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【自然災害メモリアル】第335回:蝦夷駒ケ岳大噴火(1640)の日 [防災]歴史上の飢饉は噴火起因も少なくない、飢饉に耐えた当時の施設

2019/07/31 21:00 投稿

  • タグ:
  • シリーズ:自然災害メモリアル
  • BSC24
  • 防災
  • ND
どうも、
管理者のNDです。

07月31日は、
蝦夷駒ケ岳大噴火(1640)から379年です。

当時まだアイヌだった時代の道南を襲った大噴火が発生し、
その影響は東北にも強く与えました。大沼と内浦湾中に岩屑なだれが発生した為、
内浦湾はそのまま津波を引き起こして、沿岸民は死者700人以上を数える大惨事となりました。
尚、この噴火の際に山体崩壊も起こしています。

また極めて多量の降灰は、津軽こと現在の青森県にも降り注いだために農作物には深刻な被害を
与えてしまい、その影響で歴史にも刻まれる飢饉の一つ、「寛永の大飢饉」が
この後の異常気象も相まって、引き起こされました。

今回は、
「歴史上の飢饉は噴火起因も少なくない、飢饉に耐えた当時の施設」をテーマにお伝えします。

この噴火に限らず、実は江戸時代で受けた大飢饉は、国内にとどまらず世界での大噴火が起因で
陥っているケースが結構多かったりします。
歴史上では、冷夏とだけ書かれているケースがほとんどですが、
巡り巡ってその年や前の年などに世界で大規模な噴火をしていることが結構あります。

江戸の四大飢饉の内、この寛永の大飢饉も含まれていますが、
天明の大飢饉は、浅間山の噴火が起因となっているほか、
アイスランドでもラキ火山が大噴火したうえにエルニーニョ現象も重なって冷害が発生しています。
この大飢饉は年単位ではなく、数年単位で続いたほどの大被害となりました。

ですが、これだけの大飢饉になったにもかかわらず、藩によってはほとんど餓死しなかった
地域など、防災面を当時からしっかりしていた所はそれだけの結果が出ている地域もあります。

姫路藩では、天明の大飢饉時には非常用食料備蓄倉庫である、
固寧倉(コネイソウ)が役立ち、貯蔵した穀物を蓄える設備でした。

現在ではその目的としての役目は終了しましたが、姫路市や福崎町には遺構として
いくつか現存していますので、興味があれば見に行ってみて下さい。

このように、しっかり備蓄するのとしないのとでは差が大きく出ることになります。
今回の場合は飢饉という大元なので、鎖国状態にない今の日本ではこのようなことは
起こりにくくはなりましたが、震災後などで物流もままならない状態の時は、
突発的に発生することは大いにありえます。自分だけの固寧倉的なものとして
スペースを設けるなどすると、いざという時には役に立つかもしれませんね。
お菓子なども半年近くは賞味期限が持ちますので、元々好きなものがあれば
蓄えて損はないはずですので、備蓄を始めてみると良いです。


今日の記事は以上です。
皆さんの防災意識に少しでもプラスすることができたら嬉しいです。

明日もどうぞお楽しみください。
尚、感想はブロマガコメント欄でも放送内のコメントでもお気軽にどうぞ。



明日は北海道で発生した、蝦夷駒ケ岳大噴火(1640)を紹介します。

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