1月22日に香料の研究開発で日本をリードする会社のひとつである長谷川香料株式会社の総合研究所技術研究所副所長の黒林淑子執行役員が来学され,国立研究開発法人科学技術振興機構次世代科学者育成プログラム事業の受講生と特別招待された小中高校生あわせて14名に,においと香料の重要性について実験講座を実施されました。(以下、敬称略)
ふだん意識することは少ないですが,においは私たちの生活にとって重要な役割を果たしています。たとえば,歯みがき粉はさわやかなにおいがして,歯みがきの後にスッキリとした気分にしてくれます。朝,服を着替えると洗剤の良い香りがして新しい一日を予感させます。食卓につけば、炊きたてのご飯や珈琲の香りで、満ち足りた気持ちになります。このように,良いにおいとは私たちの気持ちに強く影響して,私たちの生活を豊かにしてくれるものであることを,参加者との対話を通して,黒林氏からご紹介いただきました。そして,つぎに生物にとって,においはもっと重要な意味をもつことを学びました。動物は,外敵のにおいを察知することで生命を守ることができます。においを使って縄張りを主張したり,仲間とコミュニケーションをとることができます。食べ物のにおいを嗅ぐことで,熟しているか,腐敗していないかを知り,安全に栄養を摂取することができます。植物は動くことができないので,仲間同士のコミュニケーション,または周囲に働きかける際の手段としてにおいを利用しています。花のにおいで昆虫を集めて花粉を運んでもらったり,果実のにおいで動物を集め、食べてもらうことで、その種を遠くに運ばせます。そして,自らが昆虫により食害を受けたときには、その昆虫の嫌うにおいを出したり,天敵を呼び寄せるにおいを出して駆除を行います。このようににおいとは生物の生存戦略に関わる,とても重要なものなのです。
人間は独自の進化をとげ、火を使うことでより安全で豊かな栄養素を摂取したり,外敵から身を守ることができるようになったことから,生存のためというよりは,生活を楽しむためににおいを活用するようになったといえます。また、口腔奥の咽頭が下がったため、口にいれた食べ物のにおいが喉の奥から鼻に抜け、舌から感じる味と一緒ににおいを感じられるようになり、食べ物の「風味」を楽しめるようになりました。
講座では,まずにおいを感じるのが嗅覚であることを確認した上で,嗅覚が私たちの食生活に大きな影響を与えていることを,試料を味わいながら考えました。具体的には,砂糖とクエン酸の水溶液に,①なにも入れない,②アップルの香料,③ブドウの香料,④ユズの香料をいれ,4つの水溶液の味を比べました(図1)。その結果,においが異なるだけにもかかわらず,②はリンゴジュース,③はブドウジュース,④はユズジュースに感じられたのです!
図1 香料で変わる味を確認
砂糖とクエン酸を水に溶かしただけの甘酸っぱい味の水溶液が,においが加わることで「このままレストランで出しても良い(ほど,おいしいジュースだ)」という意見が出るくらい,まったく異なる風味に感じるようになるのです。においのもつ強い力を感じました。
香料とはこのように、私たちの生活に良い影響を与えるにおいを再現したものです。
つぎに,香料のもとになる化合物について学びました。香料のもとになる化合物はたくさんあり,たとえば草っぽいにおいや,花のようなにおい,甘いにおい,ジューシーなにおい,ブドウの皮のにおいなど様々なにおいをもっています。それらを組み合わせて香料を調合します。そこで,香料のもとになる化合物(単品香料)のにおいをそれぞれ確かめました(図2)。
図2 さまざまな化合物のにおいを比べました
このにおいを,どれだけ正確に嗅ぎ分けられるかどうか、そしてそれらを組み合わせるとどのようなにおいになるか予測することが,香料の調香を専門とする人にとっては重要なのです。そして,においのもとになる化合物は,それぞれその分子の構造による特有のにおいをもっていること,その構造は生物がつくりだすにおい化合物と同じであることを確認しました。
長谷川香料株式会社は,こうした化合物を組み合わせて,私たちの生活を豊かにするための香料をつくっています。香料の用途はいろいろあり,たとえば商品の製造過程で失われるにおいを補う,商品に新しいにおいを与えるなどの使われ方をしています。こうした香料は,食品や化粧品,ハウスホールド製品を製造する企業から依頼を受けて,お互いに話し合って製品化を進めていくそうです。それらは,みなさんの手元にある飲料などの加工食品に記載されている原材料名表記のなかに「香料」と記載されていることで確認することができます。香料会社の企業名を目にする機会はほとんどありませんが,縁の下の力持ちとして,私たちの豊かな生活を支える重要な仕事なのです。この香料会社で,においについて研究をする人たちについてご紹介いただきました(表1)。研究員の仕事は,大まかに調香をする人たちと素材開発とにおいの評価をする人たちに分かれ,さらにふたつに分かれます(表1)。においの好きな研究員たちは,それぞれが専門分野をもっていて,役割分担しながら,新たな価値をもつ香料を生み出すべく日々研究に邁進されているそうです。
表1 香料会社の研究員にはどんな人がいる?
役割 |
分類 |
仕事 |
商品,商品への使われ方 |
においを組み合わせて香りをつくる人たち |
パヒューマー |
花のから採ったにおいや香料を組み合わせてイメージする香りを創り出す。 |
化粧品,ボディケア用品,洗剤,芳香剤など |
フレーバリスト |
天然(本物の食品)のような香りを再現する。おいしさを再現する。 |
飲料,菓子,インスタント麺,冷菓,レトルト食品 |
|
素材を開発したり,においを評価する人たち |
フード |
天然の食品や加熱反応、微生物を利用して香料素材を開発する。香料を利用しやすい形態にする。においや味によっておこる人間のからだの反応を観察する。 |
素材として香料に用いられ、上記のような商品に使われる。においや味に対するからだの反応を見ると,人間がおいしいと感じる商品の設計ができる。 |
リサーチケミスト |
におい物質を化学的または生化学的に合成する。天然の食品や花に含まれるにおい成分を分析する。 |
化合物は香料に素材として使われる。においを分析することで、調香を助けることになる。 |
香料と香料会社についての基礎を学んだ後に,におい成分を取り出すことと、香料の調合について実験を通して学びました。
(1)においを取り出す
においは物質であるため、成分だけを取り出すことができます。ここでは温州みかんを潰して漉し取って,みかんの搾り液をつくります。これをロータリエバポレータという装置を用いて蒸留します。ロータリエバポレータは,ポンプで圧力を下げて,水の沸点を下げ,簡単に水を蒸発させる装置です(図3)。
数分間蒸留することで,蒸発した透明な水と残っているみかん色の液のふたつが得られました(図4)。図4中が蒸発した水,図4右のみかん色の液体が濃縮されたみかんの搾り液です,そこで,このふたつの液のにおいを比べました。その結果,透明な水にはみかんのにおいがあり,濃縮されたみかんの搾り液には,ほとんどにおいがしませんでした。これはみかんジュースに含まれていたにおい成分が、蒸留により水とともに分離したことをあらわしています。このように分離されたにおい成分を用いて,その組成の化学分析をおこなうことができます。一方、水とにおい成分が抜けてしまったみかん色の液体には、もともとジュースに含まれていた糖や酸やアミノ酸などの成分が濃縮されています。
実はこの操作は、飲料会社で作られる濃縮還元ジュースの製法と同じ原理です。濃縮還元とは,果実の搾り液の水分を蒸発させて容量を減らし,輸送しやすくする技術であり,果実飲料の製造に使われています。濃縮還元は優れた技術ですが,水を蒸発させることにより果実の持つ本来のにおいが弱くなってしまうものなのです。そこで,ジュースメーカーでは,失われてしまったにおいを香料を使って補います。搾りたてのジュースの風味にできるだけ近づけるように、フレッシュなにおいを忠実に再現するのが,香料会社の仕事なのです。
図3 ロータリエバポレータでみかんの搾り液を蒸留します
図4 左からみかんの絞り汁,蒸発した水,残っているみかん色の液
(2)香料の調合
天然の花や果実などのにおいは,ひとつの化合物のにおいではなく,さまざまな化合物のにおいが組み合わさることによってできています。その種類と量のちょっとした違いが,たとえばさまざまな柑橘類の微妙なにおいの違いになるのです。香料の開発では,さまざまな化合物を組み合わせて天然のにおいを再現したり,新たな価値を持つにおいを創り出します。この香料の調合に挑戦しました。具体的には,長谷川香料株式会社から提供された4つの香料(A,B,C,D)を組み合わせて,香料の調合と、調合による香りの変化について実験で確認しました。参加者が,黒林氏の指導にしたがって,甘いにおいのAと刺激臭のあるB,さわやかなC,不思議な香りのするDを組み合わせて調合を行いました。その結果は表2の通りです。
表2 香料の調合とその結果
調香した香料 |
組み合わせ |
におい |
香料① |
A+B |
イチゴ |
香料② |
A+B+C |
フレッシュなイチゴ |
香料③ |
A+B+C+D |
パイナップル |
甘いにおいのAと刺激臭のあるBを組み合わせた香料①は,香料AやBからは予想がつかないイチゴの香りになりました。そして,イチゴの香りにさわやかなCを組み合わせた香料②は,参加者の予想どおりフレッシュなイチゴの香りになりました。しかし,不思議な香りのするDを組み合わせた香料③のにおいは予想ができませんでした。香料③は,イチゴとは関係のないパイナップルの香りになったのです!
バラ目バラ科のイチゴのにおいが,イネ目パイナップル科のパイナップルのにおいに変わりました。植物の世界では起こりえないことが,香料では起こすことができるのです。香料の強い力と不思議さに,TAを努めた大学生も含めて全員が驚きました。
図5 黒林氏(右)から香料の化学と香料会社の仕事のたのしさを教わりました
内容を解説した黒林氏の講座(図5)を通して,特別招待された中学生は香料会社の仕事に,そして附属高等学校の3名はフレーバリストという職種に強い関心をもったようです。高校生は講座終了後に熱心にフレーバリストになるための勉強や進路について伺っていました。私たちの暮らしを豊かにするにおいについて興味があり,研究者を目指す生徒にとって,自分の興味関心を活かすことのできる新しい将来像が描けたのではないでしょうか。ぼんやりとした「白衣を着て色のついた液体の入ったフラスコを振っている科学者像」ではなく,そこに自分自身が立っている明確な将来像を描くことが勉学に意味を与え,努力する価値を実感させてくれます。香料研究という新たな研究者の道についてご示唆をいただく貴重な機会を与えていただいた,長谷川香料株式会社に深く感謝します。
この実施は,教育学部の大橋淳史准教授が実施主担当者を務める国立研究開発法人科学技術振興機構の次世代科学者育成プログラム事業「科学イノベーション挑戦講座」によって行われました。
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