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(本文)
(八嶋聡のブログより以下転載)
http://omoinoha.exblog.jp/18345889/
フロムが『自由からの逃走』の中で引用する『カラマーゾフの兄弟』
フロムが『自由からの逃走』の中で引用していたドストエフスキー
『カラマーゾフの兄弟』の中の叙述を、「大審問官」の個所で
ようやく見つけることができたのでメモしておく。
<『自由からの逃走』(P169~)>
マゾヒズム的人間を観察すると、彼らが孤独感と無力感の”恐怖”にみちていることが明らかになる。
この感情は意識的ではなく、優越性や完全性の、補償的な感情で覆われていることもある。
個人は否定的な意味で自由であると感ずる。
すなわち彼は一人ぼっちでおり、よそよそしい敵意にみちた世界に対立している。
この状況の中では
ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の中のすぐれた叙述をひくならば、
「人間という哀れな動物は、もって生まれた自由の賜物を、できるだけ早く
、ゆずり渡せる相手を見つけたいという、強い願いだけしかもっていない」。
おびえた個人は、自分を誰かと、あるいは何ものかに結びつけようとする。
もはや彼は自分自身を持ちきれない。
彼は狂気のように自分自身から逃れようとする。
そしてこの重荷としての、自己を取り除くことによって、再び安定感を得ようとする。
<ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』原卓也訳(新潮文庫)(上巻 P640~)>
「……お前に言っておくが、人間という不幸な生き物にとって、生まれたときから
身にそなわっている自由という贈り物を少しでも早く譲り渡せるような相手を
見つけることくらい、やりきれぬ苦労はないのだ。
だが、人間の自由を支配するのは、人間の良心を安らかにしてやれる者だけだ……」
(転載終了)
自由をどのように使えばいいのかわからないという課題は、
大昔から続いている問題だ。
上記の記事にある20世紀のエーリッヒフロムの
「自由からの逃走」
そして19世紀の大文豪であるドストエフスキーの
「カラマーゾフの兄弟」
そこで大審問官が述べている聖書の中の悪魔の話。
つまり2000年前のキリストの時代からあったのだろう。
現在の民主政治で認められている自由もその使い方を学ばなければ、
権力者によって悪用されてしまう。
マネーの権力者によって作られてきた富の超格差社会は
この自由の使い方を市民が上手く使いこなせないために起きている問題である。
何のために民主政治で自由が与えられているのか、
という「何の」という目的語を明確にしない限り、市民は自由を
適切に使うことが出来ないだろう。
そもそも「適切」という言葉が、何の基準から見て適切なのか、という
目的語が無ければ成り立たないものだ。
我々が住む民主政治における適切な自由の用い方
の答えは、立憲民主主義の目的である
「個人の尊厳の実現のため」
である。
そのために与えられている自由なのだ。
つまり一人一人の人格が認められて保障されている状態、
「誰もが支配されない自由で平等な社会を作るため」
この目的の実現のために自由が与えられている。
これを権利として表したのが、
「人は生まれながらに自由で平等である」
という自由・平等・友愛の諸権利である。
ここを目的として意識化した時に、適切な自由、平等、友愛の使い方が生まれる。
そして、目的から発生する現状認識(目的に基づいた真理)が見えてくる。
この善のイデア(全ての価値基準となるべき理想)を市民が意識化しない限り
今後も、民主政治で与えられる諸権利、自由も平等も友愛も真理も、権力によって
操作される市民の時々の感情に基づいて恣意的に使われ続けるだけだろう。
その民主政治の機能不全を克服する段階に現在の人類は至っている。
解決策は極めて単純なことだ。
真の目的を意識化することである。