来年1月24日投票の宜野湾市長選や、夏の参院選で、米軍新基地(名護市辺野古)推進派の現職を後押しするための、露骨な「負担軽減」アピールです。
今回の合意は、13年4月に日米合意した、嘉手納基地(嘉手納町など)から南側の基地統合計画の返還時期の一部見直し。これにより、普天間基地の東端部約4ヘクタールと、牧港補給地区(浦添市)の東端部約3ヘクタール分が、基地本体と切り離され、「細切れ」で先行返還されることになります。
さらに、キャンプ瑞慶覧(宜野湾市など)の一部であるインダストリアル・コリドー地区の上に高架式道路を建設する工事を17年度中に開始するため、日米共同使用とする方針も確認しました。今年3月に返還された同キャンプの西普天間住宅地区は、幹線道路の国道58号につながる道がなく、跡地利用が困難だとの声が地元から出ていました。
日本共産党の赤嶺政賢衆院議員は、インダストリアル・コリドーと西普天間住宅地区の同時返還を望む地元の要望を国会で繰り返し取り上げてきました。
解説/「負担軽減」程遠い欺まん
日米両政府の共同発表は、沖縄の真の基地負担軽減とは程遠い欺まんに満ちた合意です。そもそも今回の発表の根本にある2013年4月の統合計画そのものが、辺野古新基地建設をはじめとする沖縄県内やグアムへの「移設」条件付き。計画が完了しても全国に占める在沖米軍基地面積の比率は、73・8%から73・1%へ、わずか0・7ポイントが減るだけです。
しかも、完了時期はいずれも「○年度またはその後」とされ、実際の返還時期も不明瞭です。今回の発表でもその点はまったく変わっていません。
おまけに、普天間基地4ヘクタール分の返還は、同基地の面積481ヘクタールの1%未満で、1990年の合同委員会の“塩漬け”合意を今ごろになって持ち出したにすぎません。返還予定地の道路の周りには民家が建ち、すでに民間道路と何ら変わらない状態の部分もあります。
キャンプ瑞慶覧のインダストリアル・コリドー地区に至っては、最初の返還合意は今から39年前の、1976年の日米安全保障協議委員会。それをいまだ返さないどころか、その上に高架式道路を通すなど、当面の間、基地として使い続けることを自ら認めるようなものです。
公約を裏切った仲井真弘多前知事でさえ、13年からの「7年以内全面返還」を要望していた牧港補給地区ですが、それすら「25年度またはその後」という現行の返還時期には何ら手をつけていません。 (池田晋)
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