「原爆と原発は双子の兄弟」と語るジャーナリスト・烏賀陽弘道。3・11以前の「知らなかった自分」への悔恨が導いた原子力揺籃の地への取材行がもたらしたエピソードに、チェルノブイリを目の当たりにした社会学者・開沼博が迫る。
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『ボクタク』第5回 「“原発”と“戦後”」
烏賀陽(U)
開沼(K)
■双子の故郷を訪ねて
U「それでは後半を始めたいと思います。今日は固めな番組なんですけど(笑)」
K「そうですね、事前告知がちょっとフワッとしちゃったんですけど、後半は原発と戦後の関係について」
U「そうですね」
K「これ、烏賀陽さんがもう脱稿(※原稿を書き上げること)されたんですか」
U「ええ、実はやっと初校が出まして」
K「そうですか」
U「おそらく明日にも再校が出るので、山場なんですが、結論から言うと6月に本が、6月20何日に店頭に並ぶと思うんですけど。その単行本のタイトルがですね、非常に分かりやすいんですけど、『ヒロシマからフクシマへの道』と。英語で言うとフローム、ヒロシマ、トゥ、フクシマですね。という感じを予定しています」
K「出版社はどこですか」
U「これはビジネス社と言いまして、わりと新興と言うか、少数精鋭の出版社ですけども、私の企画にすぐ乗ってくださって、旅費を出すとまで(言ってくださった)。じゃあお願いします、ということで」
K「なるほどなるほど。そうなんですね。何ページぐらいですか」
U「ええと、結構ありますよ。200…250ページぐらい行ったのかな。あんまり書きすぎてしまって、原稿を渡したら、あれを削れこれも削れと言われてですね、滅茶苦茶苦しんだんですよね」
K「そうなんですか、なるほど」
U「どんな本かっていうのを先にこちらから説明してしまいますと、簡単に言うと核技術というものがありまして、それは核兵器と原子力発電という形で、あるいは医療用放射線ということで僕らの周りにあるんですね。しかし1945年に、核技術というのが実用化された時には核兵器だけだったんです。それが後で形を変えて原子炉になり、それが発電に使われて原子力発電所になったというふうな発展の歴史があるんですよ。それが日本にやってくるわけですね。僕らそれをアメリカの現場を訪ねて、自分がそこに身を置いてそれを記述しようと、そういう原発、過去をめぐる自分の旅みたいな、そういう本なんですね」
K「身を置くというのは、現場ルポとかを入れ込みながらと」
U「そうですね。ですから色んな所に行きまして、例えば人類が初めて核爆発、核実験に成功したニューメキシコの砂漠って行けるんですよ。年に2回だけ公開されるんです」
K「そうですか」
U「そこに行って来ました。それからロスアラモスというニューメキシコの山の中の秘密都市なんですけど、そこで原爆が設計されたという場所へも行きました」
K「へええ」
U「それから、世界で初めて濃縮ウランを作ったニューオークリッジという街が、これも当時は秘密都市ですけれども、今は普通の街として公開されているんですね。行けるんですよ。そういう所をアメリカ10箇所ぐらい回ったのかな。2ヶ月ほど旅してきました」
K「(ニューメキシコの)砂漠は年2回しか公開しないということは、普段はもう立入禁止になっていると」
U「はい」
K「どのぐらいの広さですか」
U「ええとね、ものすごい広さですよ、確か神奈川県の川崎市と同じぐらいの広さだったかな」
K「何キロ…まあでも半径数キロぐらいですかね」
U「いやそれどころじゃないです。ゲートから中心部まで30マイルありましたから、直径…半径だけで少なくとも50キロはありますよ」
K「すごいですね」
U「なので、今でもミサイルの射撃訓練所なんです。年に2回だけミサイルをぶっ放すのをやめて、観光客にここが原爆を作った、爆発させた場所だよ、と公開されます」
K「そこが面白いんですけど、というのは、今回のその福島にこれだけ人類が立ち入れない空間ができてしまったみたいな語りがあるじゃないですか」
U「そうですね」
K「でもあるじゃん、アメリカとかにも」
U「そうそうそう」
K「結構これって、やっぱり我々が気づいてないところで、原発事故には原爆開発や核兵器開発と、相当の歴史的連続性があるということで」
U「そうです」
K「つまりだから、放射線、放射性降下物という、事故、実験をやっていて、人が入れなくなっている所は結構あると。入れない所をアメリカ国内では(それ以上)作れないから、マーシャル諸島とかで実験をして、実はそこでも被曝が起こったみたいな話もあるわけですよね。これはそういう部分も見せながらの本なんですね」
U「そうですね。僕は簡単に一言でまとめているんですけど、原子力発電と核兵器というのは双子の兄弟なんですよ。それは戦争とアメリカを親にして生まれた双子の兄弟なんですね。そのアメリカ人に、どんな本の取材をしているんだ、と取材先なんかで訊かれると、僕は原子力発電と原爆、核兵器という双子の兄弟の物語を書いてますよと答えました。すると皆それは面白そうだなと言って大賛成するんですね。と話を聞いてくれるわけです。一方、日本人に原子力発電と核兵器は双子の兄弟ですと言うとね、皆すごく怒るんですよね。特に原発の関係者は、俺達のやってることが核兵器や原爆と一緒だと言うのかってすごく怒るんですよ。僕はそこが不思議だったんですよね。やっぱり日本は、何て言うのかな、ヒロシマ・ナガサキで核兵器によって大量殺戮を非戦闘員が被るという、忌まわしいイメージが核に付きまとっているわけですよね。そしてもう一つ、戦後に非核三原則というものを持ち、さらに我々は核は平和利用しかしないという、3つぐらいのタブーの領域を設けたと思うんです。原子力発電と核兵器が双子の兄弟だと言ってしまうことは、そのタブーを直撃するんですね、やっぱり」
K「なるほど」
U「ところがアメリカに行くとですね、いや核兵器は第二次世界大戦を終結させて、米軍と日本人の命を多数救っていますと堂々と言う。僕は未だにビックリするんですけれども、彼らにとってはスティグマも何もないんですよ、核兵器に関しては。そこはさっぱりしてましたね。だから、僕は今回確信したんですけれども、調べれば調べるほど、原子力発電と核兵器というのは、無理矢理にあいつは他人だというものじゃなくて、実際血がつながっているんです。日本人の悲劇というのは、おそらくこの技術が、元々は一発で一つの都市を灰にしてしまうような巨大なエネルギーを、無理矢理封じ込めているに過ぎないんだ、っていう恐れのようなものをどこかで失ってしまったことなんですよ。アメリカの核技術関係者の方が、原子力発電の関係者も軍の関係者も、原子力発電や核技術が暴走した時の恐ろしさというものにずっと謙虚なんです。ずっと謙虚で冷静なんですよ。客観視しているんです。だから安全神話と言うと、そんなものあるわけないだろうと、原発だって事故を起こすよ、だって俺達何回も実験してるもの、ってね。制御棒を抜いたら爆発する、っていう実験を何回もアメリカはやってきているからね、と平然と言うわけですね。じゃあ日本人の信じていた安全神話っていうのは、一体何だったんだろう。そういう話を僕は何度も感じましたね」
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■初心を忘れた日本の原子力
K「なるほど。日本ではどういう所を回ったんですか」
U「これは実に面白いんですけど、まずね、1955年にアメリカに留学して原子力発電所の技術を最初に学んで帰った日本人の留学生というのが生きていたんですよ。89歳。その人に会って、3回か4回ぐらいインタビューしたのかな。で、当時アメリカのどこに留学したかと言うと、シカゴの郊外にあるアルゴンヌ国立研究所という所なんですけど、そこで何を勉強したのか。当時日本は何を目的に原子力発電所の技術をその人達に勉強させたのか、とかね、そういう話です。もう一人、面白かったのは、福島第一発電所の立地を担当した東電の元副社長がまだご存命だったんですね。この人も89歳で、偶然お二人とも健在だったんで、その人達の所に行って話を色々聞いてきました」
K「なるほど。これも、ここ1~2ヶ月でやった取材ですよね」
U「そうですね」
K「大分密に」
U「やってますね。ただね、取材を始めたのは去年の6月だから、やっぱり1年ぐらいかけてますね。僕は、大体本1冊に1年ぐらいかけるので」
K「なるほどなるほど。ちなみに立地を担当した方は、今何を思ってましたか」
U「やっぱり彼は、安全神話なんか信じてなかった、と言ったんですね。原発には潜在的危険性があって、それを顕在化させないのが電力会社の義務なんだと。それは1955年当時に福島第一の準備室を立ち上げた東電の方、少なくとも東電のメンバーはそう思っていたと。社長もそう思っていたと。自分もそう思っていたという話なんですね。彼が言うには、どこかの時点でマスコミが安全神話なんてものを言い出したと。それを電力会社も真に受けて、逆に住民の説得に使ったと言うんです。自分がついた嘘に騙されるというふうに、それを信じてぐるぐる回り始めてしまったと言ってるんですね。それはかなり正直なご意見だと思いました。だからその、全く違うんですね。それは89歳の豊田さんって方なんですけど、豊田さんの世代と、例えば勝俣さんや、現行の会長社長の世代、つまり今70歳ぐらいの世代とはね、原子力の潜在的な危険性への認識が全く違うということが分かったんです」
K「なるほど。それはどの時期からって特定できるんですか」
U「日本で反原発運動が激しくなった80年代、チェルノブイリの後ですよね。その頃に、反対の説得ということが言われるようになって、そのあたりからみたいです。偶然なんですけど、80年代の中盤というのは、日本に原子力発電所をもたらした第一世代がちょうど定年退職する時期なんですよ。彼らが現場からいなくなると同時に、そういう、自分の手で原子力の技術というものを触ったことのある人が現場から少なくなっていく。その第一世代の人は面白いんですが、日本のメーカーなんか、技術力が低くて、原発なんて作れなかったって平然と言うんですね。日立だろうが、三菱だろうが、東芝であろうが、使い物にならなかったって言うんですよ。例えば福島第一発電所の1号機と2号機が…3号機はどうだっけな、ともかくゼネラルエレクトリックの技術者を連れてきて、ジェツコ村という社宅の団地を作ったんですよ。そこはアメリカ人がいっぱい住んでいて、そこのアメリカ人に皆作ってもらったんだと。そうでなくちゃ作れないから、1号機は外国製なんだと。次の2号機3号機になってようやく、勉強しないとどうしようもないから、日本のメーカーを下請けに入れてもらった。そこから全てが始まっていると言うんです」
K「ふーむ」
U「もう一つ面白いのは、その電力会社の人が言うには、(日本の)官僚なんて、俺達が原発の技術を教えてやったんだと。その人は、英語の文献を翻訳して格納容器という言葉を作った人なんですね。彼らは英語の文献を見て、このコンテイナー(container)って何じゃと、これは格納容器だぞという訳語を開発した。言ってみれば杉田玄白みたいな感じで、ターヘル・アナトミアをオランダ語から日本語に翻訳しているわけ。そんな人達にすれば日本の技術なんてタカが知れてると思っているんですね。だから彼らは逆にすごく謙虚なんですよ。技術に関して。日本ではこういう人達によって高度経済成長がなされたんだと思いました。逆に言うとですね、彼らは自分達の身の程を知っているんです。アメリカの広大な土地で生まれた原発という技術を、日本みたいに狭い所に無理矢理持ってきたことも分かっていました。だから僕は、そういう89歳のおじいさんと話をしていて、ものすごく違和感がなかったんですよ。今の電力会社の人達と話しているのと比べて、何かね、別の文化の人達という感じがしなかったんですよね。ちょっとそういうことをあとがきに書いてもいいかな」
K「それはすごい面白いですね。何かある種の専門家だけの議論の時って意外と冷静で」
U「そうそうそう」
K「放射線が安全か危険か論というのも、こういう見方もできるし、こういう見方もできるし、ってそれまで言ってたものが、そこを一般市民に見せ始めた時に、一部だけが切り取られたりとか、パニックを抑えなくちゃみたいな正義が働いてしまったりした結果、すごく偏った部分だけが専門家の中で炙りだされていってしまったと」
U「そういう契機がありますね。それがまさに独り歩きするということですけれども。安全神話にしても、専門家はそんなことはないと思っているのに、例えば新聞がそれは安全なんだと報じてきた。例えばよく言われることは、軽水炉というのは、原子炉の周りに水があるじゃないですか。それを沸騰させるわけですけど、沸騰させると水の密度が下がるから、核分裂のスピードそのものが落ちる。つまり、核反応が進めば進むほどそれに対するブレーキも働くので、暴走しないんだっていう言説があったんですね。これは、1960年代にはアメリカで実験が行われて、いやそんなことはなくて、やっぱり暴走すれば最後は爆発する、っていうのが確かめられているんですよ。ところが、その自動制御性、自己制御性みたいなのが独り歩きするんですよね。文献を読んでいると。僕は朝日新聞時代に、科学部の先輩からも同じようなことを聞いたことがあって、案外根強いんですよね」
K「減速材の話」
U「減速材の話ですね」
K「僕もその通り聞いてました」
U「そうでしょ。前からね」
K「はい」
U「減速材っていうのはそういう話になってますよね」
K「ですよね。でも実は、素人さんに分かりやすくという中で、そういう話になっちゃうんですよね」
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■原爆のスティグマと日米の乖離
U「やっぱり日本の場合は、ヒロシマ・ナガサキとの連想が強いですから、核の技術つまりナガサキヒロシマで生きた人間を10何万人焼く、バーベキューのようにね。その、炭のようになった人間の姿が頭にちらついて、あれと同じエネルギー反応というのが、あの建物の向こうで行われているのかという連想ですよね。これはやはり日本独特ですよね。やはり日本の場合は結局核に対する、開沼さんに教わった言葉だけど、スティグマが強いので、それに対する中和剤と言うか、毒消しの作用が強いと思うんですよ。どっち(核兵器反対も原発安全神話)も激甘なんですね。だからどっちも極端、ベクトルが反対なだけで、議論が極端になってしまうんですね。アメリカにはそれがないんですよ。被曝の捉え方、つまりナガサキヒロシマのトラウマと言うか、スティグマがないので、それを打ち消す必要がないんですね、彼らには」
K「それは議論にもならないってレベルで考えていいんですかね」
U「核兵器のトラウマがないですね。議論に上がってこない。むしろ彼らが原発の安全性ということを論ずる時に持ち出すのは、やっぱりスリーマイルですね。一方に全面核戦争の恐怖というのもありますけれども、一応冷戦が終わったので、それはないだろうみたいな感じで」
K「(全面核戦争は)実際起こってないからイマジナルなまま」
U「そうですね。日本のように、アメリカ人の同胞が核兵器で焼かれてバーベキューみたいになっちゃった、みたいな体験がないわけですから、日本はすごく特殊と言うとまた怒られるんですけれども、やっぱり国際環境としてはそういう被爆体験、核兵器体験を持っているがゆえに幸運でもあるし、不幸でもあると思う。両方あると思う」
K「あるでしょうね」
U「これはもう日本人のDNAに入っているとしか言いようがないというか、核兵器で一般市民が、非戦闘員が大量殺戮された歴史を全てオミットして、視界から排除して、俺達は原子力を見ようぜ、と言っても無理だものね。歴史的事実は消せないですから。だからもうそれはしょうがないとして、何て言いますかね、さっきの議論に戻るんですけど、僕がこの本を書きたいと思ったのも、そこにあるんですよ。福島第一事故が起きた時に、僕が多大な反省をしたのは、福島に原発があるということが一切自分の意識に上ってなかったことなんです。自分で現地に行って思うのは、そこになぜ原発があるのか、あるんだっていうことに、自分が途方もなく無知であったと。その無知と言うか、空白を埋めたいというふうに思いましたね」
K「はい」
U「ではなぜ福島に原発があるのか。日本人というのはヒロシマという場所で、ナガサキという場所で核の技術が最悪の形をとったらこうなるんだということを、烙印を捺されるように教えこまれたはずなんです。だけど、今回の福島で起きたことは、やっぱり同じ核技術の最悪の姿が、同じこの国土で繰り返されたということですよね。これも歴史のアイロニーだと思うんですよ。それをもう、むやみに否定しないで、現実をたどってみようと。ヒロシマに核爆弾が落とされてから、それが巡りめぐってアメリカで原子力発電所になり、日本人留学生が学び、東電の豊田さんがそれを使おうと言い出し、福島にゼネラル・エレクトリックが建てましたという、その歴史をたどってみないと、洗い出してみないといけないと。洗い出して、議論の俎上に乗せて、原発がそれほど忌まわしいものなのか、核兵器との連想はそれほどいけないものなのか、両者は全く分けて考えるべきなのかという議論をちゃんと事実に基づいてやり直したいと思ったんです。僕自身が納得したかったんですね。それが大いにあります。ちょっとカッコつけた言い方をしますけれど、自分の知らなかったことへの罪悪感のバネみたいなものがあるんですよ。知らなかったがゆえに大事なことを見過ごしてきていたと。今回だけは知らなかったということがないようにしようっていうことですよね」
K「なるほどなるほど。そういう負い目と言うか、後ろめたさみたいなものの問題って結構あるかなと思っていて」
U「あると思いますよ」
K「でもそれを、そういうふうにちゃんと知ろうって方向に行くといいんですけど、逆に煽ろうっていう方向とかに行ってしまいがちな状況で…むしろその方が多いのかもしれないと」
U「だけど、事実に即した根拠を持たない議論って意味ないですからね。それは社会が混乱するだけで、原発が暴走して放射能がばら撒かれたというだけでも十分大変なことなのにね。この根拠のない無意味な議論で社会をひっかき回すことは、日本という国がこれだけ衰退過程に入っている中では、やっぱりもうできないんですよ。それはもっと平時の、経済に余裕のあった時期の贅沢なような気がするんですよね、空理空論で議論のための議論で遊んでいるというのは」
K「そこにまあ、正確じゃない情報を流すような人もいるとかって話もありますけれども。そうなっちゃったのは何でですかね」
U「そうですね、さっきも言いましたけど、やっぱり日本人にとって核をめぐる議論というのは、核兵器にしても原子力発電についても長らくタブーだったんですよね。それを封印してきたわけです。ですから、原子力ムラが閉鎖的で悪いというふうに皆非難してますけど、その箱に封印をして外に出さなくてもいい、俺達は見たくないって言ったのは、実は僕らの社会なんですよね。僕らはそのツケを払っているだけなんですよ。今それを何とかしたいと思うんです。社会でこれは議論しなくてもいいだろう、あるいは議論しても忌々しい、忌まわしい、不吉である、あるいは不謹慎である、とかあるいは死者に対する冒とくである、みたいなね、そういう事実よりも感情に根付いた議論というのも、またこう言うと怒られちゃうんだけど、だからと言って免除されない、免罪されないと思うんですよ。例えば、原子力発電を肯定すると、それは被爆者、ヒロシマ・ナガサキに対する冒とくだと、まじめに言ってる人がつい1990年代までいましたからね。そんな土壌でしたから、もうそれはやめたいんですよ僕は。例えば単純な話、ウランを燃やすとプルトニウムが出るねと言った時に、いやいや私達はプルトニウムを作るのは目的ではありませんよと、ご覧の通りもんじゅというものを動かして、エネルギーのリサイクルに励もうとしております、と言ってるのが日本です。けれども、いやアメリカに行くと、原子力発電とプルトニウムの採取と、それは最初からワンセットですね、という話なんです。じゃあプルトニウムができたらどうするかと言うと、あっそれは水爆の原料にするつもりでしたと皆胸を張って言うんですよね」
K「そうなんですね」
U「そういうい歴史的な…技術の歴史と言うか、持って生まれた背景というのがあるんですよね。それを日本は双子の兄弟のうち、核兵器という兄貴の方は捨てて、原子力発電という弟分だけを養子にしてきた。しかも出来上がった技術を買ってきたわけですから、言ってみれば赤ん坊のオシメとかを取り替える苦労は知らなくて、成長して中学生高校生ぐらいになってるやつを養子にしてきたものなんですよ。底が浅い。で、僕は、底が浅いんだったら底まで行ってみようじゃないかと。で、実は自分達は原子力技術の保有国としても底が浅いんだっていう所から議論を出発させないと、どうしようもないですよ。だって今の日本って、あたかも日本が原子力技術の先進国であるかのように振る舞ってますよね。そんなのはとんでもない思い上がりで、日本ってのは外来の技術を買ってきて、しかも双子のワンセットだった技術の片方だけ、良いとこ取りをしたという、まことに底の浅い国であると。そこから議論を始めたいんですよね」
K「なるほど」
U「おかしいかな」
K「いえいえ、その通りなんだけれども、結構玄人受けする話かと」
U「一般大衆は喜ばないかもなぁ」
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■マイノリティとセンシビリティ
K「今、避難…遠くに避難している人の調査を始めているんですけど」
U「ああ僕もまたぼちぼち再開する予定ですが。(開沼さんは)どこに行かれてるんです?」
K「この前は京都に行ってきましたね」
U「ほお」
K「そこで聞いたエピソードなんですけど、基本的に自主避難の方、特に母子避難の方が多かった。やっぱり子供が心配なので、例えばなか卯に行って、それがどこで作られたかっていう食材ごとの表示を見ると、牛肉がオーストラリアで、玉ねぎが中国で、コメは関東産だったりする。で、牛丼は食べたいから、上だけ買って帰って、家に帰って自分で有機の安全なコメを別に炊いて、かけて食べるみたいな話だとか」
U「それ、関東産というところにリスクを感じているんだね」
K「そうですね。で、魚も全て食べたくないと言う。日本の魚って、南米から来てたりとか、色々あるわけですよ。実際、食糧自給率が40%切るだろうかという感じなわけで。そう説得しても、オーストラリアではBSE、中国では農薬とかPM2.5だとかの話が今同時に出てきているけれども、やっぱり圧倒的な穢れ感みたいなものが、放射線というものに感じられているという実状がある。でも今の話を聞くと、やっぱりそこにヒロシマの記憶みたいなものがつながっているというところに、根があるのかなと思いました」
U「なるほどねぇ」
K「で、そこをどういうふうに考えていくのかっていうところは課題ですよね」
U「そうだね」
K「福島と同じか違うとかっていう話とかでもなくて、結局ロジカルに判断しての行動じゃないわけですね。しかもそれが生活の細部まで宿っているわけなんですよ」
U「うんうん」
K「これは、一つの新しいマイノリティができているんだという捉え方だと思うんですね。福島県内で避難している方のマイノリティというものとはまた違っていて、やはり放射線というものへの精神的な感受性がある方向に向かっていると」
U「英語には便利な言葉がありますよね。センシビリティ、ってやつですよね」
(※センシビリティ=外部からの刺激に対する感受性。ここでは現実の放射線などに加え、他者の評価に敏感もしくは過敏であるということ)
K「センシビリティ…ああなるほど。そうですね。そこにセンシビリティを覚えるというマイノリティが出た時に、やっぱり色々他のマイノリティも検討しながら、あるいは差別という問題も検討しながら、今、色々検討を始めているところなんです」
U「全く社会学の正当なルーチン」
K「そう考えた時に、これは例えば部落問題とか、在日朝鮮人・韓国人問題とかみたいに、ある種の名前とかあるいは地域に特定できるものではなく、分散的であると。名札を付けているわけでもないから分かりにくいっていう面で、比較的セクシャルマイノリティ問題に近いのかなというふうに見た時に、例えば同性愛の方に、お前異性愛になれと、あるいは異性愛の方に同性愛になれと、じゃないと弱者差別だって話になるとか、あるいは異性愛、同性愛の方に異常だって話をしちゃダメだっていうこと。これらはここ20年ぐらいで分かってきた議論なわけですけど、それとパラレルに考えてみると、結構学ぶべきところがあって」
U「なるほどね」
K「それは価値観が根本的に違うんだ、というところからどう社会を新しく作り直せるかという話だと思うんですね」
U「性的マイノリティか、面白いな」
K「例えば教科書にお父さんお母さんが、って書いてあった瞬間、セクシャルマイノリティの人って、抑圧を感じるわけですね。社会から排除されている、私達の価値観は何なんだと。それが結構避難者の方に、福島のある自治体が、ふるさとに多くの家族が安心して暮らせるようにアンケートを採ってますと。で、何ミリシーベルトぐらいのところだったら住みたいですか、とか、どういう条件だったら戻りたいですかって、行政的には良かれと思ってだし、実際福島県内に住んでいる人も安心できるような集落みたいな、ニュータウンみたいなのを作れたらいいなという話なんだけれども、そのアンケートをした段階で、私達は帰還させられるのかと、帰還前提で話が進んでいるみたいに感じちゃうと。どこもやっぱり、マイノリティ問題として捉えた時に、学ぶべきところがあるのかなと感じましたね」
U「もっとちょっと引いた言い方をすると、要するにその、文化差と言うか、ある意味、価値体系が全く違っているということですね。僕は、日本の中に、説得でどうすることもできない論点、つまり分断点をばらまいてしまったというのが、福島第一発電所事故の最大の罪だと思っているんです。例えば、京都に避難している方と、家族の、中と外とに、意見の対立がある。あるいは価値的な対立がある、相違があるっていうのは、それは家族という単位が守られるということですね。ところが僕が福島で取材した人達は、家族の中にそういう分断点があって、お母さんが、子供の被曝が心配なので、南相馬から何とか遠くに引っ越したいと言っているのに、同居している夫のお母さんお父さん、じいさんばあさんが、わしから孫を奪うのか、とか言って動かないと。孫と離れるんだったらお前は離婚しろ、みたいなことになっている。そして旦那の方も、親の言うことを聞かざるを得なくなってきて、お前そんな被曝の避難なんて言ったら、俺は離婚する、と言うので、奥さんが精神的に参ってしまったんですね。あるいは仲の良かった友達が、避難をめぐって喧嘩するとか、あるいは仲が良かった少年野球のチームがバラバラにされてしまうとかですね、実にたくさんのコミュニティが破壊されたと思うんですよ」
K「はい」
U「僕は、非都市部の人達が、生きていく上で最も大事なものってコミュニティだと思うんですね。近隣のコミュニティだけじゃなくて、同窓会のコミュニティとかね、あるいはそういう少年野球のコミュニティとか、彼らはそういう色々な人間関係の重層の中で生きているのに、その一つ一つにヒビが入ってますよね。まさに仰るように、何て言うんだろう、そこにはマイノリティとマジョリティの、何て言うの、押し付けるものと押し付けられるもの、排除するもの排除されるもの、というのがあって、強者弱者があると。だから、それぞれ利益団体を結成するとかね、最終的には避難者初の国会議員の登場とかって話になっていく。この間、同性愛を公言した初めての参議院議員が誕生しましたよね。お名前を忘れましたが…」
K「尾辻さんですか」
U「ああ、そうそうそう。それと同じように、これは一種の日本語じゃない意味の政治的な意味の政治差とか、経済差とか、そういうものに、向こう30年ぐらい固定されるんじゃないかと思っていて、ものすごく嫌な予感がします」
K「さっきのBSEだって、中国の農薬だって、これからは遺伝子組み換えだ、っていう話も出てくるでしょうけれども、それらは今まで消費者運動みたいなところに吸収されていたのかもしれないし、あるいはエコロジストとされていたのかもしれないけれども、これは全く別なものとしてもうちょっと広く枠を取っていけるのではないか。自主避難者とか、放射線のセンシビリティの問題だけじゃなく、そういうことを感じながら社会の中で疎外感を抱いて生きている人がいるんだと。で、そのプレゼンスを社会に示すために、仰る通り国会議員を…それを何と名付けるかは難しいわけですけれども、出てくる必要がある社会なのかなっていうふうに思えます。そういう人がいてもいいんだよと」
U「そうね」
K「そこを、お前は合理的じゃねえよ、とか何とか言って、性同一性障害ってのをまた嫌がる人がいて、だからLBGT(※レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスセクシャルの略称)って言い方をするわけで。障害って異常みたいな言い方をするなよ、って」
U「まあそうだね。昔は同性愛者、つまりゲイとレズビアンしかいなかったのに、最近は実に色んなジャンルが入ってますよね。それこそね」
K「そうですね」
U「女装の人まで入ったりするからね。で、今そういった、避難者という人達が、面白いことに行政区画で分断されていますよね。例えば福島県にいる避難者、山形県にいる避難者がいて分断されているし、本来は福島第一から流れ出た放射能の空間線量の赤いベロみたいな絵があるじゃないですか。あの地図が新しい行政区域になっても僕は良かったと思っていて、あの下に、避難…あるいは被曝地帯があり、被爆地帯という新しい行政区域、すごくこれ挑発的な言い方なんですけれども、そこには特別の法律的な保護や措置の必要な人達がいて、そこの人たちが新たな行政の対象になるはずだったんだと思うんですね。ところが日本の政府はそれを全くせずに、旧来の平時の行政区画のままでそれを動かさなかったんですね。僕はね、あれが最大の悲劇だと思うんですよ。分断して統治せよ、は統治する側の鉄則なので、うまいことやったなと思うんですが、避難者の人達にとってはそれは悲劇だし、逆に言うと、それを乗り越えてしまうことですよね。つまり新潟にいようと京都にいようとどこにいようと、群馬にいようと、埼玉にいようと避難者は避難者だと。俺達は自分の意志に反して、第一原発の災害によって家や故郷を出ざるを得ないんだ、という人達が別の集団になると思うんですよ。一種の難民なんですけどね。だから自治政府みたいなものができてもおかしくないんですよね」
K「これも、ここからが本当に社会学的な話になってきますね。いくつか有名な地域ごとに避難者が集まっているコミュニティとか、団体とかがあるけれども、ある地域、ある県では一人のリーダーっぽい人がいるとか、ある県ではリーダーが乱立していて、お互いに仲が悪くて派閥ができている、ということですとか、比較的近い山形や秋田に行ってる人と、沖縄とか遠くに行ってる人で違うとか。そこら辺の全体像をまだ誰も把握していない。連携もできていない。ってところは見ていく必要があるのかなと」
U「そうですね。僕も山形とかに避難している人たちの、再訪問をやろうと思ってますので、また今度、開沼さんの成果も聞かせて欲しいです」
K「そうですね」
U「ということで、開沼さんのライフワークに福島第一ってのがドーンと腰を据えているのと同じく、僕の記者としての大きなライフワークの一つに福島第一って岩が向こう30年くらいドーンと座るわけですよ。軽々と人々の人生を変えているんですね、あの事故は。だから僕らの人生も変わったし、おそらく避難している人達の人生や、あるいは福島のこれからの行方も随分変えられていくんだろうなっていうのを僕は覚悟しているんですね」
K「そうですね」
U「というあたりでお時間が来ました。皆さん今日もお付き合いありがとうございました」
K「ありがとうございました」
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