主張

「君が代」強制

心のなかの自由を侵すな

 卒業式シーズンを迎えました。4月からは入学式も始まります。子どもたちの門出をみんなで祝う式にしたいものです。ところが、その門出に暗い影をおとしているのが「日の丸・君が代」の強制です。教職員への強制が強まるばかりでなく、一部では子どもたちに大声で「君が代」を歌えという強制も起きています。内心の自由を踏みにじる強制は許されません。

子どもの声量まで報告

 大阪府では、教職員が「君が代」を歌っているか、校長らが口元をチェックし報告するよう府教委が求めています。式の最中に子どもそっちのけで、校長が教職員の口元を監視して回るのですから、こんな異常なことはありません。

 重大なのは、こうした強制が、子どもたちにまで及ぶ事態が一部で起きていることです。

 北海道では、道教委が、卒業・入学式で子どもたちの「君が代」を歌う声量を「歌っている」「おおむね歌っている」「あまり歌っていない」「ほとんど歌っていない」の4段階で校長に報告させています。そして斉唱の状況が不十分だとして、昨年7月に道立学校長や市町村の教育長に「国歌は校歌などふだん斉唱している他の歌と同様、式のなかで実際に歌唱されるよう指導すること」との通知を出しました。これは子どもたちに大きな声で「君が代」を歌うことを強制するものです。

 歌うことは極めてその人の気持ちにかかわります。歌を無理やり歌わせることは、人の心を土足で踏みにじるようなものです。子どもを人間として育てる教育の場でしてはならないことです。

 しかも「日の丸・君が代」は侵略戦争に突き進んだ日本のシンボルでした。「君が代」の歌詞は天皇の世が未来永(えい)劫(ごう)続くようにという意味で、「国民主権にふさわしくない」などさまざまな意見があります。歌いたくないと思う子どもがいても不思議ではありません。

 1999年に「日の丸・君が代」を国旗・国歌に法律で定めたときにも、多くの国民の反対がありました。そのときの国会審議で政府は、法制化しても国民には強制はしないと答弁しています。にもかかわらず「君が代」を大声で歌えと強制するのは、憲法や子どもの権利条約が保障する思想・良心や信教の自由、表現の自由、子どもの意見表明権を侵すものです。

 本来、卒業式や入学式は各学校で自主的に内容を決めておこなわれるべきものです。以前は、卒業生と在校生が対面する形で卒業式を実施するなど、各学校で創意工夫をしてきました。子どもが実行委員会をつくって取り組んできたところもあります。

 ところが「日の丸・君が代」の強制が強まるに伴って、こうした式を実施することが不可能になってきています。「日の丸・君が代」をすべてに優先し、式次第や「日の丸」の位置、会場の設営形式を細かく押し付け、子どもの作品を飾ることもできなくするなどして、式を台無しにしているのです。

成長確かめ合う式を

 卒業式は最後の授業として一人ひとりの成長を確かめ合う場、入学式は最初の授業として希望をともにする場です。強制はやめ、子どもたちを中心に保護者・教職員が話し合い、各学校の自主性を生かした実りある式ができるようにしていく必要があります。