道徳は他者に迷惑をかけないが主眼なのか? 他者や共同体のルールに縛られることなく「自ら返りみて縮ければ、千万人いえども、われ往かん」になるのか? 広辞苑で道徳を調べると「人のふみ行うべき道。ある社会で善悪を判断する基準として一般的に承認されている規範の総体。法律のように外面的強制力を伴わない個人の内面的な原理」となっています。 道徳と区別がつきにくい倫理を調べてみると 「人倫の道。実際の道徳の規範となる原理」とあります。つまり道徳の内部に倫理が入っているということになります。 となると、いくら社会のルールになっているとはいえ人倫の道に外れた行動は絶対にとらないが道徳になるわけですね。 岡田斗司夫が言っている道徳とは、道徳から倫理を剥ぎ取り、社会でいかに上手く生きていくか?いかにうまく取り入ることができるか?いかに女を抱けるか?と処世術になっているわけですね。 なぜ、そうなるかというと、倫理とは何か?を突き詰めていくと哲学的、宗教的に話になり、物欲を否定する形になってしまいます。 それは近代社会、資本主義社会には馴染まないので 倫理を剥ぎ取っての道徳論が蔓延したのだと思います。
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小林よしのりチャンネル
(ID:19723146)
道徳は他者に迷惑をかけないが主眼なのか?
他者や共同体のルールに縛られることなく「自ら返りみて縮ければ、千万人いえども、われ往かん」になるのか?
広辞苑で道徳を調べると「人のふみ行うべき道。ある社会で善悪を判断する基準として一般的に承認されている規範の総体。法律のように外面的強制力を伴わない個人の内面的な原理」となっています。
道徳と区別がつきにくい倫理を調べてみると
「人倫の道。実際の道徳の規範となる原理」とあります。つまり道徳の内部に倫理が入っているということになります。
となると、いくら社会のルールになっているとはいえ人倫の道に外れた行動は絶対にとらないが道徳になるわけですね。
岡田斗司夫が言っている道徳とは、道徳から倫理を剥ぎ取り、社会でいかに上手く生きていくか?いかにうまく取り入ることができるか?いかに女を抱けるか?と処世術になっているわけですね。
なぜ、そうなるかというと、倫理とは何か?を突き詰めていくと哲学的、宗教的に話になり、物欲を否定する形になってしまいます。
それは近代社会、資本主義社会には馴染まないので
倫理を剥ぎ取っての道徳論が蔓延したのだと思います。