ビュロー菊地チャンネル

>>2
 ご返信をいただきありがとうございます。
 メジャー音楽市場における遊戯性の喪失が、黒人音楽のそれと結びついているという見地は盲点でした。ケンドリックとドレイクのビーフならぬ泥試合のような、じゅうぶん成功したはずのアフリカ系ミュージシャンの舌戦からも演舞性や諧謔性が消えていて訴訟沙汰にすらなる例は、これと同根なのでしょうね。
 K-POPがアフロアメリカン音楽のあらゆる要素の精髄を別格に極め尽くしたかのような時期があって(私が最も感銘を受けたのは2016年ごろでしたが)、それが結果的にウマウマ前提ムードを醸してしまい、今では世界共有的ジャンルとなったK-POPの影響下にあるパフォーマー側(と、それを打ち出すに際して明らかな構造的疲弊をあらかじめ感じているマネジメント側)も本当は「キレッキレ」と別のことをやりたいのだけども、ファン側がパフォーマンスを賞賛する語彙をそれくらいしか持っていないため、ウマさを前提とするアスリート性がミュージシャン側の肩から降りなくなっている。という状態も長く続いていそうです。
 菊地さんがおっしゃる通り NewJeans はそういう疲弊に対する処置を念頭に置いていたのかもしれませんが、そのような運動体でさえ同時代的なノイズ(「信頼関係が全て崩れた」の件)に肘打ちされたので、2020年代の病の重さはなんとも徹底していますね。というか、どう考えてもファンとマネジメント側とパフォーマー側が連帯して変えないとダメですよねこれ(笑)

 Xにての件は、あの短い動画に瞭然と収録されていたsaekoさんとメイクの上川さん? の声が、陰性のリアクションを寄せたアカウント群からは全く捨象されていたらしい、ということが自分の興味を引きました。
 あの動画で菊地さんのお顔が同画面に映っていることからも解るように、ディオール贈答の場面を動画として収めた何者かが当人たち(リリさん・ネネさん・菊地さん)以外にも複数存在するらしい=プロデューサー菊地とパフォーマー2人の閉鎖的な会談の場ではない ということは、画面と音声の両方から間違いなく読み取れるはずなのですが、その場で菊地さんよりもアガっているsaekoさん(ですよね?)の音声に解離して「サブカルおじさんのロリコンカルチャー」とか「イケオジだと思ってたのになにやってんの最悪」とか書けてしまえたというのは、ソーシャルメディアが10年以上をかけて定着させた「明示情報を読み取れなくさせたうえでの理不尽な憤激誘発」の病として究極だと思いました。
(あと、男性に対して「イケオジ」呼ばわりするのは女性に対して「美魔女」呼ばわりするのと同じくらいの無礼で、「イケオジ」が100%善意の賞賛として通用しうると思う人間がいまだに存在することにも驚かされましたが、こんな言語観の落ちぶれなどは本件と比べれば些細なことです)

 たとえばチェンマイあたりで児童売春宿に通い詰めている男性が、菊地さんがしておられることを指して「こんなのロリペドだ」と言ってしまう例ならば、純粋にフロイト的な自白なので特に驚くべきことでもありませんが、出生も性自認も女性であろう人間が、プロデュースは菊地さんではあるが実際の身体的指導はダーリンsaekoさんが担当した企画=コドモスパンクハッピーを前にしてああいう反応が(しかも複数)生まれてしまうというのは、ご指摘のとおり ”あらゆる傷=欲望が観念連合化し” た、複合的な原因に根ざしていると思います。
「言うに事欠いた人間がひたすら言うに事欠いている」という状況は、震災直前あたりから既にそうだったので単なるソーシャルメディアのもたらす構造的特徴ですが、明示情報すら読み取れないまま自分自身を傷つけるための文言を外部の対象に吐いてしまう症例がここまで宿痾化したというのは、流石に驚かされました。今回の件で唯一と言ってよいほど涼しいのは、コドモスパンクハッピーやsaekoさんや上川さん当人は、X上で可視化された病に突き動かされている人々とは別のところで仕事をできているということですかね(笑)

No.3 5ヶ月前
コメント一覧に戻る

このコメントがついた記事

  • <菊地成孔の日記 2025年9月15日記す>

  • ビュロ菊だより
    菊地成孔

    ビュロー菊地チャンネル

    継続入会で1ヶ月分無料