「私が“兄”です。ずいぶん違う道を歩みましたが、最期は南雲さんの所に納まった。私はね、産業面一筋の記者だから良くこの国の形の変貌が分かるつもりでいるんですがね、そもそも戦後の復興時から政官財の鉄のトライアングル、言いいきってしまえば癒着はありましたよ。戦後の焼け野原からだから、インフラ、食品、不動産、作れば作るほど、売れた。売れたら父ちゃんの給料も上がって、家庭が消費できた。高度経済成長のときはどんな国だって何やったって、よかっただよね。政治と経済が二人三脚だったのが、経済が成熟していくと癒着になっちゃんうんだね。でもね、私は南雲さんにまだ期待してますよ。エコプロジェクトの欺瞞に対抗できる最後の将軍だ。」
そういって水先シニアは遠く上を見た。戦後育ちのジャーナリストらしい見解と、独特のマスコミ的表現で南雲を将軍と言った。
「南雲将軍。これは私がジャーナリスト時代につけたニックネームなんですよ。」
なるほど、何故か慣れ親しんだ感じで将軍と呼べるのはそのせいか。
「この視線の向こうに将軍が鎮座しておられるのさ。」
小林も水先シニアが視線を向ける方向を見て、思わず手を合わせた。
「手を合わせる方じゃないよ、小林さん。どちらかというとこうだ。」
手で敬礼のポーズをとり、シニアはおどけてみせた。
「マーケティングコンサルタント。最近らしい肩書きだね。だが実際は明智探偵事務所の企業調査員だ。記者上がりなもんでね。言わなくても分かるよ。で、たぶん弟があんたをここに呼んだのは理由がある。単刀直入にいこう。」記者独特の“時間に追われてる”感じをながらシニアは手帳をめくっている。
「あんた、これまで何人の社員に会いました?」
「5人くらいです。
「少ないね。」
「キーマンを重点的に面談してるんです。」
「少なくてもいいが、そのキーマンって誰だい。」
「それは・・・」
「杉並、営業の@@、企画室の@@てとこだろ。それは表面のキーマンだね。」
「表面のキーマン?」
「そう、組織には表と裏がある。なんでもそうでしょう。表に出て人を引っ張る人、裏方で影響力を発揮する人。政治家でも、会社人でも、組織っていうのは表裏一体で動く」
「御社の場合、その裏のキーマンはどなたですか?」
「ストレートな性格だね。まず沼田専務付の魚住顧問、税理士の合田。
知らない名前だった。組織図には出てこない。
彼らは組織図などという表面にはでてこない。当然会議もだ。最期は経営企画室次長北条静香さん。この3人だな。」
「北条さんはキーマンなんですね。」
「当然だ。南雲将軍の秘蔵っ子だからね。魚住、合田は沼田陣営だができれば接触したほうがいい。相当疲れると思うが・・・。敵の腹を少しでもさぐることだね。」
「分かりました。ありがとうございます。」
「ああもう時間がない。失礼する。あ、あと人事の稲本君には会ったかい。」
「いいえ。君のタイプじゃないだろうけどね、いい男だよ。ああ、忙しい」
シニア水先は、ジュニアと同じようにせかせかと部屋を出ていった。
窓際族とはこういう場所のいる人のことなのか。部下も上司も周囲の人と距離を保たれ、机を一つ部屋の片隅に目立たないかたちでおいてある。仕事はできない、さえない中年。典型的な窓際族とまったない見えない目の前の男と話しながらそう思った。
「今日で3日目、そうお疲れでしょう。でも取締役会まで2日営業日しかないものね、がんばってください。」
「有益な情報をいただければ幸いです。」
「俺に声をかけてくれて、うれしいよ。何せ俺はとっくの昔に終わった男だからね。もともと杉並さんと南雲社長の指示でハウスエージェンシーつまり、大正電力専門の広告代理店(子会社)を作ったんです。電信堂に10年在籍してましたから、そのときはバブルの頃でね、広告会社が雨後の竹の子のようにできたんですが、大正アドMKは今でも誇れるマーケティング会社でした。だいたい、広告屋というのは広告仲介業が一番もうかります。親身にクライアントにマーケティングサービスを提供しようという代理店は少ない。今大正アドMKが存在したら、榎田さんに食い込まれることもなかったかもしれない。沼田さんの銀行的なやり方にひっついて年間予算100はもっていってるんじゃない?」
バブル世代の元広告マン、一時はハウスエージェンシーとしては異例の業界トップ10を果たしたマーケティング会社の社長・・・。終わった男と自称する彼は自嘲的なものでなく、むしろ哀愁を感じた。堀が深く、色黒の稲本は元ジゴロのイタリア人という印象だ。
バブル世代は、本当に楽観的で明るい。就職氷河期と不毛の10年を経験したとは思えない若さも感じられる。シャープだがメランコリーな私たちよりも若い、そして明るい。
この人の社内の評判はよくない。南雲社長に可愛がられたその人が、今はひっそりと人事の課長職にいる。その真相を聞かないと。南雲派なのか、沼田派なのか。
「あの稲本さんは現在どちらにつかれるおつもりですか。」
しまった。なんて質問の仕方だ。それはもっと後だろう。そう後悔した小林を無言で見詰めた後、話の順番を戻してくれた。
「南雲社長にはほんとに良く教育してもらいました。派手なイベント屋みたいな若造にマーケティングの真理を説いてくれた。“広告費いくらかけたら、いくら儲かる”そんな発想はぶっとんだね。“稲本君、それは玉屋(パチンコ屋)の発想だよ”とね。商売なんて安く買って、高く売れば良いと思ったし、右から左に物を動かせば儲かると思ってた。ほら、良くいるでしょ。顧客第一主義とか、サービス精神がモットーですっていう経営者の方。そういうとこに限ってサービスの本質をわかってない。南雲さんはね、“利は公共の利“ 共有の利といった。昔は良く分からなかったが、今は良くわかります。」遠くのビル群は夏の蛍のように輝いている。その夕闇を見ながら悲しげな様子を見せた。
どう切り出そう。その迷いを悟ったかのように自分の過去を話し始めた。
「僕の実家の家業はね、代々続く“的屋”でね。けっこう有名な“老舗”でね。」
小林は神社や祭りなどでよく見る少し裏の社会の人を想像した。しかしそれは違ったようだ。ふいに小林に近づき小声で「やくざ」と言った。“的屋でね”この程度の表現が適当なんだという顔をして右目をまたたいてみせた。なるほど、この人は怖い、一筋縄ではいかないかんじがするのは、その“実家の家業”からくるのか。
「実家の家業を私は継がなかった。跡取りは俺以外にいないのにね。」
「それで、お父様の“会社”はどうなったんですか。」
「私のエージェンシーに、後は父の紹介でまともな会社に行きました。」
なんていうことだ、それは企業舎弟ということじゃないか。
「南雲社長もご存知でいらしたのですか。」
「そこだよ。そこがあの人の凄いところ。将軍といわれるゆえんだ。あの人の凄さは、あの外見やマスコミがはやし立てるカリスマとかじゃない。」
次の一言次第でこの人が聖か邪か、評判がきまってくる。
「あの人の懐の深さ、それが南雲新三郎の将軍たるゆえんですよ。親父が死んで、残された“社員”を連れて、南雲さんに会いました。“ルールはその時代のルールにすぎない。道を極めるに正しいも間違いもない。”」
小林は右脳がふわっと興奮するのを感じ、資料にある南雲新三郎の写真を改めて見た。
「小林さん、あなたが聞きたいのはその先でしょ?」
この日聞いたことは明智の戦略上、重要なものになると判断できた。
ハウスエージェンシー社長稲本氏が人事の目立たないところに潜んでいる訳を。
「南雲社長は実の親父より僕を可愛がってくれた。入社の前から、ハウスの社長にしてくれたときも、そして今こうして潜伏させてくれてるのも。親父の戦友だっていった。だが俺にとっては一生新三郎おじさんだよ。そして俺はおじさんの秘密兵器なんだ。」
「秘密兵器?」
「俺が言うとなんだか、胡散臭いかもしれないが、いざと言うとき。たぶんリントリ以降は俺に何か期待しているようだよ。」
「何をですか?」
「それは分からない。あなたにもいえないな。あんたの上司、明智光太郎なら分かるんじゃないか。あの人は警察時代から有名人だぜ。鷹の目の明智。見えないものを見る男。」
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