>>149 冬至さま> どうも、今まで銭形警部だと思っていた人物がルパンの正体を現したような、そんな気分でおりますw 冬至さまのスタンスは端的には ・「フェミに言ってもムダだから男の方に呼びかけようぜ」 というもののようですね。 ぼくも特段、それに反論はありません。 が、同時に既にぼくが繰り返している、安倍さんの例えなどを否定するものでもないように思います。 男の方だって大概フェミを真に受けてるんだから、まずそれを打ち壊すのが先だろう、という。 どうしてこうした行き違いがでるのか……あなたの今までの書き込みから、もう一つ、あなたのスタンスが想像できます。それは、 ・「一般の女性に比べ、リスクを背負おうとしているフェミの方がまだマシなのに叩くのはヘンじゃん」 というものなのではないでしょうか。 海外での徴兵制についてこだわっていたのはつまり、そういうことでしょう。 ただしこれは、単純に国情がきな臭いとか、軍隊観、戦争観が日本とはまるっきり違うことが大きいと思います。アメリカのフェミニストも「女も軍隊に進出しろ」と言っていたはずで、仮に日本が大戦に勝利し、いまだ帝国主義的価値観を持っていたら当然、日本のフェミも「女が軍隊に入れないのは差別」と言っていたはずです。 そしてまたこれは、例えば「主夫が増えることによって弱者男性も救済される」といった発想にもつながるかと思います。 しかし、それではフェミニストで「主夫を養っている人」がどれだけいるのでしょう? ゼロではないかも知れないけれども、ぼくは名前を挙げることができない。恐らくごく少数でしょう。 つまり、フェミニズムが女性の利になることがないのはもちろん、男性の利にも決してならないのです。 今回、書き込みをしてくださったのがセクハラ関連の書籍のレビューだったのは奇遇だと思います。 セクハラ論争こそがフェミニストたちに「リスクを負う覚悟がないこと」の何よりの証明になっているからです。 もしフェミニズムが「社会進出をよしとする、しかしそれにはゲインだけでなくリスクもあるから、両者共を背負おう」という思想であれば、そもそもこのような著書はでない。何となればそうした考えのできる女性は男女関係にまつわる女性の受動性(被害者性と言ってもいいし、BL風に「受け」と表現してもいい)にはゲインもリスクもあり、男ばかりのせいにはできないよな、と理解ができているはずだからです。 裏腹に、近年、フェミニスト批判でよく見るのは「あいつら口で何を言おうと草食系男子などよりマッチョなDQNが好きなんだぜ」といった論調です。これはこれで彼女らが全く内省ゼロであることをよく現しています。 あなたは恐らく、フェミニズムという「鎧」だけを見ている。 フェミニズムの理論書にはその「鎧」のスペックだけが書かれており、それだけ見ればなかなか結構なものに思えるかも知れない。 でも、その「鎧」は「ある種の適合者だけが装着できる強化服」みたいな、何だか平成仮面ライダー的なものなのです。 彼女らは格好よく変身しますが、スペック通りの能力を発揮したことは今までないし、鎧を剥ぎ取った時の彼女らは自分たちの作り上げた鎧とはまるで見あわない「ただの女」でしかない(つまりDQNが好きということですね)。 鎧の効果は、単に彼女らがブスであることを隠蔽できたことくらい。 ぼくは度々、ジェンダーフリーに親和的な「男性差別クラスタ」を批判しています。 何故か。 彼らはフェミニスト、ないし女性に「期待」しているからです。 あなたはぼくこそがフェミニズムのパロディになる心配をなさっていますが、実は「男性差別クラスタ」こそが滑稽なフェミニズムのパロディに他ならない。 彼らは主夫と主婦が半々になる未来を、どうも夢想しているように見える。 しかしぼくは彼女らがリスクを負うことは恐らく未来永劫ないだろうから、男は未来永劫、男としての性役割を担うしかない、「解放」などあり得ない、と考えます。 しかし、いくら何でもこのままでは荷物が重すぎるから、百個の荷物のうち、五個くらいは降ろすことを許してもらおう。それがぼく提示できる目標値です。
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兵頭新児の女災対策的随想
(著者)
>>149
冬至さま>
どうも、今まで銭形警部だと思っていた人物がルパンの正体を現したような、そんな気分でおりますw
冬至さまのスタンスは端的には
・「フェミに言ってもムダだから男の方に呼びかけようぜ」
というもののようですね。
ぼくも特段、それに反論はありません。
が、同時に既にぼくが繰り返している、安倍さんの例えなどを否定するものでもないように思います。
男の方だって大概フェミを真に受けてるんだから、まずそれを打ち壊すのが先だろう、という。
どうしてこうした行き違いがでるのか……あなたの今までの書き込みから、もう一つ、あなたのスタンスが想像できます。それは、
・「一般の女性に比べ、リスクを背負おうとしているフェミの方がまだマシなのに叩くのはヘンじゃん」
というものなのではないでしょうか。
海外での徴兵制についてこだわっていたのはつまり、そういうことでしょう。
ただしこれは、単純に国情がきな臭いとか、軍隊観、戦争観が日本とはまるっきり違うことが大きいと思います。アメリカのフェミニストも「女も軍隊に進出しろ」と言っていたはずで、仮に日本が大戦に勝利し、いまだ帝国主義的価値観を持っていたら当然、日本のフェミも「女が軍隊に入れないのは差別」と言っていたはずです。
そしてまたこれは、例えば「主夫が増えることによって弱者男性も救済される」といった発想にもつながるかと思います。
しかし、それではフェミニストで「主夫を養っている人」がどれだけいるのでしょう?
ゼロではないかも知れないけれども、ぼくは名前を挙げることができない。恐らくごく少数でしょう。
つまり、フェミニズムが女性の利になることがないのはもちろん、男性の利にも決してならないのです。
今回、書き込みをしてくださったのがセクハラ関連の書籍のレビューだったのは奇遇だと思います。
セクハラ論争こそがフェミニストたちに「リスクを負う覚悟がないこと」の何よりの証明になっているからです。
もしフェミニズムが「社会進出をよしとする、しかしそれにはゲインだけでなくリスクもあるから、両者共を背負おう」という思想であれば、そもそもこのような著書はでない。何となればそうした考えのできる女性は男女関係にまつわる女性の受動性(被害者性と言ってもいいし、BL風に「受け」と表現してもいい)にはゲインもリスクもあり、男ばかりのせいにはできないよな、と理解ができているはずだからです。
裏腹に、近年、フェミニスト批判でよく見るのは「あいつら口で何を言おうと草食系男子などよりマッチョなDQNが好きなんだぜ」といった論調です。これはこれで彼女らが全く内省ゼロであることをよく現しています。
あなたは恐らく、フェミニズムという「鎧」だけを見ている。
フェミニズムの理論書にはその「鎧」のスペックだけが書かれており、それだけ見ればなかなか結構なものに思えるかも知れない。
でも、その「鎧」は「ある種の適合者だけが装着できる強化服」みたいな、何だか平成仮面ライダー的なものなのです。
彼女らは格好よく変身しますが、スペック通りの能力を発揮したことは今までないし、鎧を剥ぎ取った時の彼女らは自分たちの作り上げた鎧とはまるで見あわない「ただの女」でしかない(つまりDQNが好きということですね)。
鎧の効果は、単に彼女らがブスであることを隠蔽できたことくらい。
ぼくは度々、ジェンダーフリーに親和的な「男性差別クラスタ」を批判しています。
何故か。
彼らはフェミニスト、ないし女性に「期待」しているからです。
あなたはぼくこそがフェミニズムのパロディになる心配をなさっていますが、実は「男性差別クラスタ」こそが滑稽なフェミニズムのパロディに他ならない。
彼らは主夫と主婦が半々になる未来を、どうも夢想しているように見える。
しかしぼくは彼女らがリスクを負うことは恐らく未来永劫ないだろうから、男は未来永劫、男としての性役割を担うしかない、「解放」などあり得ない、と考えます。
しかし、いくら何でもこのままでは荷物が重すぎるから、百個の荷物のうち、五個くらいは降ろすことを許してもらおう。それがぼく提示できる目標値です。