鷲ヲともふさ のコメント

先月号と今月号の「大東亜論」は血が滾る。
豪傑が生に対して見苦しく執着せずに死出の旅へ向かうさまは逆説的に生々しく艶かしい。
自らの死さえ客観視し、命の使いどころを見極め、どのような状況であっても最善を尽くす本物の男たち。
そんな豪傑たちのこれからの勇躍にますます目が離せない。

「大東亜論」といえば頭山満。
その頭山満に、俺はつい先日に不意に出会った。
夏の陽気に誘われて旧跡巡りをしていると、予想だにせぬ場所に頭山満が揮毫した一文が刻まれた石碑が建立されていた。
散歩がてら、ドライブがてら、「田中正造再評価ツアー」と銘打って、足尾銅山鉱毒事件でお馴染みの田中正造ゆかりの場所をほてほてと巡っていたら、田中霊祠という心霊スポットみたいな場所に、その石碑があった。
石碑には「義気堂々貫白虹 昭和四年九月於 田中祠前 頭山満」とあり、小林先生が以前にライジングの記事の中で、田中正造について現在の世間の見方が「相変わらず左翼の文脈の中での評価から出ておらず、正当に「国士」として見直されるにはまだまだ遠いのが残念だが。」と書かれていたのを思い出した。

その静謐な心霊スポットで、田中正造と頭山満という偉大な人物に出会い、少し物思いに耽る。
左翼は左翼の文脈、右翼は右翼の文脈でしか歴史を見ていないのだとつくづく思う。
イデオロギーに囚われたままで、歴史を、そして人物を評価することの愚かさを想う。
そんな愚かな連中にとっては、何故に頭山満という右翼の頭目が田中正造という左翼運動家へ賛辞をこめた石碑を建てたのかと理解できないことだろう。
首をひねって、ねじ切れて、絶命してしまうかもしれないから、考えることさえしないのだろう。

同じ田中霊祠には田中正造の和歌が刻まれた石碑もあったのだよ。
「世をいとい そしりをいみて 何かせん 身をすててこそ たのしかりけれ」

No.81 115ヶ月前

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