生放送「今年のいい人・悪い人をふりかえる」を見て、つくづく思うのですが、道徳的視点からみれば、現在の世間における大半の人は「いい人」「わるい人」ではなく、「どちらでもない人(どうでもいい人)」になるように努めているような人なんじゃないのかなと思いました。なにしろ、「いい人」「わるい人」は本人の意志問わず、行動が目立ちますし、その性格上なんらかの社会や世間からの反動は当然あるもので、その反動に耐えられないことから結局は何も行動を起こせずに「どちらでもない人」として過ごしてしまうのです。 この「わるい人」もしくは「いい人」としての行動が起こせないことからニヒリズムに陥り、ネットなどの匿名による書き込みやクレーマーに陥ってしまう人が増える原因になっているのではないのかと思います。 ネットなどの匿名性が極めて低かった一昔前は世間でも「わるい人」「いい人」が結構いたと思いますが、近年は世間において何も言わず、行動せず、「わるい人」「いい人」にならずに「どちらでもない人」に世間でなるように努め、ニヒリズムに浸っては支清潔で匿名性のネットの書き込みやクレーマーに陥ってしまっていることから、もはや「わるい人」「いい人」は本当に一握りの人となり、道徳について語るのもいっそうに難しくなってきていると思います。
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小林よしのりチャンネル
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生放送「今年のいい人・悪い人をふりかえる」を見て、つくづく思うのですが、道徳的視点からみれば、現在の世間における大半の人は「いい人」「わるい人」ではなく、「どちらでもない人(どうでもいい人)」になるように努めているような人なんじゃないのかなと思いました。なにしろ、「いい人」「わるい人」は本人の意志問わず、行動が目立ちますし、その性格上なんらかの社会や世間からの反動は当然あるもので、その反動に耐えられないことから結局は何も行動を起こせずに「どちらでもない人」として過ごしてしまうのです。
この「わるい人」もしくは「いい人」としての行動が起こせないことからニヒリズムに陥り、ネットなどの匿名による書き込みやクレーマーに陥ってしまう人が増える原因になっているのではないのかと思います。
ネットなどの匿名性が極めて低かった一昔前は世間でも「わるい人」「いい人」が結構いたと思いますが、近年は世間において何も言わず、行動せず、「わるい人」「いい人」にならずに「どちらでもない人」に世間でなるように努め、ニヒリズムに浸っては支清潔で匿名性のネットの書き込みやクレーマーに陥ってしまっていることから、もはや「わるい人」「いい人」は本当に一握りの人となり、道徳について語るのもいっそうに難しくなってきていると思います。