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【第158回 直木賞 候補作】『ふたご』藤崎彩織

2018/01/10 17:30 投稿

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 彼は、私のことを「ふたごのようだと思っている」と言った。
お酒を飲んでいると、ときどきその言葉を使うことがある。ふたご。まるで同じタイミングで世に生まれて、一緒に生きてきたみたいだ、と。
 ふたご。その言葉を他人に対して使うと、生々しい響きになる。まるで生まれて初めて聞いた音や、見た景色も、同じみたいだ、と。
 私たちが一緒に生活を始めてから、何年になるだろうか。ふたりの背後には、チューハイの空き缶が高く積み上げられている。これもいつもの景色だ。
 グラスに氷を入れてお酒を飲むことを面倒くさがる彼は、お酒をいつも缶で買う。そして、五本、六本と飲み終えた缶が増えていくと、それらをタワーのように積み上げて、誇らしく見上げるのが、彼の趣味なのだ。
 いつもの風景。これがいつもの風景になったのは、最近のことだ。自分たちにこんな日がくるなんて、長い間想像することも出来なかった。

 ふたごのようだと思っている。
 彼は私のことをそんな風に言うけれど、私は全然そんな風には思わない。
 まず、私はあんなに突飛なことをしないし、だいいち学校だって一応大学までちゃんと通っていたし、彼に「夏休み、一緒に水族館のバイトしない?」って誘われたときだって、二人同時にバイトの面接を受けに行ったけれど私だけ受かって彼には電話がかかってこなかったし、私はあんな寂しい顔で笑ったりしないし、あんな悲しい泣き方だってしないし、あんな切ない声で歌ったりしない。
 人が涙するような声で歌ったその晩に、浴びるようにお酒を飲んで記憶をなくしたりもしない。
 私が黙っていても、彼は全く気にする様子もなく、スピーカーから流す音楽を探している。お酒を飲む時に必ず音楽をかけるのも、彼の趣味だ。そして、大声で歌う。
 どんな音楽をかけても歌手の声をかき消すほどの大きな声で歌うので、結局どの曲のボーカルも彼になる。
 今日もいつも通り、彼は大声で歌い始めた。最近よく聴いている曲だから、私も知っている。にこにこしている彼の目が「一緒に歌おうよ!」と言っている。もう「ふたご」のことなんて、どうでもよさそうだった。
 彼が私のことを「ふたご」と呼ぶ時は、いつもこんな風に機嫌のいい夜だった。お酒をたくさん飲んで、未来や夢のことを語って、そして彼は仲間たちに無理難題をふっかける。
 でも彼の話を聞きながら、心の中で「それはちょっと無理なんじゃないかなあ……」なんて不安に心拍数をあげていると、彼は悪魔の微笑みで近寄ってきて、告げるのだ。
「俺はお前のこと、ふたごのようだと思っているよ」と。
そう、まるで「よう、兄弟。分かるだろ?」のニュアンスで。
 私は全然そんな風には思わない……。
 それなのに、彼がその言葉を口にするときのあの瞳に、誰かに何かを伝えようとするとき、少し斜視になるあの瞳に見つめられると、私は決まって、悪い魔法にかかったみたいに、こくんと頷(うなず)いてしまうのだ。
 まるで「おう、兄弟。分かるよ、当たり前だろう?」のニュアンスで。

 彼はまた新しくチューハイの缶を開けていた。飲み終えた缶を、既に高く積み上げられたタワーに加える。上のほうがぐらついていて、今にも倒れそうだ。
 片付ける時に大変だからやめて欲しいと、今まで何度も言ってきたけれど、結局聞き入れて貰えなかった。
 ねえ、それやめて欲しいのだけど。そう言うと彼は、こちらにくるっとむいて、分かったような顔でにこりと笑う。それだけだ。酔っているときに何か言っても、あまり効果はない。
 ふたごのようだと思っている。
 彼は知っているのだろうか。かつて私が彼とふたごになりたくて、どれほど苦しかったのかを。ふたごになんかなりたくないと、どれだけ一人で泣いた夜があったのかを。

 いっそのこと、本当にふたごのようであったら、こんな風にいつまでも一緒にはいなかったのだと思う。いや、はっきり言おう。私たちがふたごのようであったら、絶対に、一緒にいることは出来なかった。
 確かに、私は人生の大半を彼のそばで過ごしてきた。晴れた日も雨の日も、健やかな日も病める日も、富めるときも貧しきときも、確かに、私は彼のそばにいた。
 けれどもその大半は、メチャクチャに振り回された記憶ばかりだ。

一 夏の日

 家族が誰もいないのをいいことに、ソファの上に足を投げ出した。中学校は休みだ。
 テーブルから持ち上げた麦茶のグラスが結露していた。水のしずくが手首を伝って、読んでいた本のブックカバーの上へ落ちる。あわててティッシュペーパーで拭おうと上体を起こすと、布製の緑のカバーに、ちょうど涙のような染みが出来た。
 電話が鳴った。急いで立ち上がって、子機を取る。
「もしもし、西山です」
 変なセールスの電話の場合、大人のフリをして断らなくてはならないので、少しすました声で出ると、電話のむこうで「何その声、おばさんみたい」と笑い声が聞こえた。
 電話をかけてきたのは、月島だった。
「なっちゃん、今からDVD借りにいくんだけど、一緒に行かない?」
「DVD……? うん、いいよ」
「どうしたの?」
「え?」
「何かあった?」
 月島はいつも、うんか、ううんの言い方ひとつで、何かあったのと聞いてくる。そして彼が聞いてくるときは、たいてい本当に何かある。けれど私は胸の中で渦を巻いている出来事を思い出しながら、言葉を飲み込んだ。
「ううん。何でもない。私もちょうど映画を見たい気分だよ」
 テーブルに置いておいた氷のなくなった麦茶を一口飲んだ。ごくりという音が聞こえないように、口だけを子機から遠ざける。
 月島と仲良くなったのは、中学二年になった時だ。
 同じ中学校に通う一学年先輩の月島を、学校の吹き抜けの階段でよく見かけていた。
 目が綺麗だ。月島は寒空の下にいる動物みたいな目をして、一人で遠くを見ていた。
「こんにちは、西山夏子といいます。何を見ているんですか……?」
 気づいたら、そう声をかけていた。
 それが二人の初めての会話だ。月島は私のことを、なんだか変わった後輩だと思ったらしい。

 電話を切って、外へ出かける支度をしていると、すぐにインターフォンが鳴った。ドアを開けると、月島がすぐに背中を見せる。早く行こうぜ。自転車にまたがる彼を見て、私は急いで靴を履いた。
 自宅から自転車で十分ほどの距離に、池上という駅がある。東急池上線、池上駅。
 月島も私もこの駅が気に入っていた。
 池上駅には、ツタヤとゲオの両方がある。どちらかを探せば大体の映画やCDがあったし、どちらも見てまわるのが私たちのいつものコースだった。
 自転車を止めて、まずはツタヤへと向かった。私は最近あった出来事を話し始めた。
「昨日ね、国語の大塚先生が門の前にいて、私を見るなり、スカートが短すぎます、もう少し長くしてきなさいって言ったの」
「ああ、あのちびまる子ちゃんみたいな髪型の人」
 月島が言う通り、先生は確かにいつもまる子ちゃんのように毛先をぱっつんと切りそろえていた。お堅いことで有名な大塚先生に、ちびまる子ちゃんはあまりにも不似合いで、私は吹き出しそうになる。
「それでね、問題はここからなんだけど。大塚先生があまりにも呆れた顔でスカートが短いって言うから、私試しに聞いてみたの。先生、なんでスカートを短くしちゃいけないんですか? って」
「へえ。先生は何て?」
 月島は興味深げに聞き返してきた。
「ルールだからって」
 淡々と説明したつもりだったが、そう言って先生の顔を思い出すと、胃がむかむかとした。
何を言ってるの、西山さん。そんなこと当たり前でしょう? という呆れた顔。
 全く、国語の先生の癖に語彙(ごい)が少ないんじゃないかな。ルールだからって、説明になってないよね。私が愚痴(ぐち)ると、月島は急に立ち止まった。
「じゃあさ、なんでルールを守らなきゃいけないんだと思う?」
 月島はいつも、ゲームみたいに言葉の意味を考える。私はツタヤの前で、少しだけルールについて考えてみた。
「うーん……例えば法律だってルールでしょう? 法律が何で必要かは、分かるの。あの目眩(めまい)がしそうなくらいのたくさんの法律がなかったら、世界は野蛮になって……きっと自制が利かなくなっていく。私たちはきっと、とてもじゃないけど怖くて外へも出られなくなる。恐ろしさに目も開けられなくなる」
「目は開けられる」
 月島は冷静に言いながら、ツタヤの扉を開けた。入ってすぐの所に、映画の新作がぴかぴかと輝いて並んでいる。
 私たちはいつものようにそこを素通りして、旧作が並ぶ棚へと移動した。新作は高くて、借りることが出来ない。
「私ね、法律は必要だと思うよ。同じ土地の中で、たくさんの人が住んでいたら、お互い安全に暮らすために、勿論ルールは必要になってくる。でも、スカートを短くしちゃいけないっていうルールは、どうして守る必要があるんだろうね?」 
 本当のところ、スカートを短くすることに、そこまでのこだわりはない。ただちょっと可愛いかなと思って、ウエストの所を二回ほど巻いてみただけだ。
 そんなことよりも、実際はルールだからと言われて、その場でむすっと引き下がった自分の気弱さに腹が立っていた。
「俺に怒ってどうするんだよ」
 月島は困ったように笑ったが、
「じゃあさ、仮にスカートを短くしちゃいけないというルールがなかったとしよう」
と続けた。
 旧作のDVDコーナーの前で、私はうん、と頷く。
「そうしたら、どうなると思う?」
「んー……」
 私はスカートの長さが自由になった学校を想像した。ダンス部の女子たちは、下着が見えそうな程スカートを短くしそうだ。
「俺は、ガラが悪くなると思う。服装の乱れは心の乱れって、ロボットみたいに先生たちは言うけど、実際間違ってないと思う。第一ボタンまでしっかりとめて、ネクタイをビシッと締めてるヤンキーを俺は見たことがないから」
 第一ボタンをだらしなく開けて、ネクタイもゆるゆるのまま制服を着ている月島が、そんなことを言うのは何だか矛盾しているような気がした。
「じゃあ、君はスカートを短くしたらみんなが不良になると思うの? それはちょっと飛躍しすぎじゃない?」
「そんなことないよ。それがそのまま非行に繋つながらなくても、そういうルールを外れたい人間同士が集まって、一人じゃやらなかった事をしてしまう可能性はある。一人じゃ万引きなんかしなかったのに、一人じゃ煙草なんか吸わなかったのにって」
「確かに。じゃあ君は不良を寄せ付けているんだね」
 十五歳の月島は、制服の着方だけでなく、ピアスもあけていたし、髪を金髪に染めてもいた。
勿論校則違反だ。しかもブレザーのポケットには、赤いLARKの箱が入っている。
「ルールを外れた奴の匂いってあるんだよ」
 そう言う月島の声が妙に大人びていて、私は目線をはずした。月島は時々、私の知らない世界を知っているような声で話をする。
「俺が思うのはさ、大人の言ったことを、揚げ足取りみたいに考えても何にもならないってこと。それは結局、言葉遊びに過ぎないと思う。実際のところは、先生たちも必要ないと思っているルールだってあると思うよ。でも、本当に重要なのは、ルールの意味じゃないんだと思う」
 月島は校則を全然守っていないのに、どうしてそんなことを堂々と言うのだろう。私は拗(す)ねるように、
「じゃあ何が重要なの?」
 と聞いた。店内に自分の声が響いている。
 ツタヤは、他に客もなく閑散としていた。
「ルールを守ること、だよ。ルールの意味が重要なんじゃない。ルールを守るということに意味があるんだ、多分ね。学校ではそれを学べってことだろう」
 淡々と月島は言った。でもすぐに、
「まあ、それが分かっても今のところは無視だ。そんなことは、そのうちだな」
 と言って、少し得意げに笑った。
 学校のルールなんか少しも守っていない月島が、達観したように言うのに私は驚いて、少しの間黙っていたけれど、結局私も笑った。
 話しているうちに、スカートの長さなんて、どうでも良いことに思えた。
「それよりさ、なっちゃん、今日何かあった?」
「どうして?」
「電話に出た時、元気なかったからさ」
 私は胸の中でつかえているものが、月島に透けて見えているのではないかと不安になった。
誰かに話してしまうと、自分から感情が溢(あ)ふれてしまいそうで、誰にも話さずに胸の中に留めていた出来事を思い出す。
 私たちはツタヤから出て、歩き出した。
「最近ね。私の部屋からお金がよくなくなるんだ」
 足は、自然とゲオの方に向いた。ツタヤの次はゲオ。いつものルートだ。
 私たちはひとまず、二階にあるゲオへと上がる階段に腰を掛けた。一階のスーパーから出てくる大きな買い物袋を下げた女の人が、自転車に乗って前を横切っていく。
「最初は弟が持っていったのかな、と思った。気がついたら財布からお金がなくなって、そんなことが何度もあって、やっぱりどう考えてもおかしい、って思って……」
「最初は?」
 月島の声が、僅(わず)かに高くなる。
「そう。最初は。でもこの間ね、またなくなってた。私はもう頭にきて、弟がまた私のお金とってる! って家で大騒ぎしたの。そしたらお母さんがさ、びっくりすること言うんだよ。何て言ったと思う?」
 階段に座りながら、月島は首を横にひねった。分からない。
「夏子、こんなことを言うのは何だけど。あなたね、エミちゃんが来た時に毎回お金がないって言ってるわよ。って」
 エミというのは、私の中学の友達の名前だ。
 彼女は学校帰りに家に来て、うちの本棚を物色するのが好きだった。そのまま夕飯を食べ、泊まっていくこともあった。
 気になる男の子の話や、彼女の所属している吹奏楽部の話、行こうと思っている高校のことを、何時間も明け方まで話し込んだ。
 月島に説明をしていると、思い出して涙がつつと頬を滑っていく。ただ事実だけを伝えようと思っていたのに、どうしてもそのときの感情が戻ってきてしまう。
「私エミにすぐに聞いてみた。話があるって呼び出して、道路沿いのマンションのところに腰掛けて、聞いてみたの。
あのさ、エミが私のお金を盗んでるなんて、そんなはずないと思うんだけど……。でもこれまでのことを思い出したら、あの日もだ、あの日もだって、あまりにタイミングが良すぎて、そうじゃないかって思い始めてる。そう言った。凄く嫌な気持ちだった。だって、話しながら本当は確信してたんだよ、私。あ、これは間違いなくエミなんだって。
それから、正直に聞くけれど、私のお金を持って行ったことある? って言った。そしたら、エミ、ずっと、黙って……。長い間、ずっとずっと黙って。小さな声で、ごめんねって」
「そうか」
 月島は深く息を吐いた。池上駅の前のロータリーに、何台かのバスが入ってくる。
「それは辛かったね」
 そう言われると、涙が一粒ずつ、大きなしずくになって目からこぼれていった。スーパーの袋を下げた若い母親らしきひとが、心配そうにこちらを見ている。
「私、友達の作り方が、全然分からないや」
 泣きながら自分で言った言葉は、あまりに情けなくて、悲しかった。
 悲しい。

 自分が誰かの特別になりたくて仕方がないことを、私は「悲しい」と呼んでいた。誰かの特別になりたくて、けれども誰の特別にもなれない自分の惨めさを、「悲しい」と呼んでいた。


※1月16日(火)18時~生放送

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