菊地成孔(著者) のコメント

菊地成孔 菊地成孔
(著者)

>>4

 そうです。彼女は片足が湾曲していたので、両足が写るアングルの写真が一枚もありません。彼女が僕をしっかりと抱きしめているのは、僕が彼女の杖でもあったからです。彼女は僕を背負うことはできませんでした。いつも手を繋いで、二人三脚のような状態でバランスして歩いていました。「息子が心の支え」というクリシェがありますが、彼女にとって「姉(僕の生みの母)の息子が自分の体の支え」でした。僕はこの事を「障害者を介護 / サポートしている」と感じたことは一瞬もありません。彼女と僕は一心同体で、もし分離していてもすぐにまた繋がるし、何を考えているか、お互い常にわかりました。彼女が、統合失調症で幻聴を聞き、それに従おうとしている時も。

 彼女の身体能力は、これは「補償」というのですが、例えば生まれつき手のない方が、足の指で普通にタイプライティングするとか、そういう能力のことです。ショタコンの客(そのほとんどが、ダメな漁師でした)が僕にいたずらをしようとすることは日常茶飯事でした、彼女はそれを感じ取ると、物凄い能力を発揮し、片足で僕が触られているテーブルまで三段跳びみたいに突進してきて、折った割り箸をその客の顔面に突き刺しました。その多くは頬に突き刺さり、抜くのに大変な苦労を強いられましたが、時には耳の穴や目に刺さる時もありました。失明したり、聴力を失った客もいると思います。

 僕は結婚式で泣く、という事を一度しかしたことがありません。結婚式で泣くなんて本当に馬鹿げていると思っていました。彼女は障害者互助会の合同見合いで知り合った、片手のないご主人と結婚し、銚子から成田に越しました。僕が中学生の時です。式が終わり、2人を乗せた車が成田に向けて走り出した時、彼女が車窓を開けて僕の手を掴んで離さず、車が出せなくて難儀しました。彼女が「なるちゃん!なるちゃん!成田に来てな!成田に来てな!」と言いながら号泣し始めたので、僕はかなりませた中学生でしたが、崩落して座り込んでしまいました。手を繋いだままです。結婚式で泣いたのはこの時だけです。あの時ほど「繋いだ手が離れる」という感触を強く持った事はありません。その後も、その前も、僕はたくさんの人と手を繋ぎ、離しましたが、何の感触も感じません。彼女と繋いだ手が離れた時の感触は、今でも夢に出てきます。

No.16 40ヶ月前

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