安倍晋三首相が年頭の「所感」で、憲法の「改正に向けて、国民的な議論をさらに深めていく」と、あらためて改憲を主張するなかで新年を迎えました。昨年末、秘密保護法の制定や集団的自衛権の行使、安倍首相の靖国神社参拝などをめぐって議論を繰り広げたマスメディアも、さらに憲法問題などに土俵を広げて、活発な議論が予想される年明けです。
憲法問題では連続の社説も
秘密保護法の制定や首相の靖国参拝に反対した「朝日」「毎日」「東京」(「中日」)などの各紙は、新年の社説でも、「政治と市民―にぎやかな民主主義に」(「朝日」1日付)、「『1強政治』と憲法―『法の支配』を揺るがすな」(同3日付)、「民主主義という木 枝葉を豊かに茂らそう」(「毎日」1日付)、「人間中心の国づくりへ」(「東京」同)など、憲法問題や民主主義を中心に論を展開しています。
「今年、安倍首相は『憲法9条改正』に挑もうとしている。…解釈の変更によるのだという。最高法規の根幹を、政府内の手続きにすぎない解釈によって変える。これは『法の支配』に反するのではないか」―。「朝日」(3日付)の指摘は傾聴に値するものです。
地方紙でもたとえば北海道新聞(「道新」)は1日付から連続して「憲法から考える」との社説を続けています。「道しるべは憲法」「憲法を前面に、この国のあり方をあらためて問い直していきたい」(1日付)とのことばには重いものがあります。
これに対し、秘密保護法に賛成、推進した「読売」「産経」などは新年も、「日本浮上へ総力を結集せよ」(「読売」1日付)、「国守り抜く決意と能力を」(「産経」同、論説委員長の論評)と、日米同盟の強化や「集団的自衛権の行使を可能にする憲法解釈の変更」などの主張を展開しています。安倍政権をあおった反省はありません。
昨年の東京都議選と参院選を通じて浮かび上がった「自共対決」の政治構図と、従来の保守層からも批判が上がる安倍政権の暴走は、日本の政界で各党の立ち位置を鮮明にしているだけでなく、マスメディアの世界でも、その立ち位置をいやがうえにも浮かび上がらせています。安倍首相が改憲を鮮明にしている新年、「読売」などのメディアはなおも暴走をあおり続けるのか。メディアの存在意義が問われているといえるでしょう。
歴史の汚点を繰り返すのか
安倍政権の異常な暴走は、これまで保守といわれた人たちからも、「安倍政権は今や保守ではなく右翼の政権だ」と批判の声があがっています。もしメディアまでがそれに加担すれば、それこそ国民からのきびしい批判は免れません。「読売」や「産経」はこれまでも改憲を主張してきましたが、安倍政権が進める立憲主義の破壊や、「解釈」の変更による改憲という「法の支配」の破壊まで認め、暴走をあおるのでは、「権力の監視役」としての役割はまったくはたしていないことになります。
昨年大問題になった、国民の「知る権利」を奪う秘密保護法の制定に、「読売」など一部の全国紙が反対しなかったため、全国の新聞、放送などが参加する日本新聞協会もはっきりとした「反対」声明を出すことができませんでした。安倍政権が公然と持ち出そうとしている改憲の策動にも新聞業界がそろって反対できないとなれば、日本のマスメディアの歴史に新たな汚点を広げることになります。
1日付で民主主義を論じた「朝日」と「毎日」は、「市民」の異議申し立てで民主主義をにぎやかなものにし、選挙や議会だけでなく「枝葉」を茂らせようと主張しますが、選挙を通じ「国民が主人公」の政治を実現する民主主義の根幹を太くすることはますます欠かせません。
一般のメディアもその立ち位置がいよいよ問われるなか、安倍政権の改憲の策動に抗し、秘密保護法廃止、「原発ゼロ」、「戦争する国」は許さないなどの立場を貫き、国民とともに政治の根本的な転換をめざす、「しんぶん赤旗」と民主的ジャーナリズムの役割は重要です。(宮坂一男)