主張
日航機墜落30年
「命を運ぶ」が風化してないか
乗客乗員520人が犠牲になった1985年8月の日本航空ジャンボ機墜落事故から12日で30年です。航空機をはじめ公共交通機関でひとたび事故が起きれば、どれほど多くの命が奪われ、残された家族らの人生が狂わされてしまうのか。取り返しのつかない悲劇を生んだ事故の教訓を、風化させてはなりません。航空・鉄道・船舶など交通運輸にたずさわる事業者・行政は「絶対安全の確立」の鉄則を貫くことが求められます。
「安全よりコスト」の危険
東京発大阪行きの日航123便が離陸後約10分、伊豆半島付近上空で操縦不能に陥り約30分にわたって迷走したのち、群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落しました。救助されたのは重傷の4人だけです。単独の飛行機事故としては、いまも世界の航空史上最悪の大惨事として記録されています。
事故原因について運輸省航空事故調査委員会(当時)は87年、事故機が過去におこした「尻もち事故」の際の米ボーイング社の修理ミスとする報告書をまとめたものの、遺族らの疑問は払拭されませんでした。事故の背景として問われたのは、安全を二の次にして利潤を優先した日航の体質や、それを許した航空行政のあり方でした。
事故後、日航は「安全運航」を「存立基盤」に掲げました。同社が設けた外部有識者会議も「安全の層を薄くすることで、コスト削減を図ってはならない」などの提言をまとめました。しかし2010年の経営破たん後、熟練パイロットや客室乗務員らを大規模にリストラしたように、日航の安全軽視・利潤最優先の姿勢は深刻です。とくに安全を守るため発言し労働条件改善を求める労働組合を敵視する同社のやり方は異常です。日航は不当解雇を撤回するなど、安全に逆行する利潤優先の体質を根本から改めることが必要です。
「空の安全」全体に責任をもつべき国の航空行政も問題です。格安航空会社(LCC)の参入などを促進するため、安全分野で多くの「規制緩和」が検討・実施されています。乗客が飛行機内にいる間も給油できるとするなど、これまで安全面から原則禁止されてきたことも可能にすることが含まれています。「効率化」のために、安全を置き去りにする「緩和」などあってはなりません。
航空会社の相次ぐ参入に人材育成が追いつかず、将来、パイロットや整備士が大量に不足することが想定されています。必要なパイロットが確保できなくなり、定期運航ができなくなった航空会社も生まれました。パイロットや整備士の不足が、空の安全を脅かすことがないよう業界・行政などが手だてを取ることも急務です。
遺族の言葉を胸に刻み
事故で9歳の次男を失い、「8・12連絡会」事務局長として遺族支援や原因究明などに奔走した美谷島邦子さんは、事故30年の手記文集「茜(あかね)雲」にこう記しました。「乗り物は人と人をつなぎ、街と街をつなぎ、希望や夢を運ぶもの。利便性や快適性、運賃よりも何よりも安全を優先に。それは命を運ぶからです。安全は命を守ること。それが最大の使命です。そして安全には終わりがありません」
交通運輸にかかわる、すべての人がつねに胸に刻まなくてはならない重い言葉です。これ以上、悲劇を繰り返してはなりません。
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