主張

開戦72年の暴挙

再び「戦争する国」は許さない

 12月8日は、戦前の日本が朝鮮半島や中国への侵略に続き、マレー半島(当時はイギリス領)とハワイに侵攻、世界を相手に戦争を開始した1941年のアジア・太平洋戦争の開戦から72年です。その日を前に安倍晋三政権は国会で、新たな「戦争司令部」となる国家安全保障会議(日本版NSC)設置法と、その活動のため国民の目、耳、口をふさぐ秘密保護法の成立を強行しました。過去の侵略戦争を反省するどころか、日本を再び「戦争する国」にする策動は国民が望むはずもないもので、国際的にも通用しません。

「非戦」の決意に背く

 日本が1931年、当時「満州」と呼ばれていた中国東北部で始めた侵略戦争からアジア・太平洋戦争終結まで15年にわたった戦争は、戦場になった日本とアジアを荒廃させ、310万人以上の日本国民と2000万人を超すアジア・太平洋地域の人々を犠牲にしました。日本が侵略戦争の責任を認め、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないよう」(日本国憲法前文)と決意したのは、日本が戦後国際社会の一員となるうえでの出発点でした。

 安倍政権が国会で強行採決を重ねて成立させた日本版NSC法と秘密保護法が、こうした戦後の国民の決意にも、国際社会の要請にも反しているのは明らかです。

 アフガニスタンやイラクでの戦争を指揮したアメリカのNSCをまねて、首相、官房長官、外務、防衛の少数の閣僚だけが集まって外交や軍事の「司令塔」になるという日本版NSCは、まさにかつて戦争を指導した、大本営や最高戦争指導会議を復活させようというものです。法律が成立すると直ちに安倍政権は日本版NSCの初会合を開きましたが、その中身は非公開でした。今後「国家安全保障戦略」や「防衛計画の大綱」を密室で決めようとしており、国民に何も知らせず「戦争への道」を突き進む危険性は明らかです。

 秘密保護法は、戦争中、国民の目、耳、口をふさいだ「国防保安法」そっくりです。アジア・太平洋戦争開戦直前の1941年3月、当時の日本政府はそれまでの軍事機密保護の制度を集大成した「国防保安法」をつくりました。同法はそれまで対象を軍事機密とし、地域なども限定していた秘密保全の枠組みを取り払い、「国防上外国に対し秘匿を要する外交、財政、その他」の情報に秘匿の網をかぶせました。対象になるのは全国民で、たまたま出あった移動中の軍隊の写真を撮ったとか絵に描いたとかいうだけで逮捕されたのです。

 「安全保障」の妨げになるというだけで「特定秘密」の範囲がどこまでも広げられ、公務員だけでなく一般国民にも重罰が科せられる秘密保護法の危険は重大です。

憲法を守り生かすため

 日本共産党は戦前の野蛮な天皇制政府のもとで、侵略戦争反対と「国民が主人公」の政治実現の旗を掲げてたたかい続けました。そのたたかいは、戦後つくられた憲法に戦争放棄や主権在民の原則となって盛り込まれたのです。日本共産党と国民のたたかいは、戦後の日本に生きています。

 憲法違反の秘密保護法をこのまま見過ごすことはできません。憲法の国民主権、基本的人権、平和主義の原則を守り生かすため、秘密保護法は必ず撤廃すべきです。