主張

沖縄「慰霊の日」

戦争の惨禍を再び起こさせぬ

 きょう沖縄は、「慰霊の日」を迎えます。70年前の1945年、「ありったけの地獄を集めた」と形容される沖縄戦で日本軍の組織だった抵抗が終わった日とされます。沖縄戦最後の激戦地、摩文仁(まぶに)の丘にある平和祈念公園(糸満市)では、県主催の「戦後70年沖縄全戦没者追悼式」が開かれます。式典に出席する安倍晋三首相は、戦争法案を画策し、日本を再び「戦争する国」にしようとしています。沖縄の「慰霊の日」に込められた「戦争による惨禍が再び起こることのないよう」(県条例)にするとの県民の切なる思いを踏みにじることは許されません。

「沖縄らしさ」の原点

 「艦砲ぬ喰(く)ぇー残(ぬく)さー」(艦砲の喰い残し)

 45年4月、米軍が沖縄本島に上陸した地点の一つ、読谷村の海岸線に、こう題する歌の碑が立っています。「艦砲ぬ喰ぇー残さー」とは、「鉄の暴風」と呼ばれた米軍艦の激烈な艦砲射撃をくぐり抜け、生き延びた人々のことです。

 歌は、姉妹4人の民謡グループ「でいご娘」が75年にレコーディングし、沖縄で大ヒットしました。今年5月17日、約3万5千人が参加した「戦後70年 止めよう辺野古新基地建設! 沖縄県民大会」で「でいご娘」が歌い、改めて注目されています。

 歌には、次の一節があります。

 「我親(わーうや)喰ゎたるあぬ戦(いくさ)/我島喰ゎたるあぬ艦砲/生まり変わてぃん忘(わし)らりゆみ…/恨でぃん悔やでぃん飽きじゃらん/子孫末代遺言(しすんまちでぇいぐん)さな」(わが親をくらったあの戦/わが島をくらったあの艦砲/生まれ変わっても忘れられようか…/恨んでも悔やんでまだ足りない/子孫末代まで遺言しよう)

 県民の約12万2千人(軍人軍属含む、県推計)、ほぼ4人に1人が犠牲になった沖縄戦を生き残った者の苦しみ、平和への叫びが伝わってきます。

 沖縄の地元メディア、琉球新報と沖縄テレビが5月末、県民対象の戦後70年合同世論調査を実施しました。それによると、米軍普天間基地(宜野湾市)の県内移設に反対が83・0%に上ります。

 集団的自衛権の行使を可能にする安保関連法案(戦争法案)の今国会成立を図る安倍首相の方針にも73・2%が反対しています。

 琉球新報は「県民の軍事基地への反発、平和希求への思いの強さなど、『沖縄らしさ』の全ての原点は沖縄戦体験にある」と指摘しています(4日付)。

 普天間基地は、米軍が沖縄戦のさなか、県民の土地を強奪して建設したものです。昨年11月の県知事選で選ばれた翁長雄志知事が、県民の土地を奪い、塗炭の苦しみを強いて造った普天間基地が危険になったからといって、名護市辺野古という新たな代替地を沖縄に求めるというのは「政治の堕落」と批判し、県民の共感が広がっているのは当然です。

戦場を呼び込ませず

 戦争法案をめぐり、集団的自衛権の行使など海外の米国の戦争に自衛隊が参加すれば、日本に対する攻撃を呼び込むことになり、米軍基地が集中する沖縄は真っ先に戦場になるという県民の危機感も高まっています。

 取り返しのつかない戦争の惨禍を再び起こさせないため、米軍新基地建設をやめさせ、戦争法案を必ず阻止しなければなりません。