武藤 のコメント

大東亜論考察2 『庶民とインテリ層の乖離』

頭山満は晩年は神格化されたほど「人気」はあったと大東亜論に描かれています。
日本政府も頭山満人気に頼る部分もあったのではないかと思います。
しかし昭和以降、近代教育を受けたインテリ層には
頭山満に対して好印象を持っていたのでしょうか?
清沢洌の日記に頭山満死去のことが書かれています。そこで清沢は「頭山満が死んだそうだ。愛国心の名の下に、最も罪悪を行なった男だ。同時にまたよく日本人の弱点を代表している男でもあった」と頭山は「罪悪」を行なったと書き、死を悼む言葉はありませんでした。
ここでいう罪悪とは何か?確証はありませんが、
西洋化を否定するような言動、日本精神を鼓舞したことではないでしょうか?
また、終戦直後の文藝春秋で玉川一郎は
「国士頭山に生業があったのか。いたるところの小料理屋や待合にギャングよけの額をかいたくらいしか吾人の脳裡にない存在に、どれくらい明治大正昭和を通じて青少年が誤られたか。頭の悪いのを豪傑ブリのゼスチャアーでカムフラージュした馬鹿どもに国を誤まられたのだ」と罵倒をしています。
占領軍に媚びた、敗戦のショックもあるとは思いますが、玉川のような当時少数だったインテリ層から見たら、頭山ら豪傑は国民を亡国に方向に追いやった「国賊」と見ていたのではないでしょうか?
清沢と玉川のインテリ層の総意だとは思いませんが、戦後に玄洋社が「右翼、ゴロツキ」のように
一括りされたのば、GHQの占領政策はもちろんですが、近代教育、西洋教育を受けたインテリ層が指導層になったからではないでしょうか?
百歩譲って、頭山満が青少年に悪影響を与えたと仮定しても、戦後に共産主義はパラダイスだとか、
日本の戦争犯罪の捏造とか、頭山なんかレベルにならないくらい国を誤らせたのではないのでしょうか?
むしろ、庶民のほうが共産主義の胡散臭さ、あるいは大東亜戦争の評価とか真っ当ではなかったのでは?庶民感覚を失うから、似非インテリになるのではないのか
いまでも、インテリ層は庶民感覚がなく、アベノミクス礼賛に手を貸し、青少年を誤らせています。
僕たちは庶民感覚を大事にし、インテリ層に騙されないようにしないといけないと強く感じます。

No.25 107ヶ月前

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