>>1 僕もダンスが「キレッキレ」であること(歌が「歌うま」であることなどと併せ)は、ヒトラーの演説やポージングがキレッキレであるのと、びっくりするほど同じことなので、「どうなのかねこれ」とは思っていましたが、芸能というか、流行現象ですので、今は反動で、「ゆるふわダンス(まあ、ヘタウマみたいなモンですが)」も流行ってますし、ニュージーンズというのは「もの凄く良くできた器に盛られたヘタウマの復権」なんで、要するにこういうこと(芸能における所作)にはバランサーは働くのだな。と思っていました。udioユーザーの方ならうっすらご理解頂けるかも知れませんが、去年あたりから学習対象に「ヘタウマ」が入ってきてますし。 ただ「萌え」が「遊び」を殺した、というかその椅子に座ったことは間違い無いです。また、前性器期への固着コントロールが、ペドフィルを遠ざけているのか引き寄せているのか?という問いに関しては、アンビバレンスが成立している。と思っており、それたたとえば、僕がよく言う「明らかにエロいコスチュームを<エロいとは思ってないんですよ。かっこいいと思ってるんです。女の子は」というアレと全く同じことだと思っています。誰もが戦争は絶対にいけないと思いながら戦争がしたくなるために、戦争の悲惨さが語り継がれるわけですが、あれは前性器期だと思いますね。 コドモスパンクハッピーには我ながらものすごい遅効性があると思っていますので、ユーザーの出遅れは必須だと思っていたんですが、この日記のオチの部分の、たった30秒弱の動画が(中途半端に)バズった(即効性を持った)ことは、ペドフィルのみならず、ペデフィルと衛星関係にある、あらゆる傷=欲望が観念連合化してトグロを巻いている、血にうえた市場が「遊びを失った社会」なのだなあと強く思いました。 市場に対して「遊ぶ」というのは「あんま売れたくない」と思って、実際、そこそこ売れる。ということに尽きると思います。今、市場に対して、全員が一丸となって「売れたい」と思っているのは(「頂点に立ちたい」と思い、立てないと分かった時、小さい別の頂点を設定してまでも、頂点に立ちたいと思い続ける)、遊戯性から最も遠いことで、芸能にそもそも遊戯性、スポーツ性が強く入っていた黒人音楽が、「売れたい競争」を繰り広げた合衆国のカルチャーが、悪くワールドスタンダード化しているとは思います。
「ポップ・アナリーゼ」の公開授業(動画)、エッセイ(グルメと映画)、日記「菊地成孔の一週間」など、さまざまなコンテンツがアップロードされる「ビュロ菊だより」は、不定期更新です。
音楽家/文筆家/音楽講師 ジャズメンとして活動/思想の軸足をジャズミュージックに置きながらも、ジャンル横断的な音楽/著述活動を旺盛に展開し、ラジオ/テレビ番組でのナヴィゲーター、選曲家、批評家、ファッションブランドとのコラボレーター、映画/テレビの音楽監督、プロデューサー、パーティーオーガナイザー等々としても評価が高い。
(著者)
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僕もダンスが「キレッキレ」であること(歌が「歌うま」であることなどと併せ)は、ヒトラーの演説やポージングがキレッキレであるのと、びっくりするほど同じことなので、「どうなのかねこれ」とは思っていましたが、芸能というか、流行現象ですので、今は反動で、「ゆるふわダンス(まあ、ヘタウマみたいなモンですが)」も流行ってますし、ニュージーンズというのは「もの凄く良くできた器に盛られたヘタウマの復権」なんで、要するにこういうこと(芸能における所作)にはバランサーは働くのだな。と思っていました。udioユーザーの方ならうっすらご理解頂けるかも知れませんが、去年あたりから学習対象に「ヘタウマ」が入ってきてますし。
ただ「萌え」が「遊び」を殺した、というかその椅子に座ったことは間違い無いです。また、前性器期への固着コントロールが、ペドフィルを遠ざけているのか引き寄せているのか?という問いに関しては、アンビバレンスが成立している。と思っており、それたたとえば、僕がよく言う「明らかにエロいコスチュームを<エロいとは思ってないんですよ。かっこいいと思ってるんです。女の子は」というアレと全く同じことだと思っています。誰もが戦争は絶対にいけないと思いながら戦争がしたくなるために、戦争の悲惨さが語り継がれるわけですが、あれは前性器期だと思いますね。
コドモスパンクハッピーには我ながらものすごい遅効性があると思っていますので、ユーザーの出遅れは必須だと思っていたんですが、この日記のオチの部分の、たった30秒弱の動画が(中途半端に)バズった(即効性を持った)ことは、ペドフィルのみならず、ペデフィルと衛星関係にある、あらゆる傷=欲望が観念連合化してトグロを巻いている、血にうえた市場が「遊びを失った社会」なのだなあと強く思いました。
市場に対して「遊ぶ」というのは「あんま売れたくない」と思って、実際、そこそこ売れる。ということに尽きると思います。今、市場に対して、全員が一丸となって「売れたい」と思っているのは(「頂点に立ちたい」と思い、立てないと分かった時、小さい別の頂点を設定してまでも、頂点に立ちたいと思い続ける)、遊戯性から最も遠いことで、芸能にそもそも遊戯性、スポーツ性が強く入っていた黒人音楽が、「売れたい競争」を繰り広げた合衆国のカルチャーが、悪くワールドスタンダード化しているとは思います。