昨夜は八千代の勧めでホテルに泊まった。
彼はずいぶん、聖夜協会を警戒しているようだ。きっとオレよりも聖夜協会について詳しいからだろう。知識がなければ、危機感も薄い。
宿泊にセットでついてきたモーニングを、八千代と向かい合って食う。スクランブルエッグ、ウインナー、サラダ、トースト。そんなものが大皿に盛られていて、好きなように取って食えという、よくあるスタイルのモーニングだった。オレはそれをがっついていた。
「ずいぶんよく食べるじゃないか」
と八千代が言った。
「ああ。金がない」
一泊数千円の安宿でも、やはりつらい。できたら昼食のぶんも今のうちに腹に入れておきたい。
「どのくらいない?」
「貯金の残高は、ぎりぎり今月の家賃を払えるくらいかな」
「ひと月くらい家賃を延滞しても、君の彼女は死なない」
「ああ。その通りだ」
「とはいえ、金があれば物事が楽に、安全に進むケースだってたくさんある」
八千代はスーツの内ポケットから、白い封筒を取り出し、投げ出すようにテーブルにおいた。なかなかぶ厚い。重たい音が聞こえた。
「これは?」
「2、3週間、自由を買える程度の金額だよ」
「くれるのか?」
「貸すだけだ」
「あんたから金を借りると、ろくなことにはならない気がするよ」
「心外だな。オレの仕事は金貸しじゃない。利子もとらない」
「金なら、親父に泣きつけば多少はなんとかなるかもしれない」
「口座には触れない方がいい。念のためにね」
「いまどき、現金オンリーかよ」
「いちばん確実なのは、いちばん古くからあるものだ。コンピュータ上の数字より、リアルな紙幣を追いかける方が万倍難しい」
「ま、そうかもな」
オレは「ありがとう」と告げて、その封筒を受け取った。
コーヒーをすすりながら、八千代は笑う。
「思いの外、素直だね」
「ん?」
「人から金を借りることを嫌がる人は多い。君はそのタイプだと思っていた」
「あまり好きじゃない。でも、そんなことでうだうだ言ってる場合じゃないだろ」
八千代のいう通り、金があればスムーズにことが運ぶ場面は多い。
「いいだろう。じゃあ、今後のことについて話し合おう。オレたちの目的は?」
「あんたは知らない。オレの目的は、みさきの安全を確保することだ」
「オレの目的は、あいつらからプレゼントをかすめ取ることだよ」
「ああ、そうだったな」
「どちらにせよ、オレたちは聖夜協会を追っている。聖夜協会をどうにかしたければ、メリーって奴と話をつけるのが確実だ」
「覚えているよ。そのために、ヒーローバッヂが必要なんだろう?」
「その通り」
「でも、ちょっと待ってくれ。オレはみさきが、ニールって奴と一緒にいると思っている」
「オレもそう思う」
「ニールはおそらく、聖夜協会を裏切ったんだ」
そうでなければ、穏健派も強硬派もみさきの行方を知らない理由がない。
だが、八千代は首を振る。
「そうじゃない。あいつが何かを裏切ったなら、その相手は派閥だよ。聖夜協会全体じゃない」
「どうしてわかる?」
「聖夜協会から離れるなら、いちいち悪魔なんて馬鹿げた話に関わる必要はない。君の彼女がニールの元にいるのなら、あいつはまだスイマだ」
まあ、それはそうか。
八千代はポケットに手をつっこみ、「キャンディいるかい?」と言った。オレは首を振る。食事中にキャンディはいらない。
彼は自分の口にキャンディを放り込み、ブラックコーヒーに口をつける。それから言った。
「つまり今、聖夜協会内には、3つの派閥があることになる。穏健派、強硬派、それからニール派。ニール派は、ニールひとりだけかもしれない」
「ああ。状況はつかめた」
「どうなろうが、オレたちの相手は聖夜協会だ。やっぱりメリーをどうにかするしかない」
ヒーローバッヂをみつけて、メリーに会って。
オレにはその手順が、まどろっこしく感じていた。
「あんたとニールは友達なんだろう? 直接、連絡を取れないのか?」
「雑談くらいならいくらでもできるさ。でも、あいつは意外にバカじゃない。手がかりを引き出すのは困難だし、今はまだ余計な刺激を与えるタイミングじゃない」
「でも、急いだ方がいい。最悪を想定しないと――」
「そんなもの考えてなんになるんだ」
八千代は、意外に強い口調で言った。
口元には笑みを浮かべていたが、真剣な目つきでこちらを睨む。
「そうだろう? 本当に最悪っていうなら、君の彼女はもう死んでいて、オレはひどいペテン師で、すでに聖夜協会員たちは君を発見し、今、このホテルの客にも従業員にも奴らの手が回っていて席を立ったとたん取り囲まれる――そんな状況だ。想定しても意味がない」
「そういう意味でいったんじゃない」
「ああ、そうだろうね。でも、真面目な話に最悪なんて言葉は似合わない。冗談でないなら、それはあまりに想像力のない言葉だ」
オレはため息をはきだす。
八千代はよくわからない。なにか彼の気に障ったのだろうか? それとも話術の一種のようなものだろうか? なんにせよ、オレには上手く反論できなかった。
「わかったよ。最悪は想像しても仕方がない。オレたちにできることを考えよう」
「それでいい」
「とはいえ、ニールの様子は気になる」
「ああ。温泉にでも誘う連絡を入れてみるよ」
「温泉?」
「あいつ、けっこう趣味が親父臭いんだ」
八千代は音を立ててキャンディを噛み砕き、カップのコーヒーをぐっと飲み干す。それから彼は席を立ち、セルフサービスのコーヒーを注いで戻ってきた。
「甘いキャンディと苦いコーヒーの組み合わせが好きなんだ」
「そうかい」
どうでもいい。
「なんにせよ、ニールの様子は任せるよ。オレは、ヒーローバッヂか」
「ああ。なにか思い出したかい?」
「まったくだよ」
考えようとすると身体に痛みが走る。まともに思考できない。
「でも、タイムカプセルについては、ひとつだけ」
「なんだ?」
「昔、友達とタイムカプセルを埋める約束をした。たしか小学3年生のころだ。そのとき、オレはちょうど、愛媛に住んでいた」
懐かしい。小学3年の2学期から、たしか春までだ。男ふたり、女ひとりの三人組がいて、オレもそこに混ぜてもらってよくつるんでいた。
「愛媛の、どこだい?」
「よく覚えていない。本当にタイムカプセルを埋めたのかもはっきりしない」
「おいおい、大丈夫かい?」
「どうかな」
昔から、オレは記憶力が悪い。友達と懐かしい話をしていても、思い出せないエピソードがよくあった。
「当時の友達に連絡を取れば、なにかわかるかもしれない」
そう告げると、八千代はブラックコーヒーをすすり、顔をしかめた。
「それは、よした方がいいな」
「どうして?」
「聖夜協会に動向を察知されたくない。まずは、奴らの目をくらませるのが正解だ」
「警戒しすぎじゃないか?」
「そうかな。久瀬くん、ちょっとこれをみてくれ」
八千代はポケットから1枚のカードを取り出した。このホテルのルームキーだ。
「なんだよ?」
「目をそらすなよ」
「手品でもするのか?」
「このレストランにもスイマがひとりいる」
背筋が、震えた。
オレは思わず背後を振り向きそうになった。だが八千代の言葉を思い出す。
――目をそらすなよ。
だから、じっとカードキーをみつめいた。
「いつ気づいた?」
「昨日チェックインしたときから、ぼんやりとね。はっきりわかったのは、ついさっきコーヒーをとりに席を立ったときだよ」
「大丈夫なのか? こんな話をしていて」
「気にすることはない。席は離れている。あれは、ただの見張りだ。こちらの声までは聞こえちゃいない」
八千代がルームキーをポケットにしまった。
「今は好きにさせておけばいいさ。そのあいだに、こっちも向こうを観察する。何人編成で見張っているのか? それぞれの顔は? オレたちが別々に行動したときのマニュアルは? 雇い主への連絡の時間と方法は? その辺りがわかれば、奴らを撒く方法だってみえてくる」
「ずいぶん余裕だな」
「オレは旅先案内人だぜ? 観光地で慌てるガイドに仕事なんてこない」
「でも、もう見張られてるなら金を引き出してもいいんじゃないか?」
「封筒を渡した理由はみっつだ。ひとつ目は、こっちが向こうに気づいていることを、向こうには悟らせないこと。ふたつ目は、いざというとき現金がいちばん頼りになること。そしてみっつ目は、君に貸しを作ること」
「なんだよ、それ」
「あいにく、即席のチームだからね。繋がりはひとつでも多い方がいい」
「オレはあんたを裏切らない」
「へぇ。ずいぶん信頼されたもんだ」
「信頼じゃない。相手が誰であれ、約束は守る」
「君の彼女がピンチになっても?」
「おいおい、ふざけるなよ。そんなもん1億借りていようがあんたを見捨てるよ」
「ひどい相棒だ」
八千代は、肩をすくめて笑った。
「ともかくあいつらを撒く準備が整うまで、こっちから具体的なアクションはなしだ。できるだけ早く片付けたいが、ちょっと時間がかかるかもしれない」
「どれくらいかかる?」
「どれだけ待てる?」
オレは考える。
みさきが死ぬのは、8月24日だ。それまでなら、少なくとも彼女の命の安全は保障されているはずだ。
「バッヂを手に入れれば、メリーに会えるんだな?」
「ああ。それは保証する」
「メリーに会って、どうする?」
「君が英雄だと証明する」
「どうやって?」
「手段はいらない。メリーは、英雄を知っている。会えばわかるはずだ」
――知っている?
「オレも、面識がある相手なのか?」
「おそらくね。あのクリスマスパーティで出会っているはずだよ」
「女でいいのか? 歳は?」
「オレも会ったことはない。でも、協会員たちは彼女と呼んでいるからね。女性なんだろう。歳は知らない」
「そうか」
だれだ? ――くそ。考えても、わかるわけもないか。
八千代は軽い口調で言う。
「メリーまでたどり着ければ、とりあえず目的は達成だ。オレはそう踏んでるよ」
「ならさっさと、スイマたちに捕まっちまえばいいんじゃないか?」
メリーに会える公算は高い、ように思う。
だが八千代は笑った。
「眠った子供はサンタの顔がみえないよ」
「どういう意味だ?」
「適当に言ってみただけ。前にも教えただろう? 教典じゃ、英雄は最後、悪魔に呪いをかけられたことになっている。真面目なスイマほどそんな奴メリーには会わせない」
「不便な英雄だな」
「そんなものさ。尊敬されたままでいられる英雄は、死んだ英雄だけだ」
オレはため息をつく。
ため息なんてものとはあまり縁のない人生を歩んできたつもりだったが、この数日はため息ばかりだ。
「でも、英雄が信用されていないんじゃあ、メリーに会っても無意味じゃないか?」
「メリーは聖夜協会でもっとも英雄を信仰している。君が頼めば、なんとかなるさ」
「いまいち信用できねぇな」
「大丈夫だよ。警戒はオレの専門分野だ。やばくなりそうなら、必ずオレが事前に察知する」
「そうかい」
「疑問はなくなったかい?」
「疑問だらけだよ、まだまだな。もうひとつだけ教えてくれ」
「なんだい?」
「ヒーローバッヂを手に入れてから、メリーに会うまでのルートがみえない。スイマたちと交渉できないんじゃあ、ほとんど詰んでるんじゃないか?」
「そこは裏技を使う」
「裏技?」
八千代は口元で、意地の悪い笑みを浮かべた。
「オレの切り札だからね。君にも教えられない」
「ひどい相棒だ」
「ああ。お互いにね」
八千代は2杯目のコーヒーを飲み干して、首を傾げた。
「ともかく、ヒーローバッヂさえ手に入れば勝ちだと思っていい。で、バッヂまでどれだけ待てる?」
みさきが死ぬ、8月24日までは、ちょうどあと20日間だ。でもぎりぎりまで待つのは嫌だ。
「限界で、2週間」
とオレは答えた。
「へぇ。我慢強いね」
「ああ。オレも意外だよ」
あのバスの窓から未来をみていなければ、3日も待てなかった。
「それだけ時間があれば、充分安全なルートをみつけられる。君は安心してバッヂの行方を思い出していてくれ」
「安心なんてできるかよ」
なんにせよ、2週間だ。
18日までには必ず、あのヒーローバッヂをみつけだしてみせる。
内心でそう誓うが、一方で、あの制作者から届いたメールが気になってもいた。
※
――君にはみつけられないものがある。
※
オレには、あのバッヂをみつけられないのか?
だとしたら、あるいは、ソルにならみつけ出すことができるのか?
VIOLA@ソルコミュ!オーナー @viola_vfreaqs 2014-08-04 10:12:13
取り敢えず昨日の深夜にブログの方に名無しさん名義で「久瀬太一という人物について知っているか?」という質問をぶっこんでみてたが、これは当たりかな?
おーとり。 @mari_otori0710 2014-08-04 10:17:08
ああ。なるほど。愛媛のブログ主が久瀬くんとタイムカプセルを埋めた友人という可能性か…。
空飛ぶ蜥蜴 @karashimiso477 2014-08-04 10:33:11
本編更新で、ソルに対して愛媛までタイムカプセル探しにいけやゴラァ、と念押しされたような気がする。
おおば @hdjjkhkl 2014-08-04 10:34:42
「ひと月くらい家賃を延滞しても、君の彼女は死なない」
「ああ。その通りだ」
おいこら誰が彼女だこら
ふゅー@傍観勢/愛媛班? @777Moyashi 2014-08-04 10:46:33
愛媛県内は多分動けるけど、そう遠くまで運べないです
よもぎ@3D小説参加中 @hana87kko 2014-08-04 10:49:07
ソルももうちょっとヒントが無いと動けんぞ、なんか思い出せ久瀬!
あとそんだけ忘れてるんなら普段から自分の記憶に違和感もっとけよww
おおば @hdjjkhkl 2014-08-04 10:52:24
ちえりが、あからさまに怪しくて怪しくてしょうがない存在なのに、あれっきりまったく関わりもしないのが引っかかるんだよなー・・・
交響楽 @koukyoraku 2014-08-04 10:51:25
メリーがちえりとするとみさきは生放送で声が違うといってたのはどうしてだろう
・食事会のメリーは影武者
・声色変えてしゃべっていた
・何かしらの能力?
まあこの辺は何とも言えないか
ちえりがまだ少ししか出てないからなぁ
コメント
コメントを書く