安倍政権が狙う「戦争する国」づくり。その核心部分である解釈改憲=集団的自衛権の行使容認に向けて、政府の「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)は4月に報告書を提出して与党協議を加速、6月中にも閣議決定する考えです。しかし、その乱暴な手法にはさまざまな矛盾が指摘されています。
必要最小限?―3要件に反する
第1次安倍政権を含む歴代政権は「自衛のための必要最小限を超えるので集団的自衛権を行使できない」との立場を堅持してきました。安倍首相がこれを「誤りだった」と全面否定すれば自己否定になってしまいます。
このため首相は、「自衛権については『必要最小限(の実力行使)』の制約がある。その中に入るものがあるかどうかを議論している」(4日、参院予算委員会)などと述べ、“「必要最小限」の範囲内の集団的自衛権”なるものを見いだすことで整合性を図ろうとしています。
しかし、自衛権の発動には(1)急迫不正の侵害があること(2)これを排除するため他に適当な手段がないこと(3)必要最小限の実力行使であること―の3要件が1954年の国会答弁で確立しています。(右の図参照)
とりわけ重要なのは(1)です。内閣法制局はこう説明しています。
「集団的自衛権は、我が国に対する急迫、不正の侵害に対処するものではなく、他国に加えられた武力攻撃を武力で阻止することを内容とする」「国民の生命等が危機に直面している状況下で(個別的)自衛権を行使する場合とは異なる」(憲法関係答弁例集)
つまり、日本への直接的な武力攻撃があるかどうかが、「必要最小限」の実力行使の核心的な要件なのです。集団的自衛権はどう考えても、海外での戦闘参加を可能にするものであり、「3要件」に反します。
政府内には、「急迫不正」の解釈を変えようとの考えも浮上していますが、これをやれば、都合のいいルール変更をしたとの印象を与えるのは避けられません。安保法制懇の北岡伸一座長代理も、「(3要件の変更は)なかなか難しい」(2月21日の記者会見)と述べています。
情勢の変化?―過去の遺物に
安倍首相は「砂川判決がそうだったが、わが国の自衛権は最高裁の判例としてある」「集団的自衛権について、世界情勢が変わる中で可能なものがあるか議論している」(4日、参院予算委員会)と述べています。どういうことでしょうか。
東京・砂川町(現立川市)での米軍基地拡張に抗議して基地内に立ち入ったとして起訴された被告を有罪とした1959年12月の最高裁判決に、憲法9条では「固有の自衛権は何ら否定されていない」とした一文があります。安保法制懇の岡崎久彦委員は、この「固有の自衛権」に集団的自衛権が含まれると解釈しています(「産経」6日付)。法制懇の報告書でもこの考えを盛り込む方向です。
ただ、砂川判決は「固有の自衛権」の具体的な内容については一切、示していません。これをもって「最高裁が憲法上、集団的自衛権を有していると判断している」と解釈するのはあまりにも乱暴な議論です。
さらに、砂川判決での田中耕太郎最高裁長官の補足意見の一文=「平和を愛好する各国が自衛のために保有しまた利用する力は、国際的性格のものに徐々に変質してくる」=を用い、「情勢の変化」で解釈改憲を正当化しようとしています。
これについては、小泉内閣の政府答弁書で、「諸情勢の変化」があっても、「政府が自由に憲法の解釈を変更できる性質のものではない」(2004年6月18日)と明快に述べています。
世界情勢の変化をいうなら、集団的自衛権が行使されたアフガン「対テロ」戦争が無残な失敗をとげたように、集団的自衛権こそ、過去の遺物になりつつあります。
検討の事例は?―非現実的想定
安倍首相は中国との尖閣諸島の領有権問題や北朝鮮の核・ミサイル開発などを念頭に、「安全保障環境が厳しさを増している」と強調して解釈改憲の必要性を強調します。
しかし、安保法制懇で示された集団的自衛権の事例にはいずれも「個別的自衛権で対応できる」「技術的に不可能」「現実の事態で想定できない」といった批判が相次いでいます。(右の表)
いま、なぜ、何のために集団的自衛権の行使が必要なのか。安倍首相は合理的な理由を一度も示していません。柳沢協二元内閣官房副長官補は、「祖父の岸信介首相ができなかった集団的自衛権の行使を自分の歴史的使命と考えている。自分がやりたいからやる。それだけだ」と指摘しています。(2月28日、国会内での勉強会)
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