>>148 筆者の書き込みが先にあるので、コミュ障さんよりも先に 書かせていただこう。 メリルレイプについの発言だが、 「メリルレイプ」とは表記されてはいないが、男性の場合 「強制猥褻」に留まるという表記があったため。 この話は本件とは別ですまないが、女性の幼児虐待については犯罪学からの 観点の考察として、過去の女性のコミュニティが家庭であることや 日本はことに育児が女性に任せられやすい傾向から、犯罪が起きた時に 身近な人間(男性の犯罪傾向は逆に職場などで起きやすい、興味深いのが 放火の場合男性は在庫処理のためや保険目的などが多い) にむきやすい傾向にある。)という考察を提示しておく。 本件にもどろう、まず打破すべき存在としての フェミニストを設定するのかが、そこが正直わからない。 私の立場を明示しておくと、女性の社会進出が進む中で 女性だけに焦点があげられやすい現状が、本当に社会において 正常だとは到底おもえない、女性万能論ともいえる過度な 女性万能論についても疑問がある。 なぜなら、単一の性でない限りは対となる立場に焦点があてられ るべきであり、女性が社会進出という新たな像の見直しがある ように、男性の場合は旧来の男性像の見直しがあるはずだ。 それにおいて、男が〝女の望むだけ〟の男性像であっては困る。 かつて海外でマスキュアリズムの発端となったのが、 フェミニズムにおける男性像の見直しを求めて、また社会的な 両性の見直しを求めて男性が主体となって行われたように、 男性の視点による過度なフェミニズムに対する反論は必要となる と個人的に考えているからだ。 (筆者の著書を手にしたのも、これはその発端となるのか という期待があったため) この点において、ある意味私と筆者の見解は同じである。 が、ここからは手法についての論議、つまりはとるべきとする 行動の選択肢が私と筆者では違うことに見解の相違と なっているのだろう。(おそらく、この場で白黒つけられるとは到底に おもえないうえに、その手段に対する主張はあって当然のものだ) 筆者の主張の前提として、 ・女性はすでに社会的弱者ではない、 ・ゆえに、保護されるべき男性たちのためにも、フェミニストを 打破されるべし! となっているが、社会の暗黙の了解は双方向から なりたっている以上、女性であるフェミニストに「女性の視点からその問題を 読み解くのが筋」であるまでの責務を負わせるならばまだ理解できるが、 打破となると話が変わる。両方に責務がある以上、片方にだけその 責を負わせるような形で帰結しかねない、過激ともいえる処置が 社会にどのような影響をあたえるのかを想像してほしい。 まして、フェミニズムはめだちやすい存在であるがゆえに、 中ボスや四天王どころか、最終ダンジョンで目指すべきラスボスである 「男性の視点から男性弱者への救済の必要性」が起きる前に 頓挫しかねないのだ。そうなっては、魔王は居座ったままゲームが終了、 現段階の日本において、女性が社会的存在価値を保障されないまま に終わり、男性もまた社会的地位の保証がされないまま、物語は 終了になりかねないからだ。 日本人の体質的な問題として、主体的に声をあげない、 声をあげて失敗したならことにバッシグを浴びせられやすく、 それ自体が見直されることなく「悪」というレッテル貼りで 終わる可能性を考慮すると、女性の視点がまったくなされなく なった状況の危険性として、個人としては〝打破〟を目的 にはできないのだ。 (ただし、女性の視点ならばしょうじきフェミニストで なくとも、意識のある女性が主体的にやればいいが、日本人の悪癖として 男女ともに声をあげない・あげにくい体質だからおそらくは難しいだろう) フェミニストに対して、 男性の弱者についての論議がされない現状はおかしいから論議しろよ、 それだって社会で生きる女性の責務でもあるだろ。 ならば私個人は、賛成できる。 再度書くが、現段階の筆者のその手法では、 かつて過激な女権論者が女性の権利を急ぐあまり 「女性優位論者」を生み出したこと、筆者の指す 男性の権利に対し、片手落ちである状況を生み出した 限度を超えたフェミニズを憎む筆者自身が、 憎むべき相手の行為の焼き直しに陥る危険性だけは注意しておきたい。 この話題については、目標に対する過程の問題である以上 筆者と私が議論の帰結をみつけられるとは、思えないことも つけくわえておこう。
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兵頭新児の女災対策的随想
(ID:1653124)
>>148
筆者の書き込みが先にあるので、コミュ障さんよりも先に
書かせていただこう。
メリルレイプについの発言だが、
「メリルレイプ」とは表記されてはいないが、男性の場合
「強制猥褻」に留まるという表記があったため。
この話は本件とは別ですまないが、女性の幼児虐待については犯罪学からの
観点の考察として、過去の女性のコミュニティが家庭であることや
日本はことに育児が女性に任せられやすい傾向から、犯罪が起きた時に
身近な人間(男性の犯罪傾向は逆に職場などで起きやすい、興味深いのが
放火の場合男性は在庫処理のためや保険目的などが多い)
にむきやすい傾向にある。)という考察を提示しておく。
本件にもどろう、まず打破すべき存在としての
フェミニストを設定するのかが、そこが正直わからない。
私の立場を明示しておくと、女性の社会進出が進む中で
女性だけに焦点があげられやすい現状が、本当に社会において
正常だとは到底おもえない、女性万能論ともいえる過度な
女性万能論についても疑問がある。
なぜなら、単一の性でない限りは対となる立場に焦点があてられ
るべきであり、女性が社会進出という新たな像の見直しがある
ように、男性の場合は旧来の男性像の見直しがあるはずだ。
それにおいて、男が〝女の望むだけ〟の男性像であっては困る。
かつて海外でマスキュアリズムの発端となったのが、
フェミニズムにおける男性像の見直しを求めて、また社会的な
両性の見直しを求めて男性が主体となって行われたように、
男性の視点による過度なフェミニズムに対する反論は必要となる
と個人的に考えているからだ。
(筆者の著書を手にしたのも、これはその発端となるのか
という期待があったため)
この点において、ある意味私と筆者の見解は同じである。
が、ここからは手法についての論議、つまりはとるべきとする
行動の選択肢が私と筆者では違うことに見解の相違と
なっているのだろう。(おそらく、この場で白黒つけられるとは到底に
おもえないうえに、その手段に対する主張はあって当然のものだ)
筆者の主張の前提として、
・女性はすでに社会的弱者ではない、
・ゆえに、保護されるべき男性たちのためにも、フェミニストを
打破されるべし!
となっているが、社会の暗黙の了解は双方向から
なりたっている以上、女性であるフェミニストに「女性の視点からその問題を
読み解くのが筋」であるまでの責務を負わせるならばまだ理解できるが、
打破となると話が変わる。両方に責務がある以上、片方にだけその
責を負わせるような形で帰結しかねない、過激ともいえる処置が
社会にどのような影響をあたえるのかを想像してほしい。
まして、フェミニズムはめだちやすい存在であるがゆえに、
中ボスや四天王どころか、最終ダンジョンで目指すべきラスボスである
「男性の視点から男性弱者への救済の必要性」が起きる前に
頓挫しかねないのだ。そうなっては、魔王は居座ったままゲームが終了、
現段階の日本において、女性が社会的存在価値を保障されないまま
に終わり、男性もまた社会的地位の保証がされないまま、物語は
終了になりかねないからだ。
日本人の体質的な問題として、主体的に声をあげない、
声をあげて失敗したならことにバッシグを浴びせられやすく、
それ自体が見直されることなく「悪」というレッテル貼りで
終わる可能性を考慮すると、女性の視点がまったくなされなく
なった状況の危険性として、個人としては〝打破〟を目的
にはできないのだ。
(ただし、女性の視点ならばしょうじきフェミニストで
なくとも、意識のある女性が主体的にやればいいが、日本人の悪癖として
男女ともに声をあげない・あげにくい体質だからおそらくは難しいだろう)
フェミニストに対して、
男性の弱者についての論議がされない現状はおかしいから論議しろよ、
それだって社会で生きる女性の責務でもあるだろ。
ならば私個人は、賛成できる。
再度書くが、現段階の筆者のその手法では、
かつて過激な女権論者が女性の権利を急ぐあまり
「女性優位論者」を生み出したこと、筆者の指す
男性の権利に対し、片手落ちである状況を生み出した
限度を超えたフェミニズを憎む筆者自身が、
憎むべき相手の行為の焼き直しに陥る危険性だけは注意しておきたい。
この話題については、目標に対する過程の問題である以上
筆者と私が議論の帰結をみつけられるとは、思えないことも
つけくわえておこう。