日本共産党の志位和夫委員長が16日、衆院本会議で行った戦争法案に対する反対討論は以下の通りです。
政府・与党は、昨日の安保特別委員会での強行採決に続き、この本会議での採決を強行しようとしています。
しかし、どんな世論調査でも、国民の5割以上がこの法案を「憲法違反」と批判しています。6割以上が「今国会での成立に反対」と言っています。8割以上が「政府の説明は十分ではない」と答えています。安倍総理自身、昨日の特別委員会で、「国民の理解を得られていないのは事実だ」と認めたではありませんか。この事実を認めていながら、なぜ採決ができるのか。
政府・与党の横暴は、憲法9条の蹂躙(じゅうりん)というだけでなく、主権者である国民多数の意思をないがしろにする点で、国民主権の大原則を蹂躙する歴史的暴挙であり、私は、満身の怒りを込めて、断固たる抗議の声を突きつけるものです。
第一は、アメリカが、世界のどこであれ、アフガニスタン戦争、イラク戦争のような戦争に乗り出したさいに、従来あった「非戦闘地域」という歯止めを撤廃し、自衛隊が、これまで「戦闘地域」とされてきた場所にまで行って、弾薬の補給、武器の輸送などのいわゆる「後方支援」――兵站(へいたん)を行うようになるということです。
「戦闘地域」まで行けば、自衛隊は相手方から攻撃される危険にさらされることになります。攻撃されたらどうするのか。総理は「武器の使用をする」と答弁しました。しかし、ひとたび自衛隊が武器の使用をすれば、相手方はさらに攻撃し、戦闘になるではありませんか。これが憲法9条が禁止した武力の行使でなくて何なのか。
総理は、苦し紛れに「安全な場所を選んでやる」と繰り返しました。しかし、古くから「糧道を断て」というように、兵站が格好の軍事攻撃の目標となることは、軍事の常識です。自衛隊が兵站をやっている場所が戦場になるのです。
「戦闘地域」での兵站は、憲法9条が禁止する武力の行使にあたり、「殺し、殺される」戦闘に道を開くものであり、断じて許されるものではありません。
私は、こうした法改定がなされれば、アフガニスタンに展開した国際治安支援部隊=ISAFのような活動への自衛隊の参加が可能になるのではないかとただしましたが、総理は、ISAF型活動への参加を否定しませんでした。
これはきわめて重大です。ISAFは、米軍主導の掃討作戦と混然一体となり、約3500人もの戦死者を出しているからです。そして、その活動は、今年1月以降は、アフガン治安部隊を支援するRS任務(確固たる支援任務)となって引き継がれ、42カ国、1万3000人が今なお参加しているからです。
戦争法案が成立すれば、米国がRS任務への自衛隊の参加を求めてくる可能性があります。総理、その時に拒否できますか。拒否できるわけがありません。
ここに憲法9条を踏みにじって自衛隊を「殺し、殺される」戦闘に参加させる、もう一つの深刻な現実的危険があることを、私は、強く告発するものです。
わが党は、国会論戦を通じて、集団的自衛権行使の最大の現実的危険は、米国の違法な先制攻撃の戦争に自衛隊を参戦させることにあることを明らかにしてまいりました。
6月4日、憲法審査会に参考人として招かれた3人の憲法学者がそろって「安保法案は憲法違反」との意見をのべました。大きな衝撃を受けた政府は、あわてて、6月9日、「新3要件と従前の憲法解釈との論理的整合性等について」と題する文書を発表しました。この政府文書で言われていることは、これまでの繰り返しですが、つまるところ次の2点にありました。
一つは、1959年の砂川事件最高裁判決が、集団的自衛権行使の「合憲性」の「根拠」になるとしていることです。
いま一つは、1972年に国会に提出された政府見解「集団的自衛権と憲法との関係」が示した「基本的な論理」は変更しておらず、「これまでの政府の憲法解釈との論理的整合性および法的安定性は保たれている」としていることです。
しかし、1959年の砂川事件最高裁判決は、憲法9条のもとで米軍の駐留が認められるかどうかを争ったものであり、日本の集団的自衛権などまったく争点になっていません。そのことはわが党議員の追及に対して、横畠裕介(内閣)法制局長官も「集団的自衛権について触れているわけではない」と認めた通りであります。
1972年の政府見解は、当時の国会で、野党議員から「なぜ憲法9条が集団的自衛権の行使を禁止しているのか、文書で明確にしていただきたい」との要求がされ、これに応えて国会に提出されたものであり、その全体が、なぜ集団的自衛権が許されないかのひとつながりの論理を明らかにしたものにほかなりません。
それは、宮崎礼壹(れいいち)元(内閣)法制局長官が、参考人質疑で、「(72年政府見解における)集団的自衛権違憲との結論は、その文章構成自体からも、論理の帰結として述べられているのであって、当時の状況のみに応じた、いわば臨時的な当てはめの結果などと解する余地は全くない」「集団的自衛権の限定的容認の余地を読み取ろうとするのは、前後の圧倒的経緯に明らかに反します」と断言しているとおりです。
最高裁判決にせよ、政府見解にせよ、経緯と論理を無視して、自分に都合のよい解釈を引き出すというのは、牽強付会(けんきょうふかい)、こじつけの極みで、断じて許されるものではありません。
政府が、集団的自衛権行使容認の「合憲性」の「根拠」としたものがことごとく崩壊した。すなわち集団的自衛権行使が「憲法違反」であることが明瞭になった。これが国会審議の結論であることを、私は、強調したいと思うのであります。
国民のみなさん、民主主義を破壊する独裁政治、専制政治を断固として拒否しようではありませんか。
空前の規模で発展しつつある国民のたたかいによって、包囲され、追い詰められつつあるのは、安倍総理、あなた方、政権・与党にほかなりません。
日本共産党は、戦争法案を必ず廃案に追い込むために、国民のたたかいとスクラムを組み、全力をあげる決意です。
戦後最悪の安倍政治を一日も早く終わらせるために党の総力をあげてたたかいぬく決意を表明し、憲法違反の戦争法案の採決は断じて認められないことを強く訴え、討論を終わります。
国民主権の大原則を蹂躙する歴史的暴挙
私は、日本共産党を代表して、安倍政権が「平和安全法制」の名で提出した一連の法案――戦争法案に断固として反対する討論を行います。政府・与党は、昨日の安保特別委員会での強行採決に続き、この本会議での採決を強行しようとしています。
しかし、どんな世論調査でも、国民の5割以上がこの法案を「憲法違反」と批判しています。6割以上が「今国会での成立に反対」と言っています。8割以上が「政府の説明は十分ではない」と答えています。安倍総理自身、昨日の特別委員会で、「国民の理解を得られていないのは事実だ」と認めたではありませんか。この事実を認めていながら、なぜ採決ができるのか。
政府・与党の横暴は、憲法9条の蹂躙(じゅうりん)というだけでなく、主権者である国民多数の意思をないがしろにする点で、国民主権の大原則を蹂躙する歴史的暴挙であり、私は、満身の怒りを込めて、断固たる抗議の声を突きつけるものです。
「戦闘地域」での兵站――憲法違反の武力行使に道を開く
国会論戦を通じて、戦争法案が、憲法9条を破壊して、「海外で戦争をする国」に道を開く最悪の違憲立法であることは、明瞭となりました。第一は、アメリカが、世界のどこであれ、アフガニスタン戦争、イラク戦争のような戦争に乗り出したさいに、従来あった「非戦闘地域」という歯止めを撤廃し、自衛隊が、これまで「戦闘地域」とされてきた場所にまで行って、弾薬の補給、武器の輸送などのいわゆる「後方支援」――兵站(へいたん)を行うようになるということです。
「戦闘地域」まで行けば、自衛隊は相手方から攻撃される危険にさらされることになります。攻撃されたらどうするのか。総理は「武器の使用をする」と答弁しました。しかし、ひとたび自衛隊が武器の使用をすれば、相手方はさらに攻撃し、戦闘になるではありませんか。これが憲法9条が禁止した武力の行使でなくて何なのか。
総理は、苦し紛れに「安全な場所を選んでやる」と繰り返しました。しかし、古くから「糧道を断て」というように、兵站が格好の軍事攻撃の目標となることは、軍事の常識です。自衛隊が兵站をやっている場所が戦場になるのです。
「戦闘地域」での兵站は、憲法9条が禁止する武力の行使にあたり、「殺し、殺される」戦闘に道を開くものであり、断じて許されるものではありません。
戦乱が続く地域での治安活動――「殺し、殺される」戦闘になる
第二に、PKO法を改定し、国連が統括しない活動に自衛隊を派兵する新たな仕掛けが盛り込まれていることも、きわめて重大です。形式上「停戦合意」があるけれども、なお戦乱が続いているようなところに、自衛隊を派兵して、治安活動をさせる。武器使用基準も任務遂行のためのものも認めるなど、格段に拡大しようとしています。私は、こうした法改定がなされれば、アフガニスタンに展開した国際治安支援部隊=ISAFのような活動への自衛隊の参加が可能になるのではないかとただしましたが、総理は、ISAF型活動への参加を否定しませんでした。
これはきわめて重大です。ISAFは、米軍主導の掃討作戦と混然一体となり、約3500人もの戦死者を出しているからです。そして、その活動は、今年1月以降は、アフガン治安部隊を支援するRS任務(確固たる支援任務)となって引き継がれ、42カ国、1万3000人が今なお参加しているからです。
戦争法案が成立すれば、米国がRS任務への自衛隊の参加を求めてくる可能性があります。総理、その時に拒否できますか。拒否できるわけがありません。
ここに憲法9条を踏みにじって自衛隊を「殺し、殺される」戦闘に参加させる、もう一つの深刻な現実的危険があることを、私は、強く告発するものです。
集団的自衛権行使容認――「合憲論」の「根拠」はことごとく崩壊した
第三は、政府が、戦後半世紀にわたる憲法解釈を百八十度転換して、集団的自衛権を発動し、アメリカとともに海外での武力行使に乗り出すという問題です。わが党は、国会論戦を通じて、集団的自衛権行使の最大の現実的危険は、米国の違法な先制攻撃の戦争に自衛隊を参戦させることにあることを明らかにしてまいりました。
6月4日、憲法審査会に参考人として招かれた3人の憲法学者がそろって「安保法案は憲法違反」との意見をのべました。大きな衝撃を受けた政府は、あわてて、6月9日、「新3要件と従前の憲法解釈との論理的整合性等について」と題する文書を発表しました。この政府文書で言われていることは、これまでの繰り返しですが、つまるところ次の2点にありました。
一つは、1959年の砂川事件最高裁判決が、集団的自衛権行使の「合憲性」の「根拠」になるとしていることです。
いま一つは、1972年に国会に提出された政府見解「集団的自衛権と憲法との関係」が示した「基本的な論理」は変更しておらず、「これまでの政府の憲法解釈との論理的整合性および法的安定性は保たれている」としていることです。
しかし、1959年の砂川事件最高裁判決は、憲法9条のもとで米軍の駐留が認められるかどうかを争ったものであり、日本の集団的自衛権などまったく争点になっていません。そのことはわが党議員の追及に対して、横畠裕介(内閣)法制局長官も「集団的自衛権について触れているわけではない」と認めた通りであります。
1972年の政府見解は、当時の国会で、野党議員から「なぜ憲法9条が集団的自衛権の行使を禁止しているのか、文書で明確にしていただきたい」との要求がされ、これに応えて国会に提出されたものであり、その全体が、なぜ集団的自衛権が許されないかのひとつながりの論理を明らかにしたものにほかなりません。
それは、宮崎礼壹(れいいち)元(内閣)法制局長官が、参考人質疑で、「(72年政府見解における)集団的自衛権違憲との結論は、その文章構成自体からも、論理の帰結として述べられているのであって、当時の状況のみに応じた、いわば臨時的な当てはめの結果などと解する余地は全くない」「集団的自衛権の限定的容認の余地を読み取ろうとするのは、前後の圧倒的経緯に明らかに反します」と断言しているとおりです。
最高裁判決にせよ、政府見解にせよ、経緯と論理を無視して、自分に都合のよい解釈を引き出すというのは、牽強付会(けんきょうふかい)、こじつけの極みで、断じて許されるものではありません。
政府が、集団的自衛権行使容認の「合憲性」の「根拠」としたものがことごとく崩壊した。すなわち集団的自衛権行使が「憲法違反」であることが明瞭になった。これが国会審議の結論であることを、私は、強調したいと思うのであります。
立憲主義否定の行き着く先は独裁政治――戦争法案は必ず廃案に
安倍総理、立憲主義を否定し、法の支配を無視した政治の行き着く先は、独裁政治にほかなりません。日本国憲法の恒久平和主義、民主主義、国民主権をことごとく蹂躙する独裁政治、専制政治を絶対に認めるわけにはいきません。国民のみなさん、民主主義を破壊する独裁政治、専制政治を断固として拒否しようではありませんか。
空前の規模で発展しつつある国民のたたかいによって、包囲され、追い詰められつつあるのは、安倍総理、あなた方、政権・与党にほかなりません。
日本共産党は、戦争法案を必ず廃案に追い込むために、国民のたたかいとスクラムを組み、全力をあげる決意です。
戦後最悪の安倍政治を一日も早く終わらせるために党の総力をあげてたたかいぬく決意を表明し、憲法違反の戦争法案の採決は断じて認められないことを強く訴え、討論を終わります。
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