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【第154回 芥川賞 候補作】『死んでいない者』滝口 悠生

2016/01/12 15:59 投稿

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 押し寄せてきては引き、また押し寄せてくるそれぞれの悲しみも、一日繰り返されていくうち、どれも徐々に小さく、静まっていき、斎場で通夜の準備が進む頃には、その人を故人と呼び、また他人からその人が故人と呼ばれることに、誰も彼も慣れていた。
 人は誰でも死ぬのだから自分もいつかは死ぬし、次の葬式はあの人か、それともこちらのこの人かと、まさか口にはしないけれども、そう考えることをとめられない。むしろそうやってお互いにお互いの死をゆるやかに思い合っている連帯感が、今日この時の空気をわずかばかり穏やかなものにして、みんなちょっと気持ちが明るくなっているようにも思えるのだ。
 よしなさいよ、縁起でもない。
 などと思ったところで、誰かがその言葉尻を捕まえて、親戚など縁起そのものじゃないか、それ以外の意味などあるのだろうか、などと言い出し話を複雑にする。縁起、縁起、とどこかから呟く声がさっきからしている。
 大方、おしゃべり好きのが酒に酔ってそういうことを言う。人の揚げ足をとったり、言葉の端々に小さな皮肉を混ぜがちなのは、隙あらば人にものを教えてやろうとするいかにも元教員らしい悪癖といっていい。
 それにしても春寿とはおめでたい名前で、こういう葬式の場にはそぐわない。
 馬鹿言え。俺だって好きでこんな和菓子みたいな名ァ名乗ってるわけじゃないんだよ。
 しかも彼は、喪主なのだった。他に代わりはいなかったのか。しかし彼こそが、故人と、これもすでに十年以上前になくなった故人の妻との長子であり、葬儀には似合わぬその名も、他ならぬ故人がつけたものだった。自らの葬儀の喪主を、自ら名づけたおめでたい名の息子が務めるという。上空でか、あるいは地下でか、故人は、どう思うのだろうか。
 そんなことはわからない。その人は死んだのだ。
 子どものはしゃぐ声がどこかから聞こえ、廊下やホールに響いた。
 こんな時でも無邪気でいられ、人間の生老病死の深刻さになどふれ得ない。いやしかし、と思い直す。子どもだからといって、死者の体にみっちりと詰まって固まったような死を、感じないわけがない。いや、むしろ子どもの方こそそれを直観しているんじゃないか。
 自分が子どもの頃を思っても、死者を目の当たりにした時、いやおうなしに思い知らされたものだ。
 それが誰の死だったのか、死んだ誰の体だったのか。誰であれ親戚の人間なのであれば、今お盆やポットを持ってそのへんをせわしなく行ったり来たりしている喪服姿の誰か彼かにとっても、近く遠くの親戚筋ということになる。
 縁起、縁起、とまた聞こえてくる。
 見習いの坊主が説法をさらいながら、寺に迎えにやった車でこちらに向かっていた。後部座席の傍らに置かれた、袈裟姿にはそぐわないスポーツブランドのナイロン製ミニバッグの中の携帯電話が誤作動し、さっきから葬儀会場の電話に何度も無言電話をかけていた。受話器を取った者がよく聞けば、雑音のなかにくぐもった説法の練習が聞こえた。これから試験でもあるみたいだ、と運転手の男は思った。ていうか、車で迎えに行くような距離かよ。歩けよ。
 たとえば故人は、あそこで重なった寿司桶の数を数えているの父であり、その横で携帯電話を耳に当て、おそらくまだ実家にいる弟のに数珠を持ってきてくれるよう頼んでいる多恵の父でもある。もちろんその電話を受けている保雄や、彼らの兄にあたる喪主春寿の父でもある。故人には五人子がいた。
 また子どもの声が響いた。
 小さい子どもは今年三歳になるしかいないからあの声は彼の声だ。吉美の娘のの息子、だから故人のひ孫ということになり、秀斗から見れば故人は曾祖父、ひいおじいさんということになる。
 この日の朝、鎌倉から、紗重と紗重の夫のダニエルとともに車でやって来た秀斗は、実家で故人に対面し、人生ではじめて死んだ人間を見た。見たと言うより、それは出会ったと言う方が近かったろうか。秀斗は、目の前にいるのがこれまで数度会ったことがあり、ぼんやりとながらばあばのお父さん、と認識もしていた曾祖父のことだとわかっていたが、同時に自分の知っていた彼と今目の前にいる彼とは決定的に違う、ということもはっきりと感じていた。ゆうべなくなった、つまり死んだ、と、聞かされたその意味をわかってはいたが、こうして目の当たりにしてみると死ぬとはどういうことなのかやっぱりわからなくなり混乱していた。とはいえ彼にとってその程度の混乱は日常茶飯事だったので、取り乱すことはなく、むしろ自分のお父さんがこんなふうになってしまった状況にある祖母吉美のことを案じていた。
 大丈夫、ばあばは大人だから。紗重はそう言って秀斗の頭をなでた。
 秀ちゃん、やさしいねえ。ばあばの心配、してくれるのか。してくれるのかこれ、これこれ。そう言って孫の頬に自分の顔をすり寄せる吉美の目にこの時浮かんできた涙は、父の死というよりも孫の素朴な優しさに誘われたものだったろうか。
 考えてみれば、それがどんな感慨であったにしろ、心理的な揺れや変化が直接的にはなんの刺激もない目玉から水分を出すに至るというのは想像を超えている。それもこれも生きていればこそなのだ。短絡、安直に過ぎるとは自覚しつつも、何かにつけてそう結論づけてしまう。誰かが死んだ時は通常の短絡が短絡でなく、安直が安直でなく感じ入る。大人だって、死ぬとはどういうことなのかなどわからない。単に、わからないでいることに慣れたか、諦めたか、混乱しないでいられるだけだ。実際、父がもう長くはない、と知った時から、吉美たちはその死に慣れはじめていたように思う。自分の死についてだって、それがなんなのかさっぱりわからないまま、刻々それに近づいていっている、あるいは近づかれている。まあ諦めるしかない話ではあるが、そんな達観はあまり意味のない言わば人生の休日の思考であり、生きるとは結局その渦中にあることの連続なのだと、孫の秀斗と娘の紗重を半々に見ながら吉美は考えた。
 内なる混乱は、秀斗の横に立ち、両肩に手を添えていた父親のダニエルも一緒だった。彼もまた、日本で、死んだ人間に対面するのは初めてだったし、死んだ日本人を見るのも初めてのことだったから。日本人の妻を持つことになった彼は、他のアメリカ人よりもずっと日本の死生観に通じてはいたが、それでも実際に死者を目の前にすると、その人の行く先について働かせる自分の想像力はひどく頼りなかった。
 秀斗とダニエル、ふたりの顔つきがよく似ていた。わずかに開いた口元の、その唇の向きと形がおんなじだと紗重は思った。祖父の死体から目を逸らし、夫と息子に目を向け、そう思った。その一連の自分の動作と感慨を、祖父に見られているような気がした。その祖父の目は、体にあったのか、それとも天井か、窓の外か、もっと上方にあったのか。どこにもないのに見られている感じがする、というその感じを、人は本当に感じられるものだろうか。
 その時感じたそのことを、紗重はその後もたびたび思い返した。自分が昔、祖母に口元が似ているとよく言われていて、祖母がなくなった時にその祖母を見ていた自分のことを思い出したりもしたし、もし自分が今死んだら、夫と息子がやはりああして自分のことを見つめる、その時にはもう少し悲しげになるだろうなどとも思った。人の死に際し、自分の死や死んだ先祖たちのことに思いが向くのはきっと自然なことだ。親の親のそのまた親の代があり、そこから自分に至るまでのどこが欠けても自分はいないというこのことは、家系図や言葉ではわかっていても、そうして誰かが死んだ時にしか真に迫ってこない。あるいは誰かが生まれた時にしか。一方で、しかし、と頭に浮かんできたのは、親の親のそのまた親の、そのどこかで系図が途絶えていたとしても、自分はひょっこりどこか全然別のところで生まれていたのではないか、そうに違いないという気持ちで、そんなことを思ったのははじめてだった。子どもを持つようになったからそういうふうに思うのかも、と紗重は思った。子どもを産んでからというもの、そういうちょっとした世界観の変化みたいなものに気づくことがたびたびあった。
 たとえば夫のダニエルはアメリカのウィスコンシン州で生まれ育ち、紗重は日本の鎌倉で海を見ながら育った。そんな遠くで生まれ育ったふたりが出会い、子どもを持ったことは奇跡的なこととしか思えない。ダニエルと知り合う前に付き合っていた高校時代の同級生だった男とくらべて、ダニエルと出会う確率の低さはどうだろう。
 確率ってそういうものなのかな。
 ダニエルはそう言って、黒いネクタイを緩めた。額と首筋に汗をかいている。背広のボタンを外して、ひとつばさりと懐に風を入れると、日本人とは違う夫の体の匂いがした。家のなかではほとんど感じないが、こうやって外にいると時々感じることがあって、紗重はその匂いも、その瞬間も好きだ。

※冒頭部分を抜粋。続きは以下書籍にてご覧ください。

死んでいない者
死んでいない者
posted with amazlet at 16.01.07
滝口 悠生
文藝春秋


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