北朝鮮が核実験を強行し、東アジアの緊張がたかまるもとで、反核平和の世論と運動がいっそう重要となっています。
3月1日は、原水爆禁止運動が発展する重要な契機となった南太平洋ビキニ環礁でのアメリカの核実験被災から59年です。
被爆国にふさわしい態度
ビキニでの核実験で「死の灰」が太平洋規模で広がり、ビキニ環礁の島民は、現在もなお故郷に戻れていません。ロンゲラップ環礁では、2万人以上が被ばくしたともいわれ、多くの人々がその後遺症に苦しめられています。
周辺海域で操業していた1000隻以上の漁船も「死の灰」をあび、深刻な被害をうけました。マグロ漁船・第五福竜丸の無線長、久保山愛吉さんが半年後に亡くなったことは内外に大きな衝撃をあたえました。
広島、長崎につづき日本国民が三たび核兵器の犠牲となったこと、さらに、水揚げされたマグロが放射能で汚染されていたことで、国民の憤りと不安は一気にひろがりました。原水爆の禁止を求める署名が、有権者の半数にあたる3200万人に達し、第1回原水爆禁止世界大会(1955年)の開催へと進んでいったのです。
核兵器廃絶の声は被爆者を先頭に、いまやあらゆる立場の違いをこえてひろがっています。
核兵器禁止条約の交渉開始を要求する国際署名(「核兵器全面禁止のアピール」)にとりくむ原水爆禁止日本協議会(日本原水協)など、市民運動が国際政治に大きな影響をあたえています。昨年の国連総会では、核兵器禁止条約の交渉開始を求める決議が、圧倒的多数の賛成で採択され、市民社会が参加する、核軍縮の国際会議を提案した決議も採択されました。
しかし、核兵器廃絶運動の前進の壁となっているのが、「核抑止力」に固執する核保有国とその同盟国です。
とくに、被爆国日本の政府の態度は重大です。アメリカの「核抑止力」に依存していることを理由に、核兵器の非人道性から、その全面禁止を訴えた34カ国声明への賛同を拒否したことは、まことに恥ずかしい限りです。日米安保条約絶対の外交姿勢が、被爆国にふさわしい態度をとることをさまたげているのです。
50年代の日本の原発導入も、ビキニ被災の過小評価と被ばく船員の「放置」も、反核世論をおさえ、核戦争の足場にするアメリカの策略とむすびついたものでした。
この姿勢が、広島・長崎の被爆者への不十分な援護施策、東京電力福島第1原発事故にたいする対応の根っこにあります。
地域ぐるみの世論発展を
「核兵器のない世界」へ前進するうえで、日本政府に被爆国にふさわしい役割をはたさせていくことがカギになっています。北朝鮮の核問題では、「抑止力」と日米軍事同盟ではなく、平和的解決にむけて、憲法9条を生かした外交を進めることこそ、地域と日本の平和・安全を守る道です。
国内の加盟が1276都市にまでに発展した平和市長会議(全世界で5536)も、核兵器禁止条約を求め、原爆展の開催を全国に呼びかけています。ビキニ被災の歴史と教訓をうけつぎ、地域から核兵器ノーの国民的共同を発展させることが求められています。