主張

「赤旗」85周年

創刊の決意を発展の力として

 「日本共産党は…今日はじめて、この『赤旗』を通じて大衆の前に公然現れ(た)」(「赤旗」創刊の辞)―「しんぶん赤旗」(当時は「せっき」)が日本共産党の機関紙として1928年2月1日に創刊されて、85周年を迎えました。日本共産党創立の6年後です。

 「赤旗」の創刊は、28年2月に予定されていた、史上初めて男性に選挙権を認めた普通選挙法による総選挙の最中でした。いらい85年、戦争や弾圧による中断はありましたが、「赤旗」は国民の主権と民主主義、反戦平和、国民生活擁護のため活動してきました。

電流が伝わったショック

 かつて日本共産党創立60周年を記念して「赤旗」で連載した「『赤旗』物語」(82年2月から)のなかで、戦前からの活動家だった杉本文雄(故人)は、創刊号を手にした衝撃を「電流が体に伝わったようなショックと驚きを感じました。ついに出たか、という気持ちでした」と語っています。22年7月15日に創立された日本共産党は、当時の天皇制政府に国民主権と戦争反対を突きつけたため、公然とした活動が許されず、度重なる弾圧で、「あるのか、ないのか、さっぱりわからなかった」(杉本証言)からです。「赤旗」によってはじめて、国民は、党の存在とその主張にふれることができたのです。

 創刊号の「赤旗」には、「生活を保証(ママ)せよ」「民主的議会を作れ」「虐殺戦争に反対」など、総選挙に向けての日本共産党の要求が掲げられています。「赤旗」を通じて国民と結びつき、国民と力を合わせて「国民が主人公」の日本を切り開いていくことこそ、「赤旗」創刊の決意でした。

 非合法の党の機関紙として、「赤旗」の発行は、いまでは想像できないような困難の連続でした。「『赤旗』物語」には、印刷のたびに発注する印刷屋を変え、原稿のやり取りには「寸法書」「仮縫い」などの隠語を使ったとか、刷り上がった「赤旗」はデパートの包み紙にくるみ、赤ちゃんの腹巻きに隠して届けたなどの苦労がつづられています。困難にも屈せず、「赤旗」の発行は守られ、1部の新聞は何人にも回し読みされて、当時の知識人が国民が自らの立ち位置をはかる「北斗七星」にもたとえられる役割を果たしたのです。

 戦前の日本は天皇制政府の暗黒政治のもと侵略戦争の道をひた走り、とりわけ31年9月の「満州事変」を機に当時の政党も大新聞も軍に迎合し、侵略戦争を賛美する事態になりました。そうしたなかで日本共産党と「赤旗」が侵略戦争反対の旗を掲げ続けたことは、日本国民が世界に誇れる歴史です。労働運動や小作争議、地震など大災害にあたっても、国民を励まし、支援や救援の先頭に立ったのも「国民の苦難あるところ『赤旗』あり」の伝統です。

国民との結びつき強め

 残念ながら戦前の「赤旗」はきびしい弾圧のなか187号までしか発行できませんでしたが、戦後の活動再開とともに不屈の伝統を生かして再刊され、新たな歴史を刻んできました。みなさんにあらためて感謝申し上げます。

 テレビやインターネットが発達するなど、メディア環境は激変しています。しかしどんなに時代が移ろうと、「赤旗」を通じて国民と多彩に結びつき、政治変革を進める、「赤旗」創刊の決意は不動です。