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その4 操作される民主主義の源流 フリーメーソン倫理学の基礎としてのカント倫理学 道徳法則の自律の概念

2018/04/27 13:50 投稿

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※この記事は無料ブログ「天野統康のブログ 金融システムから見る経済社会論」
からの転載です。
https://ameblo.jp/amanomotoyasu/entry-12371136729.html

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欧米の「操作される民主主義」を作り上げてきた中心勢力フリーメーソン。


そのメーソンの密教の倫理学の基礎にあるといわれる18世紀のドイツの哲学者
カント倫理学の解説本である

「悪について 中島義道著 岩波新書」

の書評の続き。


前回はカント倫理学の形式主義を参考にして、理性に基づく客観的な道徳法則を
モデル化していく流れをお伝えした。

<リンク>フリーメーソン倫理学の基礎としてのカント倫理学 理性的存在と道徳法則の関係とモデルの作成




今回は、カントの倫理学が述べる「道徳法則の自律の概念」について。


今回の解説は、下図の青い四角の枠線

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上の図の一番下にある「善意志の自律」とは、「道徳的に善い行動」を行う最終形式である。


カント倫理学では、道徳法則をたてる能力(実践理性)をもち、実践することを
「道徳的に善い行動」と定義する。

これからどのようにして上の図の矢印の最後にある「善意志の自律」に導かれる
のかについてお伝えする。

カントは人類にとって普遍的と思われる道徳をたて、意志を発揮する形式を
「道徳法則(上図の善意志の自律の上)」とよんだ。

その道徳法則を作り出す能力を「実践理性(上図の道徳法則の上)」とよんだ。

実践理性を持つ主体を「人格(上図の実践理性の上)」と呼び、この人格を手段
として使用してはならず、人格を目的として取り扱わなければならない、と述べた。


現在の日米欧を中心とした自由民主制の市民は、人格をもつ主体として仮定されて
いるために様々な権利が与えられている。

牛やブタは人格がないと仮定されているために、その肉を食べても罰せられない。

(腹が減ったら、それを満たすために牛やブタを食べても良い。つまり家畜などは
人格がないために腹を満たす「手段」として利用して良いということ)


この目的とする人格を守るために、「個人の尊厳の実現」という人格の保障を
目的とする民主主義が発生した。

その目的を守る保障体系として自由、平等、友愛、真理の諸権利が憲法と法律
によって規定され、民主政治を形成している。


さて、前回お伝えしたように人格を構成しているのは「理性」と共に、「自律」という
概念である。


人格とは「理性に基づいて自律的に行動する主体」と定義されている。


民主主義における「人格」の内容を定義したカント倫理学の自律の考えについては
以下のように解説されている。



(悪について 中島義道著 より転載)


P132~P133 

意志の自律とは、自分が立法し、自分自身がそれに従うことである。だがこう言ってみても抽象的でわかりにくい。自律は「他律でない」ことであるから、さしあたり他律とは何かを通して具体的にわかってくる。

意志の他律とは、他人の指示・警告・勧告等々に従う態度であり、その時々の法律・掟・習慣に疑問を感ずることなく従う態度である。


(転載終了)


自律とは自らが立法することだという。

逆の意味の「他律」は、他人や社会の掟に唯々諾々と従うことである。


一般にとらえられている自律の意味は、自らたてた規範に従って行動することである。

一方でカントの自律は一般の意味よりも内容を制限しており、

「普遍的道徳法則を立て、これに従うこと」

としている。

(デジタル大辞泉より転載)


https://kotobank.jp/word/%E8%87%AA%E5%BE%8B-535817

自律

他からの支配・制約などを受けずに、自分自身で立てた規範に従って行動すること。「 自律 の精神を養う」⇔他律
カントの道徳哲学で、感性の自然的欲望などに拘束されず、自らの意志によって普遍的道徳法則を立て、これに従うこと。⇔他律


(転載終了)





一般に使用される自律とカントの自律の意味の違いは、


・自らの規範とその行動が、普遍的道徳に基づいている(カント倫理学)

・自らの規範とその行動が、普遍的道徳の有無にかかわらない(一般の使用)


このようにカントの自律の意味は、常に普遍的道徳とセットなのだ。


そのため、

「意志の自律とは、自分が立法し、自分自身がそれに従うことである。」

という引用文を上記に掲載したが、

一般の意味での「意志の自律」では、自分がエゴイズム的観点から勝手に立てた
規範にもとづいて行動することも「意志の自律」となってしまう


そこで意志という単語に「善」を加えて

「善意志の自律」

とするとカント倫理学の求めているものが明確になる。


ちなみにカントの述べる「意志」とは行動を伴う精神の働きを述べている。


(悪について 中島義道著 より転載)



P12

カントの場合、ここで使用されている「意志」というタームが心理状態を表すのではないことは、明らかだからである。

意志とは行為を「ひき起こす」原因なのであり、単なる願望や欲望ではない。だから眼前の溺れそうな子供を見て、

「助けたい!」という思いがいくら強くても、実際に「助ける」という行為をひきお越しえなければ、その思いは意志ではない。


P12~P13

意志が行為をひき起こす原因であるとすれば、行為と独立に意志はありえない。とすれば「善意志」は単なる「道徳的に善いことをしよう」という思いではなく(われわれは、いくら「道徳的に善いことをしよう」と思っても、それだけでは実行できない)、行為の原因なのであるから、それは道徳的に善い行為をひき起こす力をもつのでなければならない


(転載終了)


上記の事例で善意志を導き出すと、次のような流れになる。

溺れている子供を助けたい、というのは「善の感情」である。下図の①

その善なる感情に基づいて、有効な手段を考えるのが「善の知性」となる。下図の②

その善なる感情と知性に基づいて、行動を行うことが「善の意志」になる。下図の③




このように道徳法則は善意志(善なる行動)を自律的(自らの決定)に導き出す。

道徳法則があるから「善意志の自律」が実現するという考え方だ。


上記の図はカント倫理学を参考にして「道徳的に善い行い」をつくりだす形式的なモデルである。


この自律の意味も大きく二つに分けられるだろう。


・道徳法則を「創る」自律

自らが望む正しい道徳を創りだし実践する自律の事である。
法律でいえば、「思想・信教・表現の自由」などがこの部分を保障する。


・道徳法則に「基づく」自律

「創られた道徳法則」の中での意志の自律である。

例えば、同じキリスト教徒でも、自律性をもった信者と、自律性を持たない他律的な信者がいる。

キリスト教という同じ道徳法則に基づいていても、その教義の中で自律性の有無に違いがある。

信者の自律性が認められないのがカルト教団の特徴である。

信者は、その組織や教祖への絶対的忠誠が求められている。


例えば、中世のローマ・カトリック教会はカルト教団だった。

教義の解釈においてカトリック教会と違う解釈を行うものを異端として殺していたからだ。

まさに自律性を否定する、他律的な組織であった。


身の危険も顧みず宗教改革を行ったルターのような人々は、他のカトリックの
修道士よりも自律性が強かったという事だ。


一方、信者の自律性を尊重する教団は、どんなに非論理的な宗教や思想で
あってもカルト的とは呼べないだろう。
例えば、巨額な金銭の負担を求める組織が悪かというとそうとはいえない。
そこに自律性の尊重が存在するなら、それは信者の個人的な判断に任せられる。


話がそれたが、カントにとっては、自らの理性に基づいて道徳法則を創りだすことは、意志(行動)を含んでいる以上、それそのもが自律的な営みなのだ。

「善意志の自律」とは、他律(他者)によらない、自らが決めた道徳法則の実践ということだ。

この道徳法則と自律の理論に基づいて、カントは人間が理想とするべき
「道徳的に善い行為」の形式的な定義を創りだした。


それでは、善意志を導く道徳法則は無条件に善いものだとして肯定するべきものなのだろうか?


それには、大きな落とし穴がある。


なぜなら、カント倫理学では、「道徳的に善い行為」の形式は確立されても、

「何が善い行為なのかの具体的な中身」が示されていないのだ。


「善の形式」が確立されていても、「善の内容」が確立されていないのである。



(悪について 中島義道著 より転載)


P10

カントは、善の内容、すなわちいかなるものが善であるかを提示しようとしない。これは、カント倫理学にとって本質的なことである。


P142

カントがわれわれ理性的存在者に要求していることは、道徳的に善い行為を通じてそのつど何が善い行為(適法的行為)かを決定せよということである


(転載終了)



この善の内容が定まっていない善意志の自律の形式は、社会を民主化し人々に基本的
人権を与えていく原動力になった一方で、ナチスドイツのような大量殺戮を招く理論
にもなりえた。


カント倫理学の善の形式は、民主主義の人格の原理の基本であるが、
それだけでは、民主主義の理論になりえない。


民主主義の理論は、カントの道徳法則によって作られる人格の原理を、
全ての市民に権利として与える立法によって作られることを次回お伝えする。

次回に続く



(記事終了)



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