1月の名護市長選を皮切りに、同市辺野古の新基地建設を許さない「オール沖縄」の流れと、県民を裏切った新基地押し付け勢力との対決となった約1年の政治決戦。その締めくくりとなった14日の総選挙は、11月の県知事選圧勝の流れを引き継ぎ、「オール沖縄」4氏が小選挙区で完勝するという最高の形で締めくくられました。新基地押し付けに対する、これ以上ない民意が示されると同時に、国政選挙における「一致点での共同」のあり方にも、大きな一石を投じました。

1区赤嶺氏

新しい歴史 県民と共に

6923ce16750efe46e1cd07b7fb96c78fa7173813 多くの支援者とメディア関係者らが開票を見守るなか、衆院沖縄1区の赤嶺政賢氏(66)=日本共産党、前=が那覇市内の選挙事務所に姿を見せたのは午後8時半。当初予測よりも大勢判明が遅れ、1時間半にわたって緊張と期待の交錯する独特の雰囲気が包み込む中、待ちわびた歓喜の瞬間が訪れました。

 当確の報が伝わり、万雷の拍手と歓声がわき起こった後、誰彼となく「うれしすぎる」「これって革命かもしれない」などの言葉を発し、互いに抱擁や握手を交わしました。

 選挙中、何度も赤嶺氏の応援に駆け付け、一緒に開票を見守った、城間幹子那覇市長や、沖縄社会大衆党委員長で参院議員(無所属)の糸数慶子氏。ともに満面の笑みで祝福を送りました。

 城間市長は「『オール沖縄』でたたかった私たち。県民の心はブレていなかった。政治は民のためにある。このことを胸に秘めて私もみなさんと一緒にこれから頑張っていきたい」と語りました。

 メディアの情勢分析で、最後まで「互角」「接戦」と報じられた1区。自民党陣営は「共産党に1区は渡さない」と反共意識をむき出しにして、最終盤は全県から組織を那覇市内に集中しました。

 激戦が伝えられるなか、「翁長知事を支える4氏全員の当選を何としても勝ち取ろう」と、翁長雄志知事をはじめ稲嶺進名護市長、県内大手ホテル「かりゆしグループ」の平良朝敬CEO(最高経営責任者)、社民党県連の新里米吉委員長ら「オール沖縄」の主導者たちが街頭で支持を訴えました。

 最後の2、3日は勢いで相手陣営を上回り、投票率減にもかかわらず、赤嶺氏は前回比で2倍超の得票を獲得。組織力では相手陣営が上回っていましたが、無党派層で圧倒的な支持を勝ち取り、激戦を抜け出しました。

 政府・自民党筋は沖縄の4選挙区について「2勝2敗」との見方でしたが、結果は全敗。なかでも赤嶺氏が、保革を超えての共同で勝利したことは、安倍政権への決定的な打撃になりました。

 万歳三唱の後、支援者にあいさつした赤嶺氏は、復帰前の立法議員選で祖国復帰勢力が共闘し、小選挙区で多数議席を確保した歴史的勝利が祖国復帰実現の原動力になったことを紹介。「いま再び小選挙区で私たち『建白書』の実現をめざす『オール沖縄』勢力が勝利できるようになったことは次の沖縄を切りひらく。辺野古の新基地建設を止め、普天間基地の閉鎖・撤去を実現する大きなうねりが起きている。新しい歴史を再び県民と一緒につくっていきたい」と決意をのべました。

2・3・4区

たたかう相手は政府

c6aa2d4a44d9a163f449d0a165773982193bb361 午後10時すぎに当選確実の知らせが入ると、沖縄4区の「オール沖縄」代表・仲里利信氏(77)=無所属新=の選挙事務所(南風原町)は、喜びと驚きの声に沸きました。

 県議を引退して6年半の仲里氏が立候補表明したのは、解散直後の11月22日。自民党県連の前会長で、総務副大臣も務める西銘恒三郎氏との一騎打ちは、自身も「無謀」だと感じていました。

 しかも、仲里氏は自民党県連顧問や県議会議長を歴任し、昨年まで西銘氏の後援会長も務めた保守の重鎮。それでも立候補したのは、西銘氏が公約を裏切って辺野古新基地推進に転じたことを許せなかったからでした。

c6ae0733426da9159a9cc622048079f9c19b158e 仲里氏は当選後、こう強調しました。「公約を破るということは政治家の命を自ら捨てるということだ」

 仲里氏は、沖縄県知事選で保革を超えた共同を築いた「ひやみかち うまんちゅの会」が擁立。「オール沖縄」の流れを象徴する選挙区として注目されました。序盤はリードを許していましたが、新基地建設反対の民意におされ、急速に追い上げて逆転しました。

 仲里氏は「たたかう相手は県民同士ではなく、政府であり米国。われわれが一つにならないといけない」と決意を語りました。

 沖縄2区では照屋寛徳(69)=社民・前=、同3区では玉城デニー(55)=生活の党・前=の同じく「オール沖縄」を代表する両氏が、従来の支持基盤に加えて保守層にも食い込む終始安定したたたかいを展開し、当選を果たしました。