『ボクタク』烏賀陽弘道著『報道の脳死』をめぐる対談
INDEX
■イントロダクション
■報道の使命とクエスチョニング
■多様性なき日本の報道
■歴史から俯瞰する記者クラブ問題
■なぜ報道は変われないのか
■パートタイム・ジャーナリスト
■“報道不在社会”を避ける道とは
■【一夜明けて・対談後記】
■次回予告
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■イントロダクション
烏賀陽弘道著『報道の脳死』をめぐる対談
報道の使命とは? 記者クラブはなぜ生まれ、今その何が問題なのか? 日本の報道はどうして変われないのか?
注目の新鋭社会学者・開沼博が、気鋭のジャーナリスト・烏賀陽弘道の著書『報道の脳死』を手がかりに、報道の課題と将来について鋭く斬り込んだ対談の記録。
◎この対談について
・この対談は、2013年1月25日にニコニコチャンネルの生放送で配信された対談です。当日の内容は、Youtubeにもアップされています。
こちら(http://youtu.be/zYSGxr3HTGg)からご視聴いただけますので是非ご覧下さい。
◎対談テキストについて
・対談内の人物表記は、(U)烏賀陽氏、(K)開沼氏 と表記しています。
・対談内容のテキスト化において、口語部分等内容の一部修正をしています。
◎対談音声の聞き方について
・『ボクタク』チャンネル購読後に配信されるメール本文の、「電子書籍で読む(本記事のみ)」のURLをクリックしてEPUBファイルをダウンロードし、EPUBリーダーにてご視聴ください。
・各章の最初に音声を聞くためのリンクが設置してあります。
・ご視聴いただく周りの環境にご配慮の上、お楽しみください。ご覧いただくリーダーによっては、音声の再生が行えない場合があります。
◎推奨環境について
・『ボクタク』のePubファイルは推奨環境として、下記のリーダーでの動作確認を行っております。 (※各URLよりダウンロードできます。)
*Readium【Windows】 http://goo.gl/6eN8k
*Murasaki【Mac】 http://goo.gl/i0tLh
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◎bokutaku.comについて
・『ボクタク』ではニコニコチャンネル以外に、ご利用の方々、運営チーム、出演者等が交流を持てる場所として、bokutaku.comという公式サイトを設けています。
サイト内の交流用掲示板で、みなさんのご要望・質問・意見などを自由に交わすなど、是非ご活用ください。
・ボクタク公式サイト
http://bokutaku.com
・ボクタク交流用掲示板
http://bokutaku.com/bbs/
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■報道の使命とクエスチョニング
K「このコーナーでは、僕が読んできた烏賀陽さんの『報道の脳死』について話したいと思います。あの、全然お世辞とかじゃなくですね、やっぱりツイッターとか…さっき僕はメディアキャラクターとして開沼はチヤホヤされて調子に乗ってるって(視聴者コメントで)書かれていましたが…それこそ烏賀陽さんのメディア上でのキャラクターって、確立されていてスゴイなと。いいのか悪いのかとは違ってですね(笑)、この本にしても、メディア論とかの大学の学部生に読ませる教科書に、あっ、なるほど(メディアの)中ってこうなってるんだ、とかにはじまって、しかし具体的なところにとどまらず、じゃあ○×ってどういう理念なのかという掘り下げにまで使えるなって思いました」
U「ありがとうございます。すごい量の付箋が付いてますね!これ全部付箋でしょ?多分僕よりよく読んでもらってる…(笑)」
K「いやいやいや(笑)…で、いろいろお聞きしたいんですけど、まず具体的な話で、さっき日揮(アルジェリア人質事件をめぐる実名報道について)の話をして、いじめの話とか、今、いろいろメディアの課題と言うか構造が炙りだされているなと感じています。実名という要素でいくと、加害者の先生(が実名で報道されないの)は、まだ犯罪者ではないって話なのかもしれない。日揮については、これが少し前だったら、新聞では言わんけど週刊誌では顔をあげるよとかって話もあったかもしれない。それが今だと、なかなかそういう方向に行かず、一方では生徒が記者会見をやって、学校をそのままにして、元通りに入試をやってくれ、みたいな話が出てくる。ところがソーシャルメディア等見ていると結構裏を読んで『いやそれは大人が言てんだろ』という見方だとか、学校の中で目立つような生徒会型のお利口さんばっかりに言たらそうなる(入試断行要求)だろうけども、実際体罰は他にも蔓延してただろうし、そういうことを相対化しないとダメなんじゃねぇの?って話が出ていたりします。烏賀陽さんはこの本の中で、少なくとも今すぐソーシャルメディアだけ(の状態)と言うか、マスメディアをなくすことって言うのは、物理的にもいろいろ問題があるだろうと言っている。加えて烏賀陽さんはここで、クエスチョニングって言ってるわけですね。それはこういう現実的な事態があった時、変にうがった見方を下世話にしていくってことではなくて、多分、純粋に考えていけば『なんで記者会見やってんの?』と『学校の意図はこうだろうけども、裏の問題はこうだよね?』って提示していくという話なんだろう(と読んだのです)けど、ここら辺どういう感じなんですか?」
U「あのね、要するに日本の新聞やテレビって、欧米だったら通信社がやってるような仕事が(自分の仕事だと思っている節があって、それで)忙しいもんやから、そういうクエスチョニング、あるいはアナリシス=分析とか、『これにはホントはどういう意味があるんだ?』っていう、本当の現実(に起きた)問題の意味づけ作業なんですが、それをね、(日本の新聞やテレビは)やらないんです。やれないし、やらないんですよ! それが僕は最大の問題やと思っているんです。だから大した意味がないんですよ、例えば、実はいじめの当事者だった先生の名前が出てるか出てないかってのは。これ正直言うと通信社のするべき仕事の話なんですよね。で、本当の報道の仕事っていうのは、もっとその表面の5W1Hの向こうにある『なぜ?』ってことを問わなきゃいけないんですよ。なぜいじめは起きるのだとか、なぜ体罰はなくならないのだとか、あるいは、なぜ桜宮高校…だっけ?で起きたのか、だとか。そこら辺に色んな問題があるんだと思いますよ。例えばものすごい進学校でもあったとか、あるいは子供の数が減っていて、例えば学校はスポーツ進学であるとかね、実績を上げるとかっていう非常な競争にさらされているとか、そういうソーシャルコンテキストってのがあるわけだよね。で、本当はそれを問わなきゃいけないわけですよ。それを問うのがクエスチョニングなんですよね。ところが日本の新聞テレビはそれをやってない。多分読者のフラストレーションはそこにあるんじゃないかな」
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■多様性なき日本の報道
K「なるほど。その新聞社と通信社の住み分けみたいなもの、本を読んでなるほど確かにと思ったんです。というのは僕も福島でちょくちょく福島支局の人…全国紙の記者さんですね、そして地元紙や通信社の方とも喋ったりするんですが、結構みんな同じ事やってるように見えるんですよね。共同通信と他の全国紙の違いと言っても、共同通信は福島民報とかに配信していて、全国紙は自分の紙に出す。でもまぁ結局のところ、同じように流れてんじゃないかくらいの構造だと思っていたんですけど、日本の構造はどうやら特殊らしい…」
U「むちゃくちゃ特殊です」
K「なんでそうなっちゃってるのかと…その方が楽だから?」
U「日本の新聞…テレビはもっとヒドいですけど、(新聞社の場合、)1日2回新聞を作りますよね? 夕刊朝刊夕刊朝刊って。しかもスタッフの入れ替えがないんですよ。ですから日本のデイリー、つまり日刊紙ってのは実は半日紙なんです。こんな短いサイクルで、しかも少ないスタッフで紙面を作ってるっていうのは、多分日本の新聞だけじゃないですかね。しかもその中で、つまり半日で現実の認識、アナリシスができるなんてことはありえないですよね。で、結局は、どの新聞社も同じ事をしてるんですよ。これは一例ですけど、3.11の直後に計画停電ってのがあった時に、全国紙が朝日、日経、読売、毎日、産経と5紙あっても、どこも同じ事を書いていたんです。しかもその内容は『東京都港区なんとか丁目何番地は計画停電なるのかならないのか』(苦笑)。輪番停電ってことで、何月何日にどこが停電っていう、はっきり言ってお知らせの部分を必死で書いていたんですよね。で、そりゃ本来、新聞社の仕事じゃないはずなんですよ、それは通信社…共同通信とか時事通信とかが東電からの情報を受けて、地名が合ってるのか等確認して、新聞社へ流せばそれで良かったんですよ。で、新聞社の仕事っていうのはそんなことじゃなくて、『なぜ、東京23区は計画停電から外されてるの?』とかね、首都機能維持とか、まぁいろいろあるんだろうけど、その判断は本当に適切なのか、場合によっては首相官邸に乗り込んで、なんでなのかってのを問わなきゃいけなかったんです。だけど、あの時新聞社は、午後6時だか7時だかに計画停電の地域割りの表が出てきたので、各社ともそれを朝刊紙面に載せるのに必死になってて、そんなことクエスチョニングできなかったと告白してるんですよ。だけどおいちょっと待てよと。さっきも言いましたが新聞は5紙あって、そのどこもが同じ地名だけ書いているんだったら、5紙もいらないはずなんです。僕がいつも思うのは、日本の新聞社は数だけは沢山あるんだけれども、同じ事を重ねてるだけなので、実は多様性がないんです。日本は新聞も沢山あるし、テレビ局だってネットワークで言えば民放5局にNHKで6局もあるわけでしょ。で、6局プラス五大紙なんだから、とてつもない多様性がありそうなのに、現実にはないですよね? この多様性の乏しさってのは、日本の新聞とテレビの致命的欠陥だと思いますね」
K「なんでだと思います? そうなっちゃったのは」
U「ひとつには記者クラブメンタリティってのがあると思います。記者クラブの発信源が一つってのが大きいんですよ。記者クラブのある所では(向こうから)ニュースが出てきますけど、記者クラブのない所からのニュースって、なかなか出てこないわけなんですよね。だからそういうニュース判断の類似性ってのが出てくるわけなんですよ。で、これは朝日も毎日も読売も産経も日経も皆、例えば金融問題では財務省の記者クラブの同じ所にいる連中が、同じレクチャーを受けて同じ事を書きますから、ニュースで出てくる事柄はもう決まってるんですね。で『ちょっと待て、財務省発のニュースばかり載せてもしょうがないから、お前、自分の独自ダネ調べてくれない?』っていうのは、これは半日ではできないんですよ。だけど新聞はどうしても出さなくちゃならない。で、夕刊の〆切までに何作るんだと、この時間だったら多分、朝刊作ってると思うんですけど、その時に『手近なものであるネタ』って言うと、どうしても記者クラブ発のものが多くなってくるんです。で、結局そうやってできた紙面を皆見てますよね。一方そういう日々を過ごしている記者たちも2年3年4年5年…先ほどの終身雇用制ですけど、それでやって行くと皆、同じようなメンタリティになっちゃいます。その記者クラブのゲームの中で抜いたり抜かれたりしているのが記者として良い記者だということになっている。独特のクエスチョニングとか、新しいどんな視点を持てるか、とかじゃなくて、例えば明日、新しい大臣人事が発表されるんだけど、『俺は今晩のウチにそれを入手して、半日だけ先に書いて得ダネにしてやる』と、そういう記者が偉いんだ、記者として優秀なんだという単一の価値観に染まってゆく…それが一番怖いですよね」
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