体罰や暴力、パワーハラスメントなどの現実と向き合い、いかにその一掃に力をつくすか―。いま日本のスポーツ界は、真剣な対応がきびしく問われています。

根本精神に反する

 大阪・桜宮高校のバスケットボール部での体罰・自殺事件という心の痛む深刻な事態から、学校のスポーツ部活動で「勝つために必要」と黙認・隠ぺいされてきた体罰・暴力指導の実態が、つぎつぎに明るみに出ています。

 柔道女子ナショナルチームの選手15人は連名で、「暴力行為やハラスメントがあった」「心身ともに深く傷ついた」として監督・コーチを告発しました。「安心して競技ができる環境に」と訴えた選手たちの行動は、選手の声が「内部では封殺された」もとで、やむにやまれずに取った行動でした。

 なぜ、「スポーツ指導」ということで、生徒や競技者を殴る、蹴る、棒や器物でたたくという、暴力行為や暴言が許されてきたのでしょうか。なぜ、部員や選手の声は黙殺され、自殺にまで追い込まれ、決死の思いで告発をしなければならないのでしょうか。生命の尊厳と人権が乱暴に踏みにじられる指導のあり方と体質は異常です。

 いうまでもなく、学校の教育でも一般社会でも、体罰や暴力、ハラスメントは許されるものではありません。スポーツは野蛮な暴力を根絶し、民主的な人間関係を生み出す文化として発展してきたのです。そこに暴力を持ち込むこと自体、根本に反する行為として指弾されなければなりません。

 こうしたなかで注目したいのは、実績を持つスポーツ関係者から、体罰・暴力指導やハラスメントは「時代遅れだ」との批判の声が上がっていることです。高校球児・プロ野球選手として活躍した桑田真澄氏は、「殴っても何も解決しない。子どもたちの自立心がなくなってしまう」と指摘します。

 日本の女子卓球チームを昨年のロンドン・オリンピックで銀メダルに導いた村上恭和監督は、「リーダーは選手の問題解決に誠実に向き合い、信頼関係の起点となること」だとのべています。さきの柔道女子選手たちが発表した文書が、「監督の存在におびえながら試合や練習をしてきた」と、信頼関係が崩れていたと記しているのとは対照的です。

 ロンドン五輪で日本は過去最高のメダルを獲得しました。自立した選手が増えてきたこと、それを促す指導者の存在が背景にあることは明らかではないでしょうか。

 スポーツでの「勝利」を目指すうえでも、体罰・暴力、服従の指導から脱皮し、競技者との信頼関係を基本に据えた指導が結果を出してきていることに、もっと光をあてる必要があります。選手とともに目標に挑み、実績を積み上げる指導の方向こそ本来の姿であり、大きな流れにしていくときです。

暴力指導の一掃を

 日本オリンピック委員会(JOC)の理事で女性部会長の山口香さんは、今回の問題で、「JOCや各競技団体がどう対処するか、指導者をどう教育していくかを検討する必要がある」との認識を示しています。スポーツ界をあげて体罰・暴力指導の実態を徹底調査し、その一掃に取り組むとともに、「競技者の生命・人権を尊重したスポーツ指導」の確立に本腰を入れて立ち向かうことを願います。