「身を切る改革 議員定数を削減します」(民主党の総選挙政策)―。国会議員の定数削減を求める「身を切る改革」を総選挙で与野党双方が喧伝(けんでん)しています。「身を切る」論は二重に誤った議論です。
消費税増税 最悪の押しつけ論
民主党・福山哲郎政調会長「消費税を上げることに自民党、公明党の協力をいただいた。そのときに当時の安倍晋三自民党総裁は議員定数削減を約束したのに、まったく音沙汰がない」
自民党・稲田朋美政調会長「確かに約束した。自公は30定数削減案を示した」
与野党政策責任者が会した23日のNHK「日曜討論」。消費税10%先送り実施で、自民、民主両党などが展開したのは国会議員の定数削減でした。国会議員の定数削減と引き換えに消費税増税を押し付ける「身を切る改革」論の狙いを示しています。
福山氏がふれた自公民3党の「協力」とは、消費税増税と社会保障改悪を一体で進めるとした2012年6月の「3党合意」です。この合意に先立つ同年2月、民主党政権は消費税増税に向け、「国民の納得と信頼を得るため」との口実で「衆議院議員定数を80削減する法案等を早期に国会に提出し、成立を図る」方針を閣議決定しました。最初から“いかに消費税増税を押し付けるか”の発想なのです。
しかし、消費税増税と議員定数の削減とはまったく別次元の話です。議員定数を削減すれば増税していいわけではありません。しかも、国会の議席は、国民を代表するものであり、政党や政治家の私物ではありません。
「身を切る」論は、国民の代表者であることを忘れ、国民に痛みを押し付けようとする増税論者が行う議論すりかえの常套句(じょうとうく)です。
民意切り捨て 民主主義破壊の暴論
自民、民主、公明、維新、次世代などは国会議員の定数削減を「身を切る改革」といい比例代表の削減に照準をあてています。国会議員は国民を代表し、国民の声を国政に届ける役割があります。議員定数の削減は国民と国会とのパイプを細くするもので、民意の切り捨てにほかなりません。
まして、民意を正しく反映する比例代表定数(衆院180)の削減となれば、民意が正しく反映されなくなります。「身を切る」論は民主主義破壊の暴論にほかなりません。
衆院定数は475です。そもそも、日本は世界でも国会議員が少ない国です。日本と同じ二院制のイギリス(約6100万人)は人口が日本の半分ですが、下院定数は646、フランス(約6200万人)も同577と日本を大きく上回ります。
主要先進国は10万人を基準に1人の議員を選んでいます。日本も1925年に始まった男子普通選挙は12万8千人に1人の議員でした。しかし、現在は人口が倍に増え、26万7千人に1人の議員です。国民の声を国政につなぐパイプは細くなっています。
日本共産党の穀田恵二議員は昨年4月の衆院予算委員会でこうした事実を示し、「日本の議員数はむしろ少ない方だ」と主張。安倍晋三首相は「OECD(経済協力開発機構)のなかで最も国民1人あたりの議員が少ない」と認めています。
特権正すというなら政党助成金廃止こそ
日本共産党は受け取り拒否
政治の不当な特権をなくすというなら、政党が何の苦労もなしに国から年間320億円もの税金を懐に入れている政党助成金こそ廃止すべきです。日本共産党は、政党助成金の受け取りを拒否し、その廃止を求めている唯一の政党です。
政党助成金は、受け取る政党にとって特権です。何に使おうと自由勝手。「民主主義のコスト」という名目で1995年に導入された制度ですが、実際はカネに対する感覚をまひさせ、政治腐敗を加速させてきました。政党本部収入に占める政党助成金の依存度をみると自民党は64%、民主党は84%(2012年)。選挙関係費や宣伝事業費のほとんどを政党助成金に依拠しています。「自民党や民主党の宣伝カーが街を走っていたら、四つの車輪のうちおよそ三つは国民の税金だということになる」(日本共産党の志位和夫委員長)という“官営政党”となっています。
「政治とカネ」の問題で辞任した閣僚の一連の疑惑の原資になったのも政党助成金でした。使い残しても国庫に返されず、「基金」の名でため込んでいます。
新聞投書欄にも国民の怒りの声
国民から税金取り上げ支持しない政党になぜ
「毎年320億円もの政党助成金が一部の政党を除き各政党へ配られているが、支持政党に関わりなく国民から一律に税金を取り上げ配分するというのは決して納得いかない」(「毎日」10月6日付「みんなの広場」欄)
「40人学級で教職員の人件費、年間約86億円の削減を狙うなら、約320億円も交付している政党助成金をなくする方が先である」(北海道新聞10月30日付「読者の声」欄)
「我慢がならないのは政党助成金だ。支持しない政党に私の税金が使われるのは、たとえ一円であってもお断りしたい。しかもこれは、企業からの政治献金を受けないという約束の下で導入された制度ではなかったか」(「東京」9月30日付「発言」欄)
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