事もあります。

 これが00年代のクラブシーンにあった熱狂で、それは段々と落ちてゆきました。大変残念な事に、震災からはガクッと落ちましたね。でも、震災がなくとも、人は段々と、複合的な理由で、ツンデレを経てムッツリに至ると僕は思っていたし、音楽家はそれに対応すべきであると思ってきました。「粋な夜電波」も、僕にはすごく示唆的で、結局あれは、録ってる時には拍手も歓声もないので、また、映画のように、後で映画館に見にゆく、みたいな事もできません。勢い、ラジオカルチャーというのは、一人で部屋でニヤニヤしたり黙って聞いたりしている人々=童貞男子のもの。みたいな図式に納まりつつあったので、僕は「それも違うだろう」と思っていて、音楽のライブ録音をパッケージして、宅配している感覚で番組を作っていました。

 現状は、コロナによって騒ぎたくても騒げない、という状況から、聴衆が状況に飼いならされ、脳内で感動しても、外にそれが出せない身体に写っていると感じており、話が些か大げさになりますが、自閉症時とのコミュニュケーションみたいな感覚を持たないと、音楽家はどんどん欲求不満になって行くと思います。

 僕の個人的な好きリングとして、自閉症時とのコミュニュケーションは、フロイディアンとして標準装備されていますが、自閉症時が極論的で、些かネガティヴな言い方だとすれば、最初に戻って、「ムッツリ」みたいな感覚、要するにエロティシズムですが、あからさまに喘げない、一種の羞恥状態から、思わず声が漏れる。というような感覚を熟知して、愛でられる事は大切だと思っており、ある意味、助かっています笑。ブルーノートでは、拍手も歓声もほとんどなく、UAの気持ちはよくわかりましたが、僕は「届いている」と感じており、要するに、無音のうちにエネルギー交換されていると感じましたし、それが中継文化の復権でもあると思っています。

No.10 36ヶ月前

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