で、読みながら自分だったらどういうことを書くかなぁと考えると、『幻魔大戦』のインパクトや、大友克洋が深くコミットせずに作られた大友アニメ『FREEDOM』と『新SOS大東京探検隊』から照らし出される「大友性」とかをどこかでちゃんと書きたいなぁと思ったのだった。
ちなみにこちらの原稿は、角川書店の『スチームボーイ』のムックに寄稿したものです。
最新作にして原型(アーキタイプ)
『スチームボーイ』が、ロンドン万国博覧会を舞台にするとはじめて聞いた時、「ああ」と何かわかったような気がした。『AKIRA』から、シナリオとして参加した『メトロポリス』を経て、『スチームボーイ』へと通じる一つの線――それまでは、漠然としていたこの線の存在が、「万博」というキーワードで、はっきりとと感じられたのだ。
大友克洋による3つの長編アニメ『AKIRA』『メトロポリス』『スチームボーイ』をつないでいるのは、一言でいうと“万博っぽさ”とでもいうべきセンスだ。
万国博覧会の定義を改めて確認すると「世界各国がその工業製品・科学機械・美術工芸品などを出品展示する国際的な博覧会」(大辞林第二版)ということになる。要するに万博とは最先端のすごいものが、いっぱい並んでいる場所なのだ。つまり言い替えるならば、世界のもっともトガったガジェットが集まった大パノラマといえるだろう。そして、こうやって言い直してみると、確かにこれは3つの長編がもつセンス(巨大な都市が重要なバックグラウンドとしてあり、観客を驚かせるようなガジェットがさまざまに登場する)と近いような気がしてこないだろうか。
そんなことを考えながら、ふとこんなことを思いついた。もし3作品とも万博っぽい要素があるのならば、ロンドン万博が『スチームボーイ』を象徴するように、そのほかの2作にも、いわば作品の「象徴」として対応する万博を見つけることができるのではないだろうか? いささか乱暴な発想ではあるけれど、もしそんな万博があるとすれば、『AKIRA』から『スチームボーイ』への道のりを読み解く重要な補助線になるのではないだろうか。そして……実際、『AKIRA』と『メトロポリス』にもそれぞれ対応する万博は、確かにあったのだ。
ではまず『スチームボーイ』とロンドン万博の関係から見てみよう。ロンドン万博の時代にはパビリオンはまだ存在せず、全ての展示品は、映画本編にも登場した水晶宮(クリスタルパレス)の内部に展示された。つまり水晶宮は、さまざまな展示物によって世界全の縮図を観客の視覚に訴えた、一大パノラマ空間ということができる。
ここから思い出されるのは、スチーム城の司令室に出てくる望遠鏡だ。これは複数のレンズの組み合わせで、はるか遠方の風景もたちどころに大きく見ることができるというシステムだが、この装置はつまり「世界」そのものをパノラマとして見るための道具といえるだろう。これは丁度、水晶宮と表裏一体の関係にあるガジェットだといえる。
そして、この望遠鏡に映し出されるもっとも重要な風景が“戦争”だ。万博会場で激突する、オハラ財団の秘密兵器とスチーブンスンの最先端兵器。パノラマとはもともと、「立体的な模型を配置し戦闘の場面などを表した装置」という意味があるが、このシーンはまさにこのパノラマという言葉ににふさわしいビジュアルを展開している。煎じ詰めていうならば『スチームボーイ』は、戦争すらそのショーケースに並べてしまった、一大博覧会ということになる。
さて、やがて時代が下り、万博にさまざまな企業のパビリオンが登場するようになる。その代表的な万博が、'39年のニューヨーク万博だ。ロンドン万博より約88年が経過したこのニューヨーク万博にあって、最大の見せ物は、もはや単なる工業製品ではなく、未来都市や現在の都市の風景を克明に描いたミニチュアとなっていた。
そもそも'30年代のアメリカでは、高層建築が急激に発展していた。たとえばニューヨークでは、'30年から'33年までの4年間に、250メートル以上の超高層建築が5棟も建設されている。ニューヨーク万博は、こうした高層建築の延長上に夢見られていた未来都市像が全面展開された場所だったといえる。
このニューヨーク万博こそ、実は『メトロポリス』と対になる万博だと思う。たとえば、大友が『メトロポリス』の脚本執筆にあたって世界観の参考にしたという高層ビルのデザイン画集『THE METROPOLIS OF TOMORROW』('29)はまさに、'30年代の超高層建築ラッシュのムーブメントと無関係ではない。
また『メトロポリス』には、「スケールの大きな箱庭感覚」がある。原作の『メトロポリス』では決してタイトルほどに重要な役割を果たしていなかった「街」だが、大友の脚本(第一稿がほぼそのまま採用されたという)では、この街そのものを主役として描かれている。巨大な塔ジグラットを中心に持ち、はるか高層から地下区画までの広がりを持つ巨大都市メトロポリス。この都市の上下構造こそが主役で、そこにうごめく人間(とロボット)は前景にすぎない。監督のりんたろうも、それを汲んで、普段はアイレベルでのカメラが多いところ、俯瞰とあおりを多く使い、脚本の持つ箱庭性を画面に定着させている。
この「箱庭感覚」もまた、ニューヨーク万博のミニチュアを強く思い起こさせる要素のひとつだ。
では『AKIRA』はどうだろうか。『AKIRA』とは一言で言うなら、第一のカタストロフから復興しつつある都市(ネオ東京)を、得体の知れない力(AKIRAの超能力)が再び破壊し尽くすという物語だ。『スチームボーイ』や『メトロポリス』では、都市の破壊は、常に科学のある種の暴走の結果として描かれている。だが『AKIRA』の場合、その中心にあるのは、そうした科学の範疇では捉えきれない力なのである。
戦争からの復興とそれを内側から突き破るようなエネルギー。これはちょうど'70年の大阪万博の「お祭り広場」で繰り広げられた構図を思いださせはしないだろうか。
万博会場の中心に位置する「お祭り広場」は最新の建築技術による大屋根で覆われていた。しかし計画は途中変更され、その大屋根を“破壊”するかのように、屋根をぶち抜いて巨大な塔が建設されることになった。それが高さ70メートルの太陽の塔だ。
美術評論家の椹木野衣は太陽の塔について「万博のランドマーク的造形物である以前に、その胎内に闇を抱え込んだ内部空間であり、外界での『進歩と調和』を内界での『闇と混沌』へと、未来への希望と明るさを根源の暗さと恐怖へと引き戻すために、万博会場の『ヘソ』に仕掛けられた反転装置であった」(『黒い太陽と赤いカニ』)と記している。
これはまさに、第二東京オリンピック(これも復興の象徴だ)のスタジアム建設予定地から出現し、ふたたび東京を破壊し尽くしたAKIRAの力そのものだといえる。
さて、三つの万博を補助線にそれぞれの作品の特徴を見てみたが、その結果、大友克洋のフィルモグラフィーが一つの流れとなって見えてはこないだろうか。それは一言でいうと「原型(アーキタイプ)の発見」だ。
大友監督は『AKIRA』『メトロポリス』『スチームボーイ』、まるで服を一枚一枚脱ぐかのようにその作風をシンプルにしてきた。科学では捉えられない前近代的な力を捨て、親子の葛藤という激しいドラマもはずし、そこに残ったのは純粋な“万博っぽさ”――パノラマ感覚や最先端のガジェットの魅力――だった。これは『AKIRA』→『スチームボーイ』という流れが、大阪万博→ロンドン万博という具合に、万博の原点へと向かっていることと対応する。
つまり最新作ではあるが『スチームボーイ』こそ、大友アニメのアーキタイプだったのだ。『スチームボーイ』のシンプルさ、明朗さも、それ故だと考えれば納得がいく。
では、アーキタイプへとたどり着いた大友監督は、どこへ進んでいくのだろうか。新たな衣装をまとうのか、さらにシンプルな世界を目指すのか。その行く先は、大空を飛ぶスチームボーイだけが知っている。
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