もう彼女たちに会うこともないだろうな。というのはあまりにセンティメントなのかどうか、自分でもよくわからなかった。僕は彼女たちの本名すら知らない。去年は本当にチビッコだったんで、saekoさんの天才的なコレオグラフも含め、コドモスパンクハッピーはオモチャみたいに面白い存在で、安心して作り上げることができた。ペドフィルと言う国民病に対する強い批評でもあった。小学校の教員が、今日も日本のどこかで、盗撮のカメラを買っては必死に設置している。今日も日本のどこかで、自分の娘や息子を、欲情がどれほど含有されているか計測できないまま目を細めて見つめている親がいる。恐ろしいのは、そういう者どもを「おぞましい、信じがたい存在」と切って落とすことが、誰にもできない社会になっていることだ。
コドモスパンクハッピーはそのすべてを2回の空爆で爆破してきた。彼らの見たいようにならないことで。フェティシストの「どんなものからでも、一滴でも自分の見たいものを見てやる」という狂った情熱の一瞬一瞬に、足払いをかけ続けることで。血族であることを元手に、インセストタブーの関門が半開きになっている親たちの仮託に、フルラウンド、ボディブローを打ち込み続けることで。
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