菊地成孔(著者) のコメント

userPhoto 菊地成孔
(著者)

>>23

 ご指摘の「積んでゆく」脚本作法は、「新東宝調」だとご記憶ください。東宝は有名な労働争議というものがあり、兵器や兵員まで派遣される規模のものでしたが、これによって東宝は分裂します。その時に、右派にも左派にもつかなかった人々が「真東宝」を立ち上げ、立ち上げ当初は東宝とウインウインだったんだけれども、やがて分離し、疲弊し、倒産します(それによって、当時6社だった日本の映画会社は5社となり、有名な「五社協定」へと繋がります)。

 倒産ギリギリの「末期新東宝」は低予算エログロ路線になり、70年大のテレビドラマ(天知茂の江戸川乱歩シリーズとか)で再生しますが、立ち上げ当初の「初期真東宝」は、そこそこの予算を持ち、のちの東宝大スターになる森繁、三木、伴淳(「名探偵アジャパー氏」もご覧になると、路線がかなり明確になると思われます。これも「初期新東宝」の傑作です)らを主演に、ご指摘通り、「ワンエピソード進んでは次のエピソードを考えて、積み重ねている」ような、全く先が読めないラディカリズムを標榜し、邦画マニアの間では「初期新東宝」としてカテゴライズされていましたが、最近まとめてDVD化されました。

 東宝(というか、旧5社)が周期的に行う「○○フェア」「○○年記念」のコンテンツ商売の尻馬に乗ったとしか言いようがないのですが笑、大変ありがたいことです笑。積み上げ式のラディカリズムは、脚本家や監督のものではなく、プロデューサーの方針でした。要するに会社カラーですね。

 「スラバヤ殿下」は、因みに日活でして、新東宝カラーとはまた違った、一見ラディカルだけれども(ラッツ&スターみたいに顔を黒塗りにし、他のどの作品よりも踊り歌う森繁には驚嘆を禁じえませんが笑)、菊田一夫ミュージカル、キノトール系のウエルメイド作品です。

 後に小林信彦が「森繁病」とする「アチャラカ喜劇で財をなすと、喜劇役者がヒューマニズムやシリアスさに向かう」傾向は(ご指摘の「自分が知っている森繁の顔」は、この状態の顔です)、小林信彦の同時代感覚に偏りすぎた指摘で、映画史的に言えば、森繁は「スラバヤ殿下」の時点で(ネタバレますが)、もう大泣きに泣くシリアスと、アチャラカを二刀流で乗りこなす天才でした。小林信彦は「森繁病」と言わず、「森繁渥美清病」とすべきでしたが、現場の人なので言説に説得力と同時に偏向がありすぎ、ジャズ批評でいうと中山康樹先生と同型です。

No.29 41ヶ月前

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