悠里は、美琴が死ぬ前に誰かに付け狙われていたと母親が証言した、と言うことを聞かれて、しぶしぶと言った調子で、学校サイトなどのチャットでうざったいやつに因縁を吹っかけられて愚痴をこぼしていた、などと言うどこかはっきりしない情報を漏らした。


予想通りの図書委員長で美琴とは違うクラスだが、生徒会の活動を通じて仲良くなったとのことだ。来る途中、廊下に貼り出されていたかなりレベルの高いアニメ調のポスターはすべて、彼女が描いたものらしい。


一番反応が感情的に見えたのは、野上若菜(のがみわかな)だった。彼女は小学校からの彼女の同級生で、この中では異性に映る自分を意識しだした平均的な女子高生だった。下品にならない程度に染めた髪に薄化粧、ほのかにココナッツの匂いをまとって、爪なども手入れしている。混乱してたどたどしい彼女の話し方はじれったかったが、この中では一番、有益な情報を話した。確かに美琴から、変な人に付きまとわれて殺されるかもしれない、などと言う相談を受けていたと言う。


「・・・・・こりゃ変質者だな」


金城は端的に総括した。調書の意見は、それで大体まとまるだろう。聞いた話の印象だけなら、薫にも異論はない。


(やっぱり、夢は夢か)


「ねえ、刑事さん、ひとつ聞きたいんだけど」


と、最後に聞いてきたのは満冨悠里だった。


「結局、ミコトはなにで死んだの?」


ちょっとぎょっとして、薫は聞き返した。


「・・・・・あなたの聞きたい内容がよく分からないけど」


文節で区切ってゆっくりと、彼女は言い直した。


「どうやって、死んだの?」


「ニュースで言ってる通りよ」


「散弾銃?」


薫は、曖昧に肯いた。


「・・・・まだ、詳しいことは話せないの」


マスコミ発表ではまだ、美琴の死因の詳細は明らかになっていない。散弾銃のようなもので射殺されたものと思われるとしている。その悲惨な死はやがて詳細を嗅ぎつかれるだろう。ここであえて、伝える必要はない。


「心配しないで。胸から上は傷ついていないから。ご遺族の方には綺麗にしてから帰したから、お通夜のときはきちんと顔をみて、お別れをしてあげて」


「・・・・・・・・・」


なにか不満そうだったが、悠里は肯いた。薫の言った意図はないようだ。ひそめた眉になにか後ろ向きの感情を抑制した痕跡を残してから、彼女は顔を背けた。


 

金城が本部に指示を仰ぐべく一報を入れる。同時に掛け持ちの事件に対する打ち合わせもいくつか補足。


薫はしばし、外のグラウンドを眺めて時間をつぶしていた。授業で実施しているバレーボールを観戦している。球技大会は二年連続してバレーだった。普通、自分の所属している部活のスポーツは選べないようになっているのだが、薫は剣道部でどれも選ぶことが出来た。


どこか漠然と、これでいいのかと不安を感じている薫がいた。確かに、現実の捜査の方向性には納得した。状況などから考えて犯人は車で移動している。犯人が高校生だとは普通、考えないだろう。外部の変質者の線でまず間違いはない。


ただ、それは実行犯は、と言う点で納得行くだけのことだ。自由な外出時間と車を持たない高校生でも、誰かに頼むと言う手段をとることも考えられる。犯罪を構成するメンバーから、自殺の同伴者までネットで募集できる時代だ。条件次第ではどこの層のどんな人間だって乗り入れてくる可能性はある。だが。嶋野美琴をめぐる関係者には今のところ、その仮説を裏付ける肝心の彼女に深い怨恨を抱いている人間が見つかりそうにないのだ。


薫の夢の中で。


美琴は、自分の負けだと言った。一方的に変質者に付きまとわれている人間なら、こんなことは言うはずもない。降りるとも言った。降ろして、とは吊るされている状態から降ろして、と言う意味だけでないのかもしれない。負け。降りる。降ろす。なにか別の意味も含んでいるのだろうか。


だめだ。どうしても、考えてしまう。


(誰かに相談したい)


だが、薫だけが勝手に体験した、夢の中での話など、誰が信じるだろう。他の捜査員にあれを、納得いく形で見せることが出来たなら、誰もが薫の見方を支持しただろうとは思うが、一方的な自分の主観を理解してもらうより、それは無理な話でしかない。


(金城が言ってる通り、やっぱりどうかしてるんだ、わたし)


そう思いつつ、のめりこんでいくのはそのせいだ。あれほどリアルに、被害者とシンクロしてしまうことがあるとするならば、どんな捜査員も、客観的な状況判断に支障を来たすだろう。


と、なるとそれこそ、やっぱり。


(・・・・・カウンセリングを受けた方が、いいのかも知れない)


突然、薫の胸ポケットの携帯が激しくバイブした。金城が呼んでいる。ため息をついて、彼女は歩き出した。一階の廊下の踊り場の前を横切る。


そのときふと、誰かが薫の前を横切った。


その顔に見覚えがあった。


野上若菜だ。反射的に振り返って、彼女はこちらを見た。


薫がいる。それを知ってなぜか一瞬、彼女の表情が一変した。


(まずい)


そんな感じの、逃げ方だった。今そこで、なにかを話していたのだ。大人に、いや、警察官に話せないなにかの事情。若菜が通り過ぎたのと、別々の方向に向かって数人の女子が、ばらばらと逃げ散っていくのが見えた。


その中に、ちょうど、満冨悠里の姿もあった。


「待って」


思わず誰かを引きとめようと、薫は手を伸ばした。誰も応じはしない。小魚の集まる泉に岩を落としたかのように、彼女たちは消えていく。


その直後だった。


 

「許して」


頭の中。美琴の声がする。視界がホワイトアウトしたままだ。すべてが白くぼやけている。両耳の後ろ、脳の奥の奥が、びりびりと痺れる。空白に埋もれていく風景の中で、苦痛だけが溶けていかない。ぎしぎしと縄が軋む音が、まだ頭の上で響いている。


「仕方なかったんだってば」


「・・・・・あんたのことさらわしたのは悪かったから・・・・・・謝る・・・・・・謝るから・・・・・もうなにもさせないから」


「だから許して・・・・・お願い」


「殺さないで」


「聞いてるの?」


いるんでしょう? そこに・・・・・


彼女は言った。唇が震えるのが自分でも分かった。


その名前は、わたしも知っている。


そうだ、確かこんな名前だ。


 

「マキ?」


 

かつん、


と、足元になにかが落下した音で薫は我に返った。胸ポケットから、携帯電話が落ちたのだ。


そこにはもう、彼女が知っている誰もいなかった。


休み時間の喧騒が、幻のように聞こえる。電話を落としてしまった。溺れる夢を見た後のように、薫は息を吸った。


すると目の前に、突然、薫の携帯電話が差し出された。


薫は少しぎょっとして相手を見直した。


いつのまにか音もなくひとりの女生徒が立っている。黒髪をショートにした、不思議な空気の子だった。透き通るように色が白く、猫のような顔の小ささに比して、瞳が大きい。年頃にしてはちょっとなまめかしい、しなやかな身体つきをしていた。


たぶん、階段を降りてきた。だが、いつ来たのだろう。茫然自失としていた薫が気づかないのも無理はないが、こんなに近くに寄られるまで、気配を感じなかったのには、驚いた。


生気の薄い。人形のような綺麗な顔をしていた。


どこか焦点の合わない視線が、薫を見つめている。


「あ・・・・・・ありがとう」


いたたまれずに、薫は言った。それに対しての応えはなかった。


ふーっと息をつくと、かすかに肩をすくめ、彼女は電話を薫の手に戻した。後はなにも言わない。その一瞬薫は、自分が仕事でこの学校に来た大人であることすら失念して、ただ呆然としていた。


向こうで金城が呼んでいる。業を煮やしたのかもしれない。大きく手を振っている。すぐに移動の要請があったのか。それ以上その子に構うことをせずにあわてて、薫は駆け出した。そのとき彼女は薫の前を過ぎて外に出るらしかった。


薫は気づかなかった。


それはちょうど。


さっき横切っていった野上若菜と同じ方向だった。


 

マキを探して


「・・・・・・おい」


クラクションに急ブレーキ。身体が跳ね上がる。強引に上下に揺すられた衝撃が、薫の鈍磨した生理感覚を途端に蘇らせる。


「え?」


右折しそこねて不機嫌そうな金城の顔がそこにある。なにかの話の途中だったはずが、どこかに意識が飛んでいたのだ。あわてて薫は注意を戻した。金城のハンドルを持っていない方のごつい手が、左右にふらふらとなにかを持ち上げて、こちらに差し出している。


「信号が変わる。早くしてくれよ。重いんだ、これ」


手にあるのは、嶋野美琴に関する、時間と人権が許す限りの個人情報を集積したファイルだ。これには他にも何人かの同級生、または美琴が通っていた学習塾の関係者などから聴取した内容や、学校や美琴の母親から借りた、資料のすべてがこの中に含まれている。


「・・・・後ろの座席に戻しておいてくれって言ったろ」


「ごめん」


あわてて、薫はそれを受け取ると自分の膝の上に置いた。具を入れすぎたハンバーガーのように、バインダーが書類を吐き出しそうになっている。


「そいつももう、かさ張るし、必要もないだろ」


「・・・・・・・・・」


「これから厄介なことになりそうだしな」


「え?」


「・・・・・なあ、もしかして本当に聞いてなかったのか?」


ついに金城ですら、呆れ顔をされてしまった。


「・・・・・ううん、そんなことない」


いつまでも、調子が悪いという言い訳でしたくはない。どうにかあてずっぽうで、薫は話を合わせた。


「学校の同級生の証言でしょ? 母親が言っていた内容と、一致する」


「決まりだな。こりゃやっぱり、ネットの変質者だよ」


金城は無線機をあごでしゃくって言った。


「須田の班が、遺体発見の現状付近の目撃証言集めてる。それらしい不審車の情報、もう見つけたとよ」


「本当に?」


「ああ、不審な黒いバン、午後九時から十時ごろ、被害者の母親が本人のものと思われる携帯電話から危機を知らせるメールを受け取った直後だと。黒のライトバン、バックに改造ウイングがついてる・・・・二十代から三十代の若い男が数名、窓にスモークかかったらしいし、夜だから、はっきりと面は確認できなかったらしいが」


「実行犯はそいつらに間違いないね」


「そうだな。問題は、主犯がどのサイトでどうやって、彼女と出逢ったかだが」


「・・・・・・例えばだけど」


ここで薫は思い切って、自分の考えていることを言ってみた。


「それが同じ学校の生徒だとは、考えられないかな」


「うーん・・・・・どうだろうな」


金城はブラックのコーヒーをがぶりと飲んだときの、苦い顔をしてから、


「おれたちが調べた限りでは、学校では出てこなかったからな。ずばり、こっち関係とか」


太い親指を突き出して、また首を傾げた。


「おれらの世代じゃ、ああ言う学校のマドンナみたいな子は大抵、人気ある運動部のキャプテンとか、学校のみんなが知ってるような同世代とかと付き合うもんだったがな」


「へえ、そう言うものなんだ?」


「違うの?」


ちょっとびっくりしてから、異星人を見るような目で、金城は薫を見直した。薫としては冗談ぽく言ったつもりだったが、本気にしたのだろうか。金城は明らかに不自然な咳払いをすると、


「まあ今の女は本当に早いうちから、大人にちやほやされること憶えちまうみたいだからな」


満冨悠里の話によると、美琴が交際していたのは横浜の大学生だったと言う。それも、去年のクリスマスには自然消滅的に、関係を清算したらしい。


「でも、その男とは特にトラブルはなかったみたいだ。美琴が変質者に付きまとわれて困ると話していたのは、ごく近々のことのようだし」


「じゃあ同性なら?」


「同性?」


金城は浮かない顔で聞き返した。


「彼氏を盗られたり、実質的な被害を受けなくても、彼女をやっかんだりする同性のクラスメートとか、いてもよさそうだけど」


自分で言ってみて、薫は今、気がついた。そう言えば美琴の経歴は、どこか完璧すぎるふしがある。


「優等生で目立つ子って、普通敬遠されない?」


「・・・・・いや、どうかな」


今度はそっちに心当たりがないらしい。金城は、とても難しい顔で首をひねった。


「それに彼女、帰国子女の転校生だったと思うわ。そう言う目立つ子って最初、なかなか受け入れられないものなのよ」


美琴は小学校四年生まで、日本にいて高校編入までは、香港で過ごしている。今日事情を聞いた野上若菜とは同じ学校だったとは言っても、一年生の五月に転入した当初は、かなり浮いたはずだ。そう言えば借りてきた写真も、美琴がクラブ活動で目立ったり、生徒会役員になったり、積極的に活躍しだした、二年生のものが多かったように思う。


「・・・・・写真はごく最近のものが役に立つだろうと思って、そっちを選んで母親が渡しただけの話じゃないのか」


「それにしても、彼女のこと、よく言う人が多すぎると思うの」