久瀬視点
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 八千代に簡単なおつかいを頼まれた。
 近所のファストフード店に行って、ふたりぶんのセットメニューをテイクアウトして、帰りにコンビニかどこかでアイスクリームを買い、ホテルまで戻ってくる。それだけだ。
「尾行のコツを知ってるかい?」
 と八千代は言った。
「知らない」
 とオレは答えた。
「なにも知らない?」
「以前、テレビ番組で少しだけ聞いたことがある」
 ポイントはふたつだ。
 ひとつめは、相手の靴を覚えること。うつむきがちに、足元だけをみて尾行するのがよい。
 ふたつめは、数人のチームで臨むべきだということ。2ブロック進むと次の仲間に交代、さらに2ブロックでまた次の仲間に。その間に、最初の追跡者は相手のルートを予想して先回りしている。そういう風に入れ替わりながら尾行すると、ずっと気づかれづらくなる。
 そう説明すると、八千代は頷いた。
「うん、正しい。すぐに両方忘れてくれ」
「忘れる?」
「そう。君は追跡者の存在に気づいちゃいけない。多少警戒している素振りをみせるくらいならいいけれど、絶対に敵を特定しちゃいけない」
「どうして?」
「変に聡いと、相手を焦らせるきっかけになる。忘れたのかい? 今は落ち着いて、ゆっくり問題に対処する時間だ」
「あんたは? あんたが追跡者をみつけるのか?」
「説明すると、君は演技をする必要が生まれる。演技に自信は?」
「まったくないな」
「なら、なにも知らないままがいい」
 仕方なくオレは頷いた。
 こういった事態には八千代の方がずっと精通しているだろうし、専門家がるならそいつに任せる。素人の我儘で面倒事をより面倒にはしたくない。
「オーケイ。よい旅行を」
 そう言って手を振る八千代に見送られて、オレはホテルを出た。

 ほんの少し歩くだけで、八千代が「旅先」と表現する理由がわかった。
 ――おそらく、オレを追跡している何者かがいる。
 そうわかっているだけで、周囲の何もかもが非現実的だった。言葉の通じない、常識も違う異国の地を、ひとりきり歩いているような気分だった。オレはゆっくりと周囲を見渡す。足早に歩くサラリーマン、ティッシュを配る若い男性、カフェの窓際で雑談している2人組の女性。みんな、スイマにみえる。
 ――ま、考えても仕方がない。
 オレはできるだけ、普段通りに歩く。
 ランチの看板に気を取られたり、自動販売機で缶コーヒーを買ってみたりする。
 そのままファストフード店に入り、八千代に頼まれていたフィッシュバーガーのセットと、自分用にもっとも安いハンバーガーのセットを注文した。
 商品を渡されて、オレは店を出る。
 ――もしオレを見張っている奴がいるなら、そいつは店の外にいるんじゃないか?
 と予想した。
 店内に入ってしまえば、なにも注文せずに店を出るのは不審だ。あるいは相手はチームで動いていて、中までついてくる奴と外で見張っている奴がいるのかもしれない。どちらにせよ、外から出入口を見張る人間がいた方が自然だ。
 八千代に言われた言葉を思い出す。
 ――絶対に敵を特定しちゃいけない。
 あまり考えすぎるべきじゃない。
 そう思いながらも、オレはそろりと辺りを観察した。ちょうど路肩に止まっていた銀色の車が発車するところだった。
 ――まさか、あの中からオレを見張っていた?
 疑心暗鬼に囚われる。
 よかった、と思った。
 都合よく、オレは頭が悪いらしい。注意深く鈍感を装うまでもなく、追跡者を特定できそうもなかった。
 その時だった。
「久瀬さん、ですね?」
 ふいに名を呼ばれ、オレはそちらを向く。
 そこには見覚えのある、眼鏡をかけた男が立っていた。ファーブルと名乗ったあのスイマと一緒にいた男だ。
 ――本当に、いた。
 奴らはオレの居場所を知っていた。
 でも、どうして声をかけてきた?
 そもそも、どうして、オレの名前を知っている?
 奴らの調査は着実に進んでいるということか。
 なにも答えられないでいると、眼鏡の男は、小さな白い封筒を差し出した。
「これを」
「……なんだ?」
「ささやかなメッセージだと聞いています。私も中を知りません」
「だれからのメッセージだ?」
「ファーブル、でおわかりいただけますね?」
「ああ」
 オレは封筒を受け取る。
 眼鏡の男は、まるで平穏な、屈託のない表情で笑った。
「これで私の仕事はお終いです。それにしても、今日は暑いですねえ」
 言われるまで気がつかなかった。
 確かに、白く尖った夏の光がアスファルトを焼いている。オレの首筋も汗が流れていた。人体は緊張すると温度を忘れるようだ。
「近くのパーキングに車を停めているんです。よろしければ、貴方のホテルまでお送りしましょうか?」
 内心でため息をつく。
 断られる前提の質問はきらいだ。
「いや。このあとコンビニで、アイスを買わないといけないんだ。それに夏は嫌いじゃない」
「それは残念です」
 では、と軽く頭を下げて、眼鏡の男は踵を返した。
 オレはしばらく、その場に茫然と立ち尽くしていた。
 ジォジォと、セミが鳴いている。
 静かにしてくれよ、オレは心を落ちつけたいんだ、と胸の中で呟いた。

       ※

 たまたまサーティワンの前を通りかかったので、アイスクリームはそこで買うことにした。
 自動ドアを抜けて店に入ると、すぐにスマートフォンが鳴った。八千代からだ。
「オレ、ロッキーロードね」
 と言い残して彼は電話を切る。
 きちんとみているから安心しろ、ということだろうか?
 それとも本当に、ただのロッキーロードのファンなのだろうか。
読者の反応

桃燈 @telnarn 
@mikami_pro ファーブルと一緒にいた連れが登場したんでっせ。 


ヌマハチ@SOL @_NumaBEE_ 
ファーブルって誰だっけ?  


KURAMOTO Itaru @a33_amimi 
@_NumaBEE_ 聖夜のつどいでやたら仕切っていた人です.さいごに偽ドイル(=もやしくんさん)と話してた人ですね.  





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