■久瀬太一/7月31日/19時10分
母さんが死んだのは、オレがまだ8歳だったころだ。
そのころオレは父親の赴任先にいて、母さんは東京の病院だった。
母さんが死ぬことは、わりと早い段階からわかっていたことなのだと、今思い返せばわかる。だからその2週間ほど前から、オレは東京の親戚の家にあずけけられた。
どうして母さんが死んだのか、オレは知らない。なにかずいぶん難しい名前の病気だった。幼いころに聞いたけれど、とても覚えられなかったし、それなりに成長してからも改めて聞く気にはなれなかった。
なんにせよ、オレが8歳のころ、母さんは死んだ。それがすべてで、重要なことは母さんとの、いくつかの思い出だけだ。
※
偉人の最期の言葉というのは、よく話題になる。
もっと光を、と言ったのはゲーテだ。向こうはとても美しい。これがエジソン。私の図形に近寄るな。アルキメデス。
谷崎潤一郎は、「これから小説を書かないといけない」と言った。手塚治虫は、「仕事をさせてくれ」と言った。葛飾北斎は「せめてあと5年の命があったら、本当の絵師になられるのだが」と言った。こういう、未練に溢れた言葉が、オレは好きだ。
もっとも恰好のいいエピソードは、やはりアインシュタインだろう。彼の最期の言葉はドイツ語だった。でも看護師は英語しか知らなかったから、永遠に謎のままだ。
母さんの最期の言葉を聞いたのは、たぶんオレだと思う。
あの日、オレは母さんと少しだけ話をして、彼女が眠ったから親戚の家に帰った。その2時間後に、病院から連絡があった。
母さんの最期の言葉は、はっきりと覚えている。
後世に残るような名言ではない。でもシンプルで整った、忘れられない言葉だ。
「がんばって」
と母さんは言った。
それだけだった。
母さんの声は、なんだか綺麗だった。
小さくて、少しざらついていて、苦しげな、その声が妙に綺麗にきこえた。
オレは母さんに同じ言葉を返したかった。
でも、それはできなかった。
母さんはずいぶん痩せていて、入院してから1年ほどで10倍も年老いたようにみえて、それでもオレがいくと無理に笑っていた。もう充分、がんばっていることがわかった。
母さんが死ぬなんてことが、現実に起こり得るなんて、ずっと信じられなかった。海から水平線が消えないように、世界から空が消えないように、母親というものはこの世界の確かな一部分としてあり続けるものだと思っていた。
でも、母さんが「がんばって」と言ったとき、うまく言葉にできないけれど、生まれて初めて、死というもののリアリティを感じたように思う。
だからオレは帰り道で泣いた。できるだけ声をひそめて、周りに気づかれないように。
それから、よくわからないけれど、がんばろうと決めた。
※
母さんが死んでからの2か月くらいで、オレは何度も、繰り返し同じ言葉を聞いた。
いろいろな大人たちがオレに「がんばって」と言った。「お母さんがいなくなって大変だろうけれど、がんばって」。
そのたびに、オレは笑って頷いていた。母さんが言った「がんばって」は綺麗で、だからがんばろうと決めていた。
でも、ただ頷くだけなのにだんだん疲れて、疲れてもがんばらないといけなくて、苦しかった。苦しくてもがんばらないといけなくて、少し、その言葉が嫌いになった。
綺麗な言葉が、綺麗にきこえなくなった。
※
オレは長いあいだ、父親が嫌いだった。
母さんは病院にいるのに、父は仕事であちこちを飛び回っていて、オレはそれにつき合わされる。母さんが死んだ時だって、父は近くにはいなかった。父がやってきたのは翌日になってからで、彼は冷たくなった手を取ったけれど、そんなのなんの意味もないと思った。
母さんが死んでからも、父はオレに、とくに何もいわなかったように思う。父もなんと言っていいのかわからなかったのかもしれないし、あえて黙っていることを選んだのかもしれない。あのときに父がなにを考えていたのか、今でもまだわからない。もともと単純なようでわかりづらい人なのだ。
でもオレは父から、たったひとつだけ、具体的なことを学んだ。
たぶん四十九日が過ぎて、骨壺を墓に入れた帰り道だったと思う。もう日が暮れていて、空気は少し湿っていた。
オレはそのころ、「がんばって」という言葉が綺麗にきこえなくなったことが不思議で、ただわけがわからなくて、うつむいて歩きながら何度もその言葉を胸の中で繰り返していた。そのたびに、息苦しくなった。
父は少し前を歩いていたけれど、ふいに足を止めて、こちらをみた。
「おい。走るぞ」
と父は言った。
あのとき、オレはなにも応えられなかったと思う。
あまりに脈絡がなくて、わけがわからなかったのだ。
父は黒いネクタイを外し、それをポケットに突っ込んで、また言った。
「走るぞ。全力だ」
そして、本当に走り出した。
他にはどうしようもなくて、オレは彼のあとをついて走った。
父は速かった。置いて行かれないように、オレも必死に走った。
最初は疑問で、頭の中がいっぱいだった。
どうして、いきなり走り出すんだよ。こんなのなんの意味があるんだよ。母さんをお墓に入れた帰り道だぞ。おかしい。変だ。
でも、すぐになにも考えられなくなった。
痛いくらいに鼓動が強くて、酸素が足りなくて、苦しかった。
その息苦しさは、これまで感じていたものとはまったく違っていた。シンプルで、純粋で、具体的だった。
全身を血が流れるのを感じた。両足が確かに地面を踏みしめているのを感じた。視界には父の背中しか映っていなかった。音はなにも聞こえなかった。匂いもなかった。身体の芯がじんじんしていた。
父は、オレよりは余裕があるようだった。
前を向いたまま、
「もう限界か?」
と言った。
限界だった。
なんだか悔しくて、オレは首を振る。
父はこちらの様子なんて、みえたはずがなかった。
でも、
「よし。もう少しだ」
そう言った。
なにがもう少しなんだよ。意味わかんねぇよ。くそ。
オレは、とにかく走った。世界が揺れていた。
気がつけば、どこか小さな公園に着いていた。少し坂になった芝生があって、父がそこに座り込んだから、オレは隣にぶっ倒れた。
必死に息を吸う。こめかみの辺りが、どくん、どくんと脈打ってうるさい。
父も、隣にごろんと寝転がる。
「なんかさ、よくわかんねぇけど、息が吸いにくくなることってあるよな」
と父は言った。
「すげえ悩んでるみたいで、でも実はなんにも考えてなくて、似たような言葉ばっかりぐるぐるしてさ。本当は身体の外に流れていかないといけないもんが、頭の中に堰き止められてるんだ」
オレはなにも答えなかった。
まともに思考もできず、ただ必死に呼吸していた。
「そんな時は、思い切り走るんだよ。倒れ込むまで走るんだ。そうすると脳が働かなくなる。上手いこと、余計なもんが流れていく。ほら」
父は、まっすぐ天頂を指す。
「ぶっ倒れてから見上げる星が、いちばん綺麗なんだよ」
東京の空に星は少なくて、地上の明かりでいくつか雲もみえて、濁っていて。
でも父の言う通り、なんだかその景色は綺麗だった。
久しぶりに綺麗なものをみて、たぶんその他に理由なんてなくて、いつの間にか泣いていた。星が滲んで、その光を増したように思った。
それから、母さんが死んでから泣くのは初めてだと思い当った。
※
あの時の星を、はっきりと覚えていて、だからオレはみさきを、クリスマスパーティから連れ出した。
みどばち @midobachi3 2014-07-31 19:18:48
なんかいきなり泣ける話になった(;_;)
コウリョウ @kouryou0320 2014-07-31 19:20:03
うーん本当に久瀬父なんの仕事してるんだろう。気になる。
交響楽 @koukyoraku 2014-07-31 19:16:19
久瀬が最後にクリスマスパーティに参加したのが12歳の時
母親が亡くなったのは8歳
久瀬が最初にクリスマスパーティに参加したのはいつからかわかってたっけ?
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